「今日一緒に帰ろう。」
なんて連絡が来ても私は返事を返せなかった。正直めちゃくちゃ嬉しい。羽風先輩と一緒に帰りたい。しかし!わかりました、という簡単な返事ができない。指を動かそうとするが羞恥が邪魔をするのだ。羽風先輩とは1週間前から所謂恋人同士というものなのだがどうして羽風先輩が私と付き合っているのかがよく分からない。もしかしたら罰ゲームとかなのかと疑心暗鬼になるが羽風先輩は女の人に対してそういったことをする人とは思えなかった。そうしたら何故だ…?
「(私に似た忘れられない人がいるとか…)」
いや、羽風先輩は趣味の悪い人ではないはず。
じ、と携帯画面を眺める。眺めても返事は打てない。
「………、まあいっか。」
見なかったことにしよう、そう思って携帯画面を暗くする。
私は羽風先輩のことが好きだった。飄々と何でもこなしてしまうところとか、気遣い上手なところとか、意外と悪戯っぽい顔をするところとか。とまあ、上げ始めたらキリがない。
先輩は女性人気も高いし彼女は選び放題のはずだ。だから私みたいなのと先輩が付き合っている、という事が奇跡だと思っている。一緒に帰るだなんて恐れ多い。
放課後、予定のなかった私は先生に頼まれて細かい作業をしていた。ぱちん、ぱちん、と小気味のいいホチキスの音を聞きながら歌なんて歌っていたら後ろの扉が開いた。誰か忘れ物でも取りに来たのかなとそのまま作業を進めていると後ろからがっしりと肩を掴まれたので悲鳴をあげる。
「わ、ごめんごめん。俺だよ、名前ちゃん。」
「……は、羽風先輩…。びっくりした…。」
ごめんね、と私の頭を撫でる手をさりげなく払って呼吸を整える。
「ど、どうしたんですか?」
「も〜、今日一緒に帰ろうよって連絡したじゃん。見てない?」
「……あ、見ました。」
返事くらいしてよ〜、と言いながら私の目の前に椅子を引いて座る。
「……?」
「終わったら一緒に帰ろう。そうしよう、決定ね。」
「え、いつ終わるか分からないし…。」
嘘である。正直にいえばもうそろそろ終わる。でも先輩の隣を歩いて帰るなんてちょっとハードルが高い。そもそも先輩は今までたくさんの女の子と遊んできたような人だ。もし元カノとか今カノとかが現れてしまった時ショックは計り知れないだろう。今カノは私じゃないかって…?いや、わからないじゃないですか。
「ええ?俺にはもう少しで終わりそうにみえるんだけどなあ。手伝おっか。」
「い、いいです。」
先輩は肘をつくとじ、と私を見つめ始める。
「………なんでしょうか。」
「いや、付き合ってるのになんで敬語なんだろうって思ってさ。二人きりの時ぐらい薫くんって呼んでくれてもいいんじゃない?」
なんて答えればいいか分からず無言を貫く。先輩に飽きられた時、これ以上好きになってしまっていたらきっと立ち直れないだろう。何かあった時に少しでも未練を残してはいけない。すぐに先輩と後輩の関係に戻れるように、と一応の線引きのつもりだった。そもそも先輩の本命が私かなんてわからないじゃないか。あの羽風先輩という人が私と付き合って1週間。キスすらしてこない。
「な、慣れなくて。」
「ふうん?」
最後のホチキスの音が響いて作業の終了を知らせる。机の上に並んだまとめられた書類をのろのろと整えさらにゆっくりやる必要も無いのに重要そうな場所にマーカーを引いていく。つむじに感じる先輩の視線に冷や汗をかきながら何とか作業を終わらせた。
「では、私は職員室に行かないといけないので…。」
「俺も行くよ。どうせ名前ちゃんの事だからそのまま帰っちゃうでしょ。」
バレている。さあ、と血の気が引くのがわかった。こういう鋭いところも好きではあるが私に発動して欲しくはなかったなあ。
「ねえ、名前ちゃん。」
机の上で握られていた私の拳に先輩の手がするりと重なる。ぶわりとその部分が熱を帯びてドキドキしてしまう自分を心の中で叱りつけた。
「お、その顔は照れてるね〜。あはは、ほんと可愛い。」
「……、」
何かを言い返したいのだがはくはくと唇が震えただけで何も言い返せない。それを面白いと思ったのかご機嫌に笑う先輩に少しだけ傷つく。なんだか先輩の掌で転がされて遊ばれてる気がしてきた。
「先輩は……、私なんかよりお似合いの人がいると思うんですけど、なんでわたしなんですか。」
「…なんででしょう。」
「分からないです。でも、正直、もしかしたら本命の子の影武者かな、とは思ってます。」
きょとんとしたあと先輩は大笑いした。こんなに笑う先輩を知らなかったので私もぎょっとしてしまう。
「ねえ、なんでそんな発想になるの。俺が最近女の子と会ってないの名前ちゃんが1番分かってるでしょ。」
「………、24時間一緒にいるわけじゃないのでわからないじゃないですか。」
「それは俺と24時間常に一緒に居たいってこと?情熱的だね。俺は構わないよ。」
「違います…!」
それにしても影武者って、と先輩はもう一度笑うとはー、と息を吐いた。
「本命っていうか俺が好きな子は1人なんだけどなあ。伝わってない?けっこう俺、名前ちゃんの事 大事にしてるよ?」
よしよし、と私の髪を撫でつけて ふ、と口元を緩める先輩はやっぱりかっこいい。
「でもそんなこと言われちゃうと愛情表現は大事なんだなって改めて思っちゃった。」
がたんと立ち上がると私の後頭部に手を回した先輩の顔が近づく。え、と思った時には先輩に唇を奪われていた。ちゅ、とリップ音がして離れていく先輩を私はただただ目を丸くして見ることしかできない。
「奪っちゃった。」
こん、と手をキツネの形にして私の唇にそれを押し当てる。ふに、と唇の形が変わって間抜けな顔をしてるであろう私はもう反抗する気力も失せていた。
「……初めてだったのに。」
「やっぱり?よかった、初めてじゃなかったらどうしようって心配だったんだよね。…では、最初で最後の男に羽風薫はいかがでしょう、お姫様。」
親指で私の唇を遊ぶ先輩に私はこういう他に言葉が思いつかなかった。
「先輩の馬鹿!」
ごめんね、と楽しそうに笑う先輩を憎めなかった。