天祥院英智という名前が偉そう、とぼんやり考えながら所謂熱愛報道と言われるそれを眺める。成程お相手は財閥のお嬢様。お似合い!素敵!結婚式はぜひ友人代表として呼んで!そう心の中で叫ぶと目の前の机に額を打ち付けた。おかしいな。天祥院英智の彼女は私のはずだったんだけどな。
確かに彼の家族は私の存在に否定的だった。高校が一緒だっただけで、学科も違うし私は一般的な家庭の子供だった。普通科の方の生徒会長だった私は学校行事についての会議の際は数え切れないぐらい英智と衝突して一切従わなかった。その度に"あの天祥院相手に凄いな"なんて周りがざわついてはいたが、そもそも私はアイドル科に微塵も興味が無かったし天祥院がお金持ちだなんて知らなかったのだ。そしていつの間にか対立していたはずの私達はそういう仲になってしまっていた。きっかけとかはもう一切覚えていない。
しかし天祥院の家は私を快く思っていない。何度でも言うが私が一般家庭の人間なのと大した取り柄がなかったからだ。天祥院のプラスになることはひとつもないというのが大きいのだと思う。

「( たしかに最近は全く会ってなかったもんなあ。私のことなんてもう忘れたかな。)」

それならそれでいいかなんて思ってもないことを呟いた。だって向こうは立派な家柄で人気アイドル。かたや私はただのOL。新しい恋愛をした方がいいなんて私が一番分かってる。どう考えてもこの関係は不毛なのだ。
着信を告げるスマホの画面を見てぎり、と心臓が痛くなった。天祥院英智とディスプレイに表示されている。このタイミングだし、もしかしたら何か弁明をくれるつもりなのかもしれない。しかし電話に出る気力は全くなかった。ははは、電話にでんわ、なんちて。………面白くないなあ。
3回程かけ直したあと諦めたのかスマホは静かになり部屋に再び静寂が訪れた。
…そういえば営業の中村さんが頻繁に食事に誘ってくれてたなあ。のらりくらり躱してたけど、そろそろ返事をしてなんなら分相応の幸せを手に入れよう。話を広げれば将来的に子供だって欲しい。
明日会社に行ったら今度は私から話しかけてみようかな、と再び机に額を打ち付けた。


次の日出勤中の中村さんと漫画みたいにばったり出会う。そして挨拶みたいに食事に誘われたもんだからもう二つ返事でOKした。ほぼやけになっているのを感じながら仕事をする。
天祥院くん、恋人いるんだって。私、ファンだったんだけどなあ…ショック…。あのお嬢様でしょ?ニュース見た見た。お似合いだよね〜!なんて話してる同僚達に仕事しなよと 一言告げる。私は今、最高に嫌な女だ。

「………、はあ。」

やっと1日が終わり私は帰り支度をしながら化粧を直す。今朝約束した中村さんとの食事があるからだ。会社の前で待ち合わせをしているので玄関口まで降りる、と横付けされてる大きな黒い車。仕事帰りの社員達が何だ何だとそちらを気にしながら帰るのを見て私は腕を組んだ。嫌な予感がする。なるべくそちらを見ないようにして中村さんを待つ。

「お待たせしました、名字さん。俺すごく楽しみで仕事すぐ終わらせてきちゃいました。」

天真爛漫に笑う中村さんはまるで子犬のようだった。とても人懐っこい笑顔は私でもほっとする。

「お誘いありがとうございます。今まで中々予定合わずにすみませんでした。」

私の言葉ににこりと笑うと行きましょう、と私の横を歩く。中村さんは普通の人だった。自然体で居れる空間に肩の力を抜く。
私は英智の横を歩く度に緊張してたと思う。見合う人間にならなきゃだとか歩き方1つ見劣りしてはいけないと慣れないヒールを買ってみたりと随分背伸びをしてきた。まあ、無理をするぐらいあいつの事が好きだってことなんだけども。…でも、この人の隣は無理しなくていいんだろうなあ。だって普通の人だもの。

「名前ちゃん。」

ガラス戸を出たところで名前を呼ばれ動きを止める。この声は知ってる。す、と音もなく車が横付けられ窓から覗く英智の涼し気な目元が見えた。やっぱりこの車はそうだったか。

「……、」

「仕事、終わったようだね。久々に食事でもしようかなって驚かすために待っていたんだけど…。」

ちらりと中村さんを見るとまた私に視線を戻した。中村さんは有名人の天祥院英智にえらく驚いていて言葉が出ない様子だった。ため息をつくと中村さんに予定のキャンセルを伝える。また今度でお願いします。すみません、と頭を下げると私の為にドアを開けようとしてくれる運転手の方を手で制して乗り込む。決着を付けようじゃないの。

「元気だったかい?」

「あんたよりはずっとね。また顔色が悪いようだしあんまり無理すると体に負担なんだから気をつけて。」

「そうだね、気をつけてはいるんだよ。」

その後は無言。珍しく言葉を探してるような素振りの英智に別れ話かなと居住まいを正す。正直、覚悟は出来てる。そろそろお互いいい歳だからいつまでもズルズルとあってないような関係を続けるのも利益がない。未来もない。

「…あのさあ、終わりにしない?」

長い無言に耐えられなくなり降参した私は何でもないように言った。途端にぐ、と目頭が熱くなって自分の往生際の悪さに吐き気がする。

「……え?」

英智がこっちを向くのが気配で分かる。

「だから、終わりにしようって言ってるの。私達も長いし、ここから発展することはこれ以上はないと思う。私だって先のこと考えてるし英智だって家族から私の事で色々言われるのも、もううんざりでしょ。こんな関係続けてても、お互いのためにならないよ。」

再びの無言。目頭が熱いままの私は誤魔化すように外を見た。

「……あのニュースの事を気にしてるのかい?ならもう既に解決しているよ。だから君が気にすることじゃない。」

「違う。私が疲れたの。1ヶ月会えないのなんて普通だし、英智の家族にはいい顔されないし家柄的な話もプレッシャーだし。」

私の手に英智の冷えた手が重なった。

「……じゃあどうして泣いているのかな。少しでも僕に気持ちが残ってる涙だと嬉しいんだけど。」

「………、」

視線だけ英智に戻すと驚いて体の力が抜ける。何その顔。初めて見た。不安そうな目とか少し震えた唇とか何それ。

「………なに、あんたそんな顔できるの。」

「僕をなんだと思ってるのかな。ずっと一緒に居てくれると思ってた子にそんなふうに言われて ああそうですか なんて言えるわけないさ。」

「君を手放せないんだ、ごめんね。」と英智は呟くと私の髪を掬って軽く口付けた。私は次第に笑えてきて目元を抑える。

「びっくりした。」

「僕の隣には君ぐらいしか居られないと思うよ。だからそんな悲しくなるようなことを言わないで欲しいな。僕の寿命がまた縮まる。」

「英智はなんだかんだちゃんと長生きすると思うんだけど。」

ふふ、と息を漏らすようにして笑った英智は少しだけ体を離すと挑戦的に私を見る。

「そう思うかい?」

「しぶとく生き残るよ、大丈夫。」

私の言葉に安堵したように目を伏せると無造作に小さな箱を寄越した。

「何?」

「開けてごらん。……ああもう、君のせいで折角立てた計画の全部が水の泡だ。思い出したよ、学生の頃からいっつもそうだった。今度からはそういう所も入れ込んで計画を立てないとって改めて痛感したよ。」

何度もドラマとかで見たことあるベタな小さな箱に少しだけ期待をしてしまう。ゆっくり開けるとそこには絶対に高いだろう指輪が収まっていた。反射的に馬鹿じゃないのと呟いた。この男はこんな面白くも可愛げもない女を永遠に自分の隣に置こうとしてる。

「黙ってそれを受け取ってくれるかな。君が言ったことだし、この先僕がどれだけ生きるのかを最後まで責任もって確認してね。」

「………英智ってちょっと外れてるところあるよね。」

滲んだ視界を遮るように触れた英智の手の温かさに声を上げて泣いた。ああ、もうしばらくこの人からは離れられそうにないなあ。