夏が好きかと言われればそこまで好きではない。しかし夏の空は案外好きだったりする。とんでもなく澄み切った青に厚みのある大きな雲を見るだけで涼しい部屋の中から夏の醍醐味を全て知れてしまう気がするからだろうか。この意味のわからない暑さを除けば夏の情景はかなり好きだと思う。
急に何かと驚くだろうが眼下に広がる光景のせいなので許してほしい。

「明星くん、元気ねえ」

生徒会に書類を提出して確認してもらっている待ちの間に窓の外を眺めていた私はそう呟いた。特徴のある姿が駆け回っているのが見える。
夏が似合う芸能人を上げろと言われたら五位以内にはランクインするだろう。

「え?スバル?」
「多分だけど遊木くんと一緒じゃない?」

どれどれ、なんておじさんみたいに腰を上げた衣更くんが下を覗き込んで苦笑した。「本当だ。あいつら元気だなあ」と楽しそうだ。そのままなんとなく二人で眺めていると呆れたのかなんなのか姫宮くんに声をかけられる。

「ちょっと!いい加減に手を動かしたら?」
「あ、悪い悪い。つい見入っちゃったっていうか……。すみません」
「しっかりしてよね、新会長」

ふん、と姫宮くんは可愛い鼻を鳴らした。ここにいるのがあんずちゃんだったらおそらく姫宮くんの当たりはもう少し柔らかかっただろう。同じ分の仕事量をこなしてきたはずなのに私の仕事ぶりはあまり評価されていないようなのだ。そう思われているなら態度に差があるのは仕方がない。評価につながらないと言うことは私は何かをプロデュースすることに向いていないのだろう。
衣更くんが一生懸命私の作った企画書に目を通している。何かマーカーで線をつけていると言うことはおそらくボツに近いリテイクを食らうのだろう。ふう、ともう一度外に視線をやった。楽しそうな笑い声が聞こえそうなほど明星くんたちははしゃいでいる。

「名前、ごめん。こことここの部分なんだけど予算と現実的に厳しいかも。代替えあれば再度持ってきてくれるか?」
「はあい」

わかっていた分、ショックも少ない。引かれている線を見れば想像していたところだった。

「またきま〜す」

扉が閉まる直前に「あいつやる気なさすぎ!」という姫宮くんの声が聞こえて心の中で謝る。何をやってもダメだなあ。一生懸命やっていても能力がなければ評価にはつながらない。そんなことは仕方のないことだ。
プロデュース科に戻る道すがら先生に呼び止められた。進路はどうするのかという内容で自分が最終学年になったことを実感する。そういえば進路の紙出していなかったっけ。
進路ねえ。自分の将来を決める大きな分岐点だ。まあ、芸能界に関わるのはないかな。あんずちゃんや今年からやってきたプロデュース科の面々のようにうまくできないし。

「進学かな」
「進路?」

突然隣に人の気配を感じて声をあげてしまった。心臓がバクバク言っている。
横を見ると明星くんが立っていた。いつの間に。

「おお、びっくりしたあ。あれ、遊木くんは?」
「ウッキ〜?委員会に顔出しに行ったよ!って、なんでウッキ〜?」

明星くんの交友関係は広いので、ピンポイントで遊木くんだけの所在を聞くのは随分不思議だろう。さっきまで見られていたことも知らずに、と明星くんに悪ふざけしたくなってしまった。

「明星くんから遊木くんの匂いするから、さっきまで一緒にいたのかなって」
「ウッキ〜の匂い!?確かにさっきまで一緒にいたけど……。名前、大吉みたいだね!」

すごいすごい!とはしゃぐ明星くんを見ながらこのまま真相は黙っているか、と愛想笑いを浮かべる。どうせ明日あたりに教室で話して同席しているであろう衣更くんが「いや昨日生徒会室から見えたんだよ」とネタバラシしてくれるだろう。それまでは私が並外れた嗅覚の持ち主だって思っていてくれ。

「話を戻すけど名前は進学するの?先輩たちだと大学に進学したのはなずなだけだっけ。他の人はよく知らないけど海外勢もいるよね」
「そうだねえ、海外は考えてないから普通に進学かな」
「海外からだと俺たちのことプロデュースするの大変そうだもんね」

あはは、と笑い合ったが明星くんの言葉に首を傾げる。明星くんの来年に私の存在が当たり前のようにいる。

「大学もたくさんあるけどこの辺じゃないとESに通いづらくない?そうすると選択肢が限られるしやっぱり、なずなと同じ大学になるのかな?」
「あ〜、ね」

明星くんの顔が見れない。なんとなく来年には普通の学生になります!お世話になりました!と言い切れる雰囲気ではない。まあ、この人と関わることも今年度はそんなにないしフェードアウトして来年いなくても明星くんは気が付かないだろう。彼にとって私の存在なんてきっとそんなもんだろうし。関わりも何度か仕事をしたくらいで深いものじゃない。
不思議なことに寂しさすら感じない。ぽっかりした思考のままじゃあね、と明星くんに手を振った。



本日も晴天で蝉がうるさい。
明星くんと会話した日から三日経っていた。書類の不備を直して衣更くんのもとへ向かう。今日はすごく自信がある。なんたってあんずちゃんが確認してくれたのだ。そのおかげでかなり出来が良くなってしまった。問題はこの出来のいい企画を私がうまく進行できるのかって話。

「うし、完璧だな!これで企画通しておくよ」
「うわ〜い。ありがとう」
「てか、名前。あんまスバルにアホなこと言うなよ」

なんのことだ、と私が首を傾げると「真の匂いってやつ」と一言。ああ!と合点がいった。はいはい。すっかり忘れていた。
案の定、明星くんは次の日教室で私の嗅覚の話をしたようで間に受けた遊木くんが僕って臭い!?と大騒ぎになり大変だったようだ。その様子を想像し少しニヤついた。

「進路もちょっと聞いちゃったんだけど進学するんだって?もう大学とか目星つけてんの?」
「そうそう、進学!いや、悩んでるんだよね。大学でもいいし短大でもいいしさ。専門学校とかも手に職つきそうで悩ましい。合間を縫ってオープンキャンパスとか行ってるんだけどなかなかねえ」

専門学校?と衣更くんの眉が動いた。

「専門だとプロデューサーの仕事に支障出ないか?結構忙しいイメージだぞ。それこそ斎宮先輩みたいに服飾関係だとずっと作品作りになるだろうし……。あんまり無理して体壊すなよ?」
「明星くんにも似たようなこと言われたよ。当たり前に君たちの未来に居させてもらって申し訳ない気持ちになるなあ」
「何言ってんだよ、当たり前だろ〜?」

嬉しくないとは思わないがなんだか息苦しい気持ちになる。なんで結果もパッとしない私がいつまでもここに縋り付いていると思うのだろうか。

「実は私、今年度で廃業する予定なの。だから県外の大学に行くかもしれないし専門も視野に入れてるよ」
「……えっ」

あまりにも当たり前に私の未来を話すものだから思わず正直に話してしまう。同じ科のあんずちゃんにも先生にも言ってないのに。

「企画書の確認ありがとう。また相談させてもらうこともあると思うけどその時は迷惑かけま〜す」

そんじゃね!と生徒会室を後にする。去り際にポカンとした生徒会の面々が見えた。あまり見ることのない表情だったので笑ってしまった。そんなに驚かなくてもいいのに。でも少し気分がスッとしている。
廊下を歩いていると外が急に薄暗くなってきた。分厚くて美味しそうだった雲が灰色になっているので通り雨でも来るのだろうか。そんなことを思っているうちにポツポツと降り始めそれが大きな雨音となる。

(おー、迫力満点。見事な大雨)

建物内にいればどんな雨音でも心地よく感じるものだ。渡り廊下は人もおらず静かでいい。教室にさっさと帰る気分にもなれず壁にもたれてそのままぼんやり進路のことを考えることにした。大学なんて気軽に話したけど正直この選択は有力な候補ではない。私は圧倒的に受験の準備ができていない。なので大学を目指すとしても一浪はするだろう。そうなると専門学校だろうか。しかし専門学校という場所は一つの学問を極め、それに関わる分野を磨く場所だ。これやってみた〜いで進んで辛くならないわけがない。

「現実は厳しいなあ」
「あ、名前だ」

急に呼ばれて意識が戻ってくる。明星くんだ。なんだか遭遇率が高い。

「ねえ、この間のウッキ〜のやつ嘘ついたでしょ!」
「いやあ、明星くんが本気で騙されたと思わなくてさ」

も〜!っと怒っているんだか怒っていないんだかわからない明星くんは私の横に並ぶ。なんで並んだのかはわからないけどまあ私も用事がないのでそのまま一緒にいることにした。明星くんがきた瞬間にさよなら〜も少々感じが悪いしね。

「プロデュース科が本格始動して結構経ったけど新しい環境に慣れた?」
「そうねえ、まあ面倒に感じることもあるけど勉強になることも多いしそれなりに今の環境には慣れたよ。ありがとうね」

他愛のなさすぎる会話だ。雨音が大きいけれど明星くんの声も負けず劣らず大きいのではっきり聞こえる。ただ私の声は聞き取りにくいようで時折屈んで私の声を聞いてくれる。明星くんの周りは騒がしい印象だったが思いの外穏やかに過ごしてしまっている。
遠くの空が鋭く光った。辺りがより一層暗く感じるほどの光だ。私たちの間に一瞬静寂がやってくる。少し経ってから心臓に響くような低い音が鳴った。どうやら少し遠くの雷らしい。

「なんか名前とゆっくり話すの久々だから嬉しいかも」
「そう?この間も話したじゃない」

私より背の高い明星くんの顔を見上げる。じ、と外を見ていたが私に視線を落とす。なんだか不安げな表情をしているように見えるのは気のせいだろうか。

「名前、絶対進学するって決めた?」
「……え、びっくりした。私の進路?絶対、かはまだはっきり分からないけどそうね」

ここを離れるつもりではあるよ、とは言えなかった。

「俺、アイドルでいられるのが嬉しいんだ。キラキラしているものを見るのも好き。でも時々、どうしようもないほどに心配になるときがあるんだよ。今までそんなことなかったのに去年と環境が大きく変わったからかな。信頼できる人だけとは仕事ができなくなって少し神経質になってるのかも。だから企画書に名前とかあんずの名前があると本当に安心できるんだよね」
「……なんだか改まって言われると変な感じね」
「名前が遠くに行っちゃいそうだったからか変なこと言っちゃったのかな。ごめんね」

意外だった。こんなふうに思ってもらえていたなんて夢にも思わなかった。私の評価は普通より下であんずちゃんじゃない方。
明星くんはそんなふうに思ってくれてたんだなあ。心が少しじんわり温かくなった。

「ねえ、名前もあんずとP機関で働くよね?」
「どうしたどうした。グイグイくるねえ。ちょっと本当に大丈夫?暑くてやられた?」
「はあ、はぐらかすのやめて」

誤魔化すのは難しそうだな、と頭をかく。

「俺はアイドルだから名前が離れちゃうと会えなくなっちゃうよね?」
「私がライブ見に行くよ。でも君たち人気だからチケット取れるか運次第にはなるけどね」
「……やっぱり来年はいないつもりなんだ」

明星くんなりの鎌掛けだったようだ。まあ、隠すことでもないし、いいのかな。私はなんとなく言いにくかった進路をはっきりさせることにした。

「そっか、名前が考えて決めたことだし俺に何か言う権利はないけど確実に進路が決まってないならまだプロデューサーの道も残ってるよね」
「ないに近いけどね。私には向いてないみたいであまりパッとしない成績だしさ、そんな状態でしがみついているのもみんなに迷惑かけちゃうしさ」

ふうん、と明星くんは怒っているみたいな声を出した。明星くんってこの業界に真剣だし私みたいに逃げていく奴のことなんか嫌になっちゃったかな。

「全ての努力が完全に報われるなんて俺も思ってないよ。それに名前の仕事がパッとしないなんて思ったこともない」
「そう」
「気持ちは俺たちと一緒だと思ってたから少しがっかりしてる。俺が勝手にそう思ってただけってわかってるけどさ。悔しいよ」

明星くんの言葉は私には刺さらなかった。完全に気持ちで負けている証拠だろう。

「ごめんね。私も勝手だけど明星くんたちのことはずっと応援してるからね」
「もう終わり?まだ名前言ってないことあるんじゃないの?」

思わず笑ってしまった。

「うん。何もないよ、本当に」

明星くんは私から目を逸らす。何か言いたそうにはしているけどどうやら私に何か言う気力もなくなったようでふらりとどこかへ行ってしまった。
その背中が見えなくなった頃、雨は上がったようだ。まだ灰色の空がぐずぐずと広がっていて私はそれを眺めることしかできなかった。悔しい、と言った明星くんの顔がなんだかこびりついてしまって動けなかった。