※逆先視点
※十年後ぐらいの話

「青葉さん、好きです!付き合ってください……!」

事務所に入ろうとしてギョッとする。この声はうちの事務員の名字さんだろう。センパイに気がある素振りはあったけどまさか行動に移すとは思っていなかったので少し面食らっている。どうしたものか。恋愛なんて個人の自由だし応援してあげたいけれどボクらはアイドルだしセンパイが世間に隠し通せるとは思えない。うっかり「この間彼女が〜」なんて猫の話でもするようにメディアで話しかねない。信用がないのは日頃の行いだよ、センパイ。
名字さんは分かりやすい人間なのでセンパイのことが好きなのは確実だ。ハニートラップの疑いはないのだが逆はわからない。あのぼーっとした男、今まで好きになった人間いるのか?というぐらい浮いた話を聞いたことがないのだ。
占ってみればなんて思うかもしれないが占いで見えるのは相手の本心ではない。ちょっとした人生のアドバイスのようなものに使用するものであって明確に結論が出るわけではない。そうなってくると最早宗教だ。

(さテ、どう出るかナ)

しばらく沈黙があったあと軽く笑うような声が聞こえた。

「ありがとうございます〜。名前ちゃんが良ければよろしくお願いします」
「えっ!」

名字さんの浮かれた声が聞こえた。ボクは本当か……?と疑ってしまったが客観的に見ればこの2人の相性はいいだろう。名字さんは少し抜けてるところはあるが相手を思いやれるしセンパイを裏切るような事もないだろう。好きが伝わるからこその信頼だが、さっきも言ったようにセンパイにはそれがない。脈ナシの状態から交際の了承が出るとは思わなかったな、と壁に背中を預ける。しかしこういう所で告白など如何なものか。目撃者がボクで良かったよね、ホント。
まあ、あのモジャモジャから報告があったらからかってやるか♪



「……デ?」
「え?なんですか、夏目くん。顔が怖いんですけど俺、またなにかしちゃいました?」
「報告しないといけないことあるんじゃないノ」
「報告ですか?う〜ん、思い当たることがないんですけど」

そう言葉が終わる前に頭に拳をめり込ませる。何言ってんだこいつ!恋人の存在を完璧に隠し通せなかった場合、スキャンダルとしてファンに知らされることとなる。お前がうっかり恋人の話を他所でしかねないのでフォローしたり対応が必要なものはしたりしないといけないし少しはユニット全体に影響がでると言うのにボク達に報告がないっておかしいだろ!こっちが知りもしないことはフォローできないから!名字さんとのことがあってからもう一週間経っているのに何も言ってこないなんてどうかしている。
ソラが不思議そうにボクたちを見比べて遠慮がちに手を挙げた。

「ししょ〜、せんぱいは本当に困った色をしているな〜」
「ソラ、こいつは義理も人情もどこかに置いてきた薄情者ダ。こいつみたいな大人になったらだめだヨ」
「宙はもう立派な大人ですけど……?」

よしよしと頭を撫でながらセンパイを一瞥する。あ、Switchの単独ツアー決まったことまだ言ってませんでしたっけ?とか知らない情報を落としてきたので追加でチョップを食らわせた。それは早く言え。

「名字さんのことなんだけド」
「名前ちゃん……?ああ!な〜んだ、夏目くん知ってたんですね。最初からそう言ってくださいよ。宙くんは初めて知りますかね?この間、名前ちゃんに好きですって言われてお付き合いすることになりました。恋人とか初めてなのでどうなる事やらって感じですけどね」

少し考える素振りをしたソラが爆弾を落とした。ボクも最初に思ったけど言わなかったことだ。

「名前がせんぱいの事が好きっていうのはすごく分かりますが、せんぱいは本当に名前が好きなんです?」
「……」

ソラに誤魔化しはきかない。もしセンパイが#苗字#さんのことを何ともおもっていないまま交際を了承したのであれば若干の不誠実は感じる可能性はある。
言葉を投げかけられた当の本人はきょと、とソラを眺める。

「名前はいい人なので今は同じ色じゃなくてもきっとせんぱいも名前のことを好きになれるな〜」
「正直に言うと宙くんに見透かされた通りなんですけど、与えてもらった好意にちゃんと応えたいって気持ちはあるんですよ。名前ちゃんはすごくいい子なので俺には本当、勿体ないんですけどね」

名前のこと傷つけたらせんぱいでも許しません!とソラが締めくくってその話は終わった。センパイは悪人ではないけれど善人というわけでもない。人畜無害な顔をして意外と狡いこともする。対して名字さんは目の前のことにいっぱいいっぱいそうでセンパイの本質には気がつくこともないだろう。しかし見えていなかったものが見えてしまった時に傷つかないとも限らない。
二人がきちんと幸せになってくれるといいんだけど。



「あ、逆先さん。こんにちは!」

正式にセンパイから報告を受けて三日経った頃だろうか、事務所で名字さんに声をかけられた。いつも通りの汚いことは何も知りませんと言ったような顔だ。重そうな機材の運搬をしているので流れで手伝うことにする。大道具部屋に向かいながら名字さんを観察する。当たり障りのない世間話、当たり障りのない距離感。普通だ。

「なんだかお手伝いさせてすみません。逆先さん、事務所に用事があったんですよね?」
「そうだけど急ぎじゃないし名字さんが気にすることではないヨ。それにほラ、名字さんはうちのメンバーの大事なお姫様だシ?」

扉が閉まる方を見れば面食らった顔して名字さんは突っ立っていた。

「ああ、青葉さんから何か報告があったんですね。すみません、私からもきちんとお伝えするべきでしたよね」

困ったように笑う名字さんを観察する。何か言いたそうだ。時間があるか聞くと名字さんはおずおずと頷いた。

「そこのソファーに座っテ。コーヒーでも飲ム?」
「あ、いえお気遣いなく……」

そう言いながらゆっくり腰を下ろして辺りを見渡す。

「それで何か相談したいことでもあるんじゃなイ?」

最初は何もないですよ〜なんて言っていた名字さんだったがボクが「名字さんがセンパイに騙されていないか心配だナ」と言ったところで表情が曇ってしまった。

「青葉さんが私を騙すだなんて、そんな。むしろ私の方が不誠実なので……」

へえ?と様子を伺うと名字さんは大きく息を吸った。

「その、本当に気持ち悪いと思うし逆先さんからしたらいい気はしないと思うんですけど、ずっと青葉さんのファンだったんです。fineの時代から好きでした」

意外な話の始まりに今度はこっちが面食らってしまった。

「青葉さんに関する嫌な噂とか、インターネットで言われているようなこと全部わかってたんですけどそれだけで降りれるほどのライトなファンでもなかったのでずっと応援してたんです。ある時を境にfineも脱退しちゃって私、死んじゃうかと思いました。地獄みたいな日々で生きる意味もなくて終わりにしようと思った瞬間またアイドルを始めてくれたので本当に安心しました。逆先くんが青葉さんをアイドルでいさせてくれたんですよね。それもインタビューで聞いたことがあります。わかりますか?依存みたいなものなんですよ、私のこの気持ち。ニューディが事務員募集してたのを見た時、思ったんです。青葉さんの力になりたいって。その時の自分が気持ち悪くて思い出すたびにまた死にたくなります。ただの歴の長いだけのファンが力になりたいだなんて烏滸がましすぎますよね、ほんと」

懺悔だ、と思った。この人は多分ボクにいや、誰でもいいけれど軽蔑されたいんだ。

「運よく受かって青葉さんと対面した時、初めましてって言われました。握手会も何回も行ったしファンレターも実名で何枚も書きました。ライブも全部行きました。一年二年の話じゃなくて五年は経ってました。私のこと見ても一ミリも表情が変わらなくて私のこと本当に覚えてないんだってわかりました。青葉さん、握手会のときも確かに平等だったんですよね。お気に入りを作らずきちんと真摯に対応してくれる。そういうアイドルだって勝手に思ってたんですけどそうじゃなくて関心がないんだってわかったんです」

きゅ、と名字さんが組んだ手に力が入る。爪が食い込むのを見てもボクはなんとも思わなかった。
この人はずっと隠してた。何年も何年も、誰に気とられることもなくずっとこの長年煮詰めてきた泥水みたいな感情を無害な顔をして。しかし不思議と気持ち悪いとも、怒りも、悲しみの何も出てこなかった。名字さんの気持ちが本物なのをわかっているからだろうか。

「私に興味ないってわかった時、安心しました」
「怒りじゃなかったんダ?」
「私も不思議でした。青葉さんの力になりたいって気持ちも変わらなかったので気持ちを切り替えてこの間まで頑張ってみたんですけどダメでした。私の気持ち悪い部分が勝っちゃって告白しちゃったんです。ゴミですよね、私。青葉さんが私に興味ないことわかってたんですけどね。それにこの数年で青葉さんも変わりました。ファンの顔も覚えるようになったしファンレター見て、わあ、またこの子手紙くれたんですね〜、なんて言うようになりました。私もまだ向こう側にいたら純粋な気持ち悪くないファンでいられたのかな、なんてなぜか羨ましくも感じています」
「それデ、何が気がかりなノ?今の話を聞く限りかなり名字さんは恵まれているように感じるけド」

暗い瞳がこちらに向けられる。これが本来の名字さんなのだろうか。ソラはこの人のことをいい人と形容するので根はそうなんだろうけども今の名字さんはただのいい人ではない。

「私、青葉さんに振られる予定だったんです。それでキッパリ青葉さんを諦めて仕事も辞めて田舎に帰って婚活して普通になる予定だったんですよ。最後にするつもりだったんです」
「……」
「青葉さん、私のことなんとも思ってないから告白に応えてくれたんです。好きな人と親密な関係になれたのに急に虚しくなっちゃいました」

名字さんは顔を覆った。ゆらゆらと体が揺れている。可哀想に。今度は純粋にそう思った。

「名字さんはどうしたイ?」
「何かを償いたいんです。でも具体的な罪が分からなくて困ってます。あの日、青葉さんを見つけてしまったことが罪なのか、好きになってしまったのが罪なのか、愚かにも近づいてしまったのが罪なのか。全部なのか」
「……考えすぎでショ。センパイは名字さんの言うとおり少しポンコツだけどキミを蔑ろにしないから安心しなヨ。そんな古くからセンパイのファンだったなんて全然気が付かなかったシ、そこまで何かを隠し通すのが上手なら腹括って幸せになったらいいだけじゃなイ?」

そんな、と名字さんの顔が絶望に染まる。っていうか、名字さんは自分が言ってること贅沢な話ってわかっているのかな。名字さんのポジションになりたい人なんてたくさんいるだろう。罪が何かというのであればそういうところだ。

「あ、いたいた。名前ちゃん、探しましたよ〜」

いきなり扉が開いて話題の人間が現れる。スーパー根暗モードの名字さんは取り繕うのが遅れてしまって陰気な表情をセンパイはしっかり見てしまった。

「……夏目くん、イジメちゃダメですよ?」
「ハァ?言いがかりやめてくれなイ?ボクは名字さんと世間話してただけなんだけド」
「それにしては名前ちゃんどんよりしてませんか?もう、いくら夏目くんでも名前ちゃんのこといじめたら怒りますからねっ」
「センパイがちゃんと名字さんのこと好きで彼氏になってくれたのか不安なんだってサ」

さっきの長ったらしい話の根本はきっとこれだ。

「ちょっと!!」

名字さんが慌ててボクの口を塞ぎにくる。名字さんの手がボクに触れようとしたところで止まった。センパイがしっかりと名字さんの手首を掴んでいたからだ。
しかしセンパイも名字さんもお互い戸惑った顔で見つめあっている。数秒後、センパイは困ったように表情を崩す。

「ああ、俺ちゃんと君のことが好きみたいですね」

どのタイミングでの気づきなのかと思わず呆れてしまった。なんなんだこの人。相変わらずだなあ。
ちら、と名字さんに視線をやると感情がどこかに行ってしまったかのように虚無だった。名字さんは自分に興味のないセンパイが当たり前なのできっと信じられないのだろう。
償いたい、だなんて言っていたしきっと少しの間は罰になるんじゃないだろうか。センパイの本心を疑いながら過ごす日々はきっと穏やかではいられないだろうしね。
でもきっとこの話はハッピーエンドだ。そうなって欲しい、と願うくらいはしてあげるよ。