※月永と作詞家とは別次元です

可愛いという言葉はいつも妹に向けられる言葉だった。
妹ちゃんは目がぱっちりしてて可愛い。お鼻が小さくて可愛い。直接は言われないけれど"それに比べて"という視線は嫌というほど浴びてきたし私もそう思っている。妹はいつも他人に選ばれる方、私はそうじゃない方。それは昔からずっとそうなので今更どうこう言いたいわけではないけれどそういう経験からか私は自己肯定感があまり高い方ではない。
自己肯定感というのは元々備わっているものではなく育てられるものなんだと二十代に足を突っ込んだ今、痛いほど実感する今日この頃だ。世の中の人はこんな考えを甘えというのかな。

「ところで、あんたは結婚はいつするの?」

実家での用事を済ませ帰ろうとした時、母親にそんなことを言われてしまった私はゲンナリしてしまう。もう少し私が私を好きでいられたら多分彼氏を二、三人は作って結婚をして今頃、母の望むように孫を抱かせていただろう。
適当に返事をしてさっさと退散する。呆れ返った母親の顔を頭の中から追い払うがなかなか出ていってくれないので困ったものだ。
こんな私であるが唯一誇れることがある。それは曲を作ることができるということだ。これはそこそこの才がなければできない仕事で、この作曲家という職業において私はある程度までは天才でいられた。たくさん賞ももらってきたし仕事が途切れたことはない。

(と言っても評価される場面では二番手だけど)

月永レオ。この男は突然現れ、私が地道に作り上げてきた小さな自尊心をメチャクチャにぶっ壊した。砂場で静かに遊んでいたら急に他人が割り込んできて私が作った泥団子を潰して回ったような感じ。この気持ちお分かりいただけるだろうか。とんでもなく説明が一方的だが当時の私は悔しくて勝手に月永さんを恨んだものだ。
大人になった私はこれを落ち着いて考えられるようになっている。意識しなければいないのも同じだ。昔は月永さんより優れた曲を作ろう!なんて必死になったものだが今では賞を受賞しましたなんて連絡が来ても丁重にお断りするようにしている。どうせよくても二番手なのでね。……この時点でわかると思うがぶっちゃけるとほんの少し引きずってはいる。

「……あれ?」

震えたスマートフォンに視線を落として眉を顰める。私のスケジュールを管理してくれている友人からだった。明日の授賞式?に着ていく服は決まっているのかという内容だった。授賞式?と不審に思い電話をかける。相手の声が聞こえる前に口を開いた。こういうのは先に仕掛けたほうが勝てる。

「授賞式って何?私何も聞いてないけど」
「え?結構前に聞いたんだけど。久々に授賞式でない?って。そしたら"うん"って名前が言ったんだよ。メールも残ってるし言い逃れできないからね」
「うっそだあ、絶対ない。申し訳ないけど今から辞退しておいてく……」
「無理だが?」

食い気味に返事をした友人は切々と大人の約束とはの話を始める。ゲンナリ続きの私は途中で電話を切った。
どうしてもというならば友人が代わりに壇上に出るだろう。私がわざわざ会場に行くまでもない。仕事用のメールをスクロールしていくと確かに三ヶ月前ぐらいに詳細が来ていた。なぜ気が付かなかったのだろうか。ちくりと罪悪感は生まれたが私はすぐに蓋をする。追加で友人からは壇上に上がるための服は用意するので会場には必ずくること!と連絡がきたがトーク自体削除した。私はなんて子供染みているのだろうか。
帰宅した私は後ろめたさに蓋をするため、すぐ仕事を始める。こうしていればなんとなく自分を保てるし、私にも誇れるものがあると思える。音楽に携わるものとして不純すぎる?でもそうでもしないと私という存在は何も無くなってしまう。一つ一つの評価にとらわれず仕事をしていれば私は惨めにならずに済むのだから。
明日は何もせずベッドで丸まって過ごしてやる。そう思いながら明日の分の仕事に取り掛かった。実家での用事というのは昔のデータが入っているUSBの持ち出しだった。このUSBには未発表の作品が眠っている。今回の依頼のテーマに合うようなのがあったはずなのだ。アレンジして使いたい。
このUSBのせいなのか昔のことまで思い出してきた。あれはまだ私が授賞式にも出て精力的に活動していた頃、初めて月永さんと出会った日だ。うっちゅ〜、なんて風変わりの挨拶をされた私は唖然とした。この変なやつがあの美しい音楽を作ったのかと思うと詐欺もいいところだ、と困惑したのだ。黙ったままの私を澄んだ猫目がジロジロと見回す。

「こら!挨拶はちゃんとしないと感じ悪いぞ!」
「変な挨拶いきなりしてくるやつに言われたくないんですけど。なんなのそれ、挨拶なの?」
「挨拶!」

はあ?と私は精一杯の嫌な顔をしてその場を去ったのだが月永さんは気にしていないのか次に会った時にも普通に意味のわからない挨拶をされたので頭を下げて終わらせたのにずっと横で世間話をされてうんざりしたのを昨日のことのように思い出せる。あまりにも隣で騒がしいから「静かに前向いて!」と注意したんだっけ。
授賞式で顔を合わせるたびに「そのドレス似合ってる!可愛い!」と褒めてくるのも苦手だ。私はこういうふうに人に褒められたりしたことがないので反応に困る。私の妹ならうまく対応できるだろうが私には無理で無言で頭を下げその場を去ることしかできなかった。
そんな月永さんはアイドルになってからもずっと最前線で曲を書いて評価されている。目立つ人だな、とは思っていたけどアイドルになるとは思っていなかったのでネット記事でアイドルをしている月永さんを見た時は驚いてしまった。彼がアイドルになった頃は私は授賞式に出なくなっていたしなぜその道に進んだのかなんて詳しいことは知らなかった。……あ、でもそういえば。月永さんが長く曲を発表しなかった時期があってその時はぱったり名前を聞かなかったがアイドルの仕事関係で忙しかったのだろうか。どうでもいいけど。



(あれ?)

首の痛みで意識がクリアになる。どうやらあのまま寝てしまったらしい。あ〜、と首を回して充電が死にかけのスマートフォンの画面を明るくする。時間は朝の8時。夥しい数の着信だ。行かないと言ったのになあ。

「もうひと眠りしようかな」

そう呟いて椅子から立った瞬間、玄関が開く音がした。は、と一瞬緊張したが合鍵を預けている友人の顔を思い出す。直接説得しにきたんだなと友人の怒り狂った姿を思い浮かべながら玄関に向かった。

「しつこいよ、行かないって言ってるじゃん」
「あっ、う、うっちゅ〜……」
「……は?」

よれたスウェットに睡眠の質が悪かった私の肌状態、そもそも昨日お風呂に入っていない私と想像もしていなかった人物と目が合う。珍しくオールバックで正装の月永さんだ。おそらく今日の授賞式に出る格好なのだろうじゃなくて。

「なんで?」
「名前のおともだち?が手、離せないらしくておれが迎えを頼まれた!」
「ボケカスすぎる」

玄関で立ち尽くす月永さんを置き去りにし作業部屋に引き返した私はスマートフォンを耳に当てる。不在着信の相手に折り返したのだ。一向に出ない。沸々と怒りが込み上げてくるが流石に月永さんにぶつけるわけにもいかず乱暴に机に置いた。
よく知らないやつに人の家の合鍵を渡すなんて頭おかしいんじゃないの……。

「お〜い、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです。月永さんもホイホイ他人の家に来ちゃダメですよ」
「う〜……わかってるけどさ、名前も約束した仕事はちゃんと来ないとダメだろ?」

ぐうの音も出ない。月永さんにこんなこと言われる日が来るなんて悔しすぎる。

「とにかく名前のおともだちも困ってたし、早く準備して!」

な!と満面の笑みで私を外に出そうと月永さんが手を伸ばしてくるので少し考えてしまう。確かに元はと言えば私の確認ミスから起こっていることだ。確かに友人にも迷惑はかかっているしドタキャンなんて社会人としての信用も減るだろう。今回は諦めて次回から再発防止に努めるという結末が最適だろう。

「あの、私お風呂入ったりしないといけないので先に会場行っててもらえます?後からいくので」
「会場までちょっと距離あるし車の方がスムーズだし下の駐車場で待ってるよ」
「月永さんって運転できるんですね。意外」

失礼な!と月永さんに言われたがとりあえずスルーした。確かに特に時間に余裕がある訳ではないしお言葉に甘えた方がいいだろう。
月永さんに謝ってからすぐ準備に取り掛かる。化粧も変でなければもうなんでもいいだろう。
なんとか最短で支度を終わらせると駐車場まで降りて辺りを見渡すと俯きがちのオレンジ頭が目に入る。助手席側をノックしたが私に気が付かない様子で楽しそうに楽譜に色々書き込んでいている。仕方なくそのままドアノブを引っ張ると鍵がかかっていなかったのですんなり開いてしまう。

「すみません、お待たせしました」
「あっ、名前〜!見て見て、また名曲が生まれたぞ〜。一番最初に見せてあげるっ」
「はあ、どうも」

シートベルトをしながら楽譜を受け取って目を通す。
私は月永さんも苦手だがこの人の曲も苦手だ。天才すぎるのでこちらの意欲がなくなってしまう。

「どう!?」
「どうって……いつも通りですよ。天才です。キラキラしてますね」
「だろ〜?名前のこと考えてたらできたんだ」
「……」

こんなキラキラした曲、私のこと考えながらできるものではなくない?と思わず黙り込んでしまう。月永さんから見た私が信じられない。

「私のこと、どんなふうに見えてるんですか。ちょっとキラキラしすぎでは」
「えっ、そうか?名前は可愛くてすごく魅力的な女の子なんだけどなあ。海ってずっと見ていられるだろ?水面の穏やかなキラキラのイメージ」
「かわいい……?」

月永さんはニコニコと嘘のなさそうな顔で運転をしている。

「そんなこと言われたことないので戸惑ってます。自分のことを言われてると思えないですねぇ」
「え!おれいつも名前に伝えてたじゃん」

回想するが思い当たることはない。

「本当に思い出せないです」
「うっそだ〜!可愛いって会うたびに伝えてたじゃん」

ああ、それは覚えているけど、でもそんなの着飾った姿を褒めてくれただけで別に特別な言葉ではなかったという認識だ。

「いちいち本気で受け取りませんよ。ああいうのも、もうやめてくださいね。反応に困るし慣れてないので」

なんで!と月永さんが大騒ぎするのを無視する。ブツブツと文句を言うのが聞こえるが興味がないので窓の外を眺めることにした。
雨が降るのだろうか。あまり天気はよくない。

「……あのさ、式に出なくなったのっておれのせい?」
「そうですよ……な〜んて嘘です。私の問題だったので月永さんが気にすることは何もないです」

ふぅん、と黙り込む月永さん。車内の空気もあまりよくない。でもまあ、これ以上変な空気にもならないだろうしきちんと話しておいた方がいいかもしれない。

「……今から話すことは独り言なので返事はしなくていいですからね」

ありきたりな前置きを私の人生で使用するなんて思ってもいなかったな、と窓の外に視線を固定したまま話を始める。

「私、昔から秀でたところがなかったんです。そんな私でもすごいねって言ってもらえたのが音楽だったのでこれだけは誰にも負けないって気持ちでコツコツ自信を集めてきたというか。それしかなかったんですよ。今も音楽を続けているのもこの道しかないからなんで純粋に音楽はしてないんです。突然現れた月永さんが音楽の分野で私より遥かに天才でみんなに愛されるような人だったのでなんでか全部持っていかれちゃった気がして折れた時期があったんです。簡単にいえば拗ねたんですけど。あ、さすがに今はもうそんな子供じみたことは思ってませんよ?」

愚かでしょ、と言ったけどこれは独り言なので返事はない。返事をされても困るけれど。

「評価や世間を気にしなければ私は穏やかでいられたので授賞式だとか何かそういう関連するものは全て避けることにしたんです。ただそれだけなんですよ。だから月永さんのせいでもなんでもないんです」
「独り言に返事してもいい?」
「あんまりよくはないけど、どうぞ」

月永さんはほんの少し躊躇う素振りを見せてから話し始めた。

「おれって大事な人が結構いるんだけどその中でも妹のルカたんが特に大事で、おかあさんのこともおとうさんのことも同じぐらい大事。ちょっと意味が違うけど名前のことも大事」

うん?と窓の外から月永さんに視線を移す。顔は真剣だ。

「初めて会った時、本当にキラキラして見えたんだよ。名前が眩しくて構って欲しくて色々アプローチしたんだけどおまえといえばクールにあしらってくるだけで全然脈なし!ルカたんもそう言ってたし、多分そうなんだろうなあ、って自分でも思っててさ。みんなに愛されるって名前は言ったけどさ、愛してほしい人に愛されなかったらちょっと虚しい」
「これ返答ってした方がいいですか?」
「できればして……っ!」

自分から言ったもののなんて返事をすればいいのかはわからない。これって月永さんが現在進行形で私を好きってことだろうか。それとも好きだったという話だろうか。

「なんて言ったらわからないですけど大抵の人間には愛されてるのに欲張りだなって思いました」
「そういうところ……!結構勇気出して話たんだぞ!?なんかこう、……なんかあるじゃん!」
「だって月永さんが私のこと好きだったってことですよね。あまりにも気が付かなすぎてそうなんだ〜って感じです」
「過去形にしないで!今も大好き!」

ストレートすぎて困ってしまう。

「あの、とても疑問なのですが月永さんが私を好きになってくれて今日までその気持ちをキープしてくれていた理由が分からず……。ちょっと困惑してます」
「……説明しようと思ったけど難しい!!この難しさで曲が書けそう!」
「前見て運転してくださいね」

恋心を説明しろだなんて確かに無茶な要求だと自分でも思う。でも私は私のことを好きになるような人間を信用できないのでちゃんと詰めておきたい。

「名前はおれのこととかあまり知らないだろうけどさ、おれは名前の曲ずっと聴いてきたよ」
「はあ、まあ、ありがとうございます」
「また適当な反応する……」

大きめの建物が見えてきた。おそらくあれが会場なのだろう。
煮え切らない空気のまま会場入りをすると待ち構えていた友人にトイレに引き摺り込間れ、個室に押し込められた私は着替えるように指示を出されたのでノロノロと着替え始めた。

「ねえ、もし全然意識すらしてなかった人に好きとか言われたらどうする?」
「何、あんたと月永レオの話?」
「ええ、なぜそれを……」

個室の前から大きなため息が聞こえた。驚く素振りもない。

「なんか、反応薄くない?月永さんのこと何か知ってた?」
「定期的に月永さんに仕事で会うことがあるの。名前の近況とかすごい聞きたがるしプライベートのこととかさりげなく聞いてこようとするしで気があるんだろうなあ、って思ってただけ。まさかガチとはね」
「勝手に色々話してないよね?」
「スリーサイズは流石に私もわからなかったから教えてないよ」

こわ、とつぶやきながら小ぶりなチャックを上げる。背中が服に収まってスッキリした。友人が髪を纏めてくれて最終チェックを受け外に出る。

「あっ、名前!場内まで一緒に行こう〜」
「トイレの前でずっと待ってたんですか?次から絶対やめてくださいね」

ここから友人は別行動らしくどこかへ消えていった。それを見送っていると横から紙を差し出される。

「これ名前の。さっき渡した曲」
「あ」
「おまえ、車の中に置いていっただろ!ちゃんと持って帰れ!」
「なんなの本当に……」

小さなバッグに折り畳んで入れるのを確認した月永さんは鼻歌を歌いながら先を歩いていく。きっと頭の中ではまた新しい曲が作られているのだろう。

「あ!」

何か思い出したようにこちらを振り返って両手をおおきく広げる。

「名前、今日も可愛い!」

にこ!と光が飛ぶような笑顔でそう言われた私は立ち止まってしまった。

「ちょっと、やめて……」

思わず頬を抑える。この人は自分のことが好きなんだ、と意識してしまうと流石に動揺する。静かに私に影がかかったので月永さんが近くに来たのだと顔をあげられずに床を見続けたが横から覗き込まれ無駄に終わった。

「お、やっと意識してくれた?」
「少しは」

やった〜、と気の抜けた声で喜ぶ月永さんは私の手を引いて廊下を進んでいく。人の目もあるのでやめてほしいが手を振り払うほど嫌ではない。

「毎日、名前に曲書いて送っていい?おれのこといっぱい知ってほしいからどこかお出かけもしたいし名前のこともいっぱい知りたい」
「私に彼氏がいるか確認しないんですか?」
「名前の友達がいないって言ってた」

あの女、と心の中で悪態をつく。壇上までの道がひどく長く感じて仕方がない。
ああくそ。この男は私の全てを乱してくる。絶対的に相性が悪すぎる。顔が熱いのは気のせいだと思いたい、なんてごちゃごちゃ考えながら数年ぶりの壇上に上がる。私が姿勢を正すのと同時に司会が話し始めた。
これが終わったらドライブ行こうな、と隣から囁かれた私は笑顔を返しながら頭を抱えていた。
いつ結婚するのという母の言葉をここで思い出してしまった私を誰か殴ってくれ。