※海の底の世界線
「ねえ、俺言ったよね?」
私と体温計を見比べながら凛月くんがそう言い放った。居心地の悪い私はゆっくり毛布を引き上げてごめんなさい、と口の中でもごもごと返事をする。
凛月くんの怒っている内容は私の体調管理についてだ。最近、担当アイドルの調子が良く衣装のデザインや各スポンサーへのプレゼンなどで体調管理が疎かだったので散々凛月くんに注意されてはいた。自覚していたけど"いや、まだ働ける!!"の思いが先行してしまっていて「ちゃんと寝なよ」、「ご飯食べてないよね……?ほら俺が作ってあげたから食べて…、はあ?見た目がやばい?つべこべ言うな」などと普段はこちらがお世話するのが常だがそれを逆転する現象が起きるほどだったのだ。
「気分はどう?おまぬけさん」
「うう、気持ち悪いしとんでもない程の寒気が止まらない……」
「医者じゃないから分からないけどまあ、風邪だろうね」
呆れた、と言わんばかりのジト目で、どすんとベッドに腰掛けるとそのまま寝転がる。
「……移っちゃうよ」
「し〜らない。誰かさんが俺の言うこと聞かなかったように俺もきかな〜い」
視線を合わせるように私に向き直るとよしよしと頭を撫でられる。
「まあ、最近は大活躍だったけどね。えらいえらい」
大活躍かあ、と思わず笑ってしまう。そうだったかな。でも本当に頑張った数ヶ月だったと思う。お父さんがくれた作曲の仕事が終わってみんなにも褒めてもらえて自分の曲を演奏してもらえた時は嬉しくて思わずおいおいと泣いてしまう程だった。
「あの時、現地に呼んでくれたじゃん?海外でオーケストラの演奏聴くの久々だったから楽しみだったのに指揮台に見知った顔が乗っててびっくりしちゃった。椅子から落ちそうになったんだけど」
「あはは、凛月くんには内緒だったもんね。お父さんが自分で作った曲なんだから自分で指揮しなさいって急に言うもんだから私も驚いたんだよ……」
「緊張しすぎてて歩く度にブリキの錆びた声が聞こえそうでハラハラしたなあ…」
目線がばちんとあって二人同時に笑い合う。
当初、凛月くんを呼ぶ予定はなかった。忙しいだろうし私が作った曲のデモは渡してあったからだ。でも急に決まった指揮者デビューを絶対に見てもらいたい!と慌てて連絡して凛月くんもなんとか都合を合わせてくれたんだっけ。
「指揮者の姿も悪くなかったかなあ。肩書きが増えたねえ」
「尊敬しちゃう?」
「う〜ん、人の言うこと聞かないで風邪ひいて寝込んじゃうような一面もあるし?微妙かなあ」
くす、とわらって私におでこを寄せる。
「元気になったらおでかけしたいなあ」
「うん、凛月くん行きたいところ考えておいてね」
「ま〜くんも心配してたよ」
うん、と頷くと凛月くんはおでこを離す。
「ちょっと熱上がってきた?薬のもっか。おかゆなら食べられそう?」
「凛月くんのお粥かあ」
「なに。文句あるわけ?」
見た目が独創的になるのはお菓子だけじゃない凛月くんの料理はちょっと、いやかなり食べる勇気を出すのに時間がかかる。
「ないです」
私の言葉によろしい、と満足げに笑って部屋の外に出ていく。
「寂しくないようにドアを開けておいてあげるね」
「ふふ、ありがとう」
私が微睡み始めた頃、包丁の音が優しく聞こえてきていた。