これの世界線

「あんた辞めるんだって?」

泉くんが興味無さそうにそう言った。私はぐう、と唸ると小さな声で「まあ、はい、うん。」と返す。なんで私が申し訳なさそうにしないといけないんだ!?

「へえ?案外根性ないんだ。」

「返す言葉もございません…。」

私は秋頃から凛月くんに度々血を強請られるようになってからというもの軽く病んだ。怖い。怯える私を面白がるようにして眺める凛月くんは本当に私のストレスだったように思う。よく耐えた、私、エラい。
やめてと言ってもやめてくれないし私が彼に何をしたというのだろうか。

「ま、くまくんもやりすぎだと思うけどねえ。次決まってるの?」

「あー、なんか別の事務所からマネージャーやらないかって誘われてて、決まってはないんですけどね!そっちでやっていこうかな〜なんて。ははは。」

「あっそう。」

なんとなく嫌な空気が流れた気がして私は頬をかいた。まあ、そうだよね。泉くんからしたら途中で放り投げられ別に行くと言われたんだからそりゃあ、まあ。気分は良くないだろう。ただここで嘘をついても現場が被れば会ってしまうのだから今言ってしまったほうが気が楽だ。詳しくは伝えなかったが次の担当ユニットもぼんやりだが決まっている。UNDEADだ。凛月くんのお兄さんがいるからかなり悩んだが次の仕事が決まらないよりはマシだった。背に腹はかえられずちゃんと返事はしていないがまあUNDEADとしばらく仕事をするのだろう。

「へえ〜?あんた辞めるんだ?」

「うわ、いつからいたの??」

背後から声をかけられた私は縮み上がる。凛月くんだ。うわ〜!?すごい圧に囲まれた!怖い!!

「今失礼なこと、考えたよねえ!?」

「イッターーーーーー!!!!」

頬をぎゅっと摘まれた私は大声で抗議した。ギリギリと私の頬を一頻りつねり上げた後、ぶちギレたまま泉くんは鼻を鳴らし、どかどかと事務所を出ていってしまった。こわ。

「で?いつ辞めるの。」

「ああ、ええと。来月の中旬頃の予定かな。お世話になりました。」

「言うの遅。」

はあ〜、と思いため息をつくとごろ、とソファーに寝転がった。……わたしもどこか行こっかな、とそわそわしていると凛月くんは再度口を開いた。

「俺のせい?」

「え」

「俺のせいで辞めるの?」

思い当たることがあるのだろうか。凛月くんは天井を見ながら青空スタイルでぼそぼそと聞いてくる。

「……一身上の都合だよ。寿退社なんちって!」

「嘘つき。」

ぎろ、と赤い目が私を捉える。反射でそらすと凛月くんは呪いの言葉を暗い声で呟いた。

「……嘘つきって…。」

「なんで怒ってくれないの。俺のせいだって怒ればいいじゃん。」

「いや、そこまでのことではないじゃん…。」

「そこまでのことでしょ。あんたは仕事を辞める。俺のせいでね。」

しん、とした沈黙が痛くて私は腕をさすった。思いのほか重苦しい空気になってしまっている。

「………辞めないでよ…。」

「………え?」

「わがまま言わないし、ちゃんと言うことも聞くし、もうあんたの嫌がることしないから…。」

珍しく凛月くんは弱々しく声を絞り出している。

「………はあ。」

驚いた私はそう一言呟くと首を捻った。

「凛月くん、わたしのこと嫌いなんじゃないの?」

「は?俺の様子を見てわからない?」

正直分からない。

「鈍すぎ。信じられない。こんなに落ち込んでるっていうのにあんたのこと嫌いだなんでおかしいでしょ。」

「いやあ。」

理解もできず黙っていると流石に痺れを切らしたのだろうか、大きな舌打ちをした。その様子に私は申し訳ない気持ちさえ出てくる。なんで私が申し訳なく思わなくてはいけないのかも謎だが。この疑問、本日二回目です。

「だから、俺はあんたのこと嫌いじゃないし、むしろ………まあ、そこはおいおい察してもらうとしてこれからも一緒に仕事したいって思ってるの。だから…やめて欲しくないなあって。」

「…なんか……よく分からないんですけど…とりあえずもう一回考えてみるよ。その前にだけど、今後私に噛みつかない、意地悪しないって約束してくれる…?」

「もちろん。あんたが辞めることを考えるほど嫌がってるって分かったからねえ。程々に。」

「いや、怖いんだよ!痛いし……!」

「ごめんね?」

くう!顔が良いって腹が立つ!!!!きゅる、と音がしそうな顔をしおって!ムカつく…!と私が頭を掻きむしっていると凛月くんがいつの間にか私の辞表を手にしており勢いよく破った後何故か持っているライターで炙ろうとしたところを取り押さえる。

「ちょ!!!火災報知器なるから!!」

「やっと仲直りしたわけえ?」

私と凛月くんが取っ組みあっているのを見てダルそうに泉くんが声をかけてきた。これで仲直りだと思ってるならちょっと感覚おかしいよ。ほら、と缶コーヒーを投げられ慌ててキャッチをする。ふ、と泉くんは私に笑いかけると仕事に戻るように言った。

「とりあえず、様子見で続けますけど……凛月くん!ほんと頼んだよ。」

「任された〜、ふぁ、」

気の抜けた炭酸みたいな声で返事をするとすやすやとそのまま意識を飛ばしたようだ。ヤレヤレと泉くんがくれた缶コーヒーのプルタブを開けるとインスタントの美味しい香りがした。