普段は口にしないけれど、ある特定の時になら伝えられる言葉というものはたくさんあると思う。

「あの……、沖、田さんっ……!」

縁側から空を眺める広い背中。
私は沖田さんを見つけると、いつもなら難無く口にできる名前を若干吃りながら呼び上げた。

「ん?」

沖田さんはゆらりと顔を動かすと視線だけで私を捉える。

「どうしたの?とっても怖い顔してるんだけど、君」
「えっ……?嘘っ…?!」

慌てて自分の頬に触れながら確認してみると、沖田さんは身体ごとこちらに向いてニコリと微笑む。そんな表情は彼と出会った時から知っていたから、私は確認する手を下に降ろして質問を投げつけた。

「もうっ…!沖田さん、また私を騙しましたね…?」
「別に僕は騙したつもりはないんだけど?」
「でも…!」
「ただ、千鶴ちゃんが可愛かったからつい、ね。それに、いつもと違って表情が強張ってるのは本当だし」

沖田さんは悪びれる様子もなく悪戯っ子みたいに笑うと、自身の隣の床をコンコンと叩いた。

「それよりも、僕に話があるんでしょ?聞いてあげるから、隣、座りなよ」
「は、はい……」

そうだ、と自分の用件を思い出す。本当に私は強張った表情をしているのだろうか。沖田さんの隣に正座をすると、拳をギュッと握りしめて彼を見上げた。

「あの…、沖田さんは今日が何の日か覚えていますか?」
「ん…?」

沖田さんはほんの一瞬思考を巡らせる素振りをするも、緩く首を左右に振って視線で私の言葉を促した。

「今日で私と沖田さんがここで暮らし始めて丁度一年が経つんです」
「……。」
「それで…ですね、」

無言で私を見詰める沖田さんに緊張しつつも言葉を続ける。

「此処は何も無い静かな場所です。でも、沖田さんと過ごした一年間は退屈することなんて一秒たりともありませんでした」

私の胸に沸き起こるのは沖田さんに抱きしめてもらった時の温かさ、口付けを交わした時の緊張感、からかわれたのになぜか本気で怒れない擽ったさ…。多くの思い出に自然と笑みが零れた。

「だから、今日は沖田さんに感謝の気持ちを伝えたかったんです。私は今も、いいえ…、一年前よりもっと沖田さんのことが……っ?!」

今日、最も伝えたかった言葉が突然沖田さんの唇に奪われてしまった。
逃げられないようにと大きな手の平が頭の後ろの髪の毛をくしゃりと掴んで、角度を変えながら優しく下唇を食まれる。今になっても慣れない甘い口付けから齎される自分がどこかに飛んでいってしまいそうなこの感覚。自分の居場所を確かめるようにギュッと沖田さんの着物を掴んだ。

「ん、ふ……」
「ね、千鶴ちゃん。これ以上喋ったら殺しちゃうよ?」

明らかに殺意のない綺麗な翡翠色の瞳がお互いの鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離で私を見詰める。

「で、でも私…!」
「だーめ、許してあげない」
「ちょっ…、沖田さ……!」

もう一回言葉を遮るように軽い口付けが落とされると、今度は沖田さんの胸元に顔を埋めるようにきつく抱きしめられる。驚いて離れようとしたが、それを阻止するように余計に腕に力がこもった。

「く、苦しいです…、沖田さん…」
「嫌だ」
「また子供みたいなこと言って…」
「千鶴ちゃん…?」

ほんの少し腕の力が弱まって、耳元で名前を呼ばれる。

「君のこと愛してるよ。今までも、これからも」
「それ、私が…」
「んー?先に言ったもん勝ちだと思うけど?」
「狡い…。私だって沖田さんのこと…」
「駄目だ、って言ってるでしょ?ほんと、君は聞き分けが無くて困っちゃうな」

呆れたように沖田さんが言って、弱まった腕の力がまた私をきつく抱きしめて言葉を遮る。これ以上の言葉を紡がせてもらえないことを悟った私は、せめて態度で伝えようとぎこちなく沖田さんの広い背中に手をまわした。
これで少しは私の気持ちが伝わったのだろうか。結局、沖田さんから返事の言葉は無かったけれど、そのかわりに優しい口付けが私の額に落とされた。


ちょっと黙ってマイハニー
そうじゃないと僕がどうにかなってしまいそうなんだ


Fin.

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