黒子くんは最初から私の世界に当然のように存在していた。
 入学式の日、私は知り合いが誰もいないこともあって、自分の出席番号が振られた席にぼーっと座っていた。後で必ずやることになるだろう自己紹介はなんて言おう。人前で話すことが苦手というわけじゃないけれど、人並みに緊張はするから困る。真面目にいくべきか、それとも少し面白いことも言ったほうがいいのか考えていると、私の隣の席からガタン、と机にしまわれていた椅子を引く音が聞こえた。
 隣なんだから挨拶くらいしてくれてもいいのになぁ。そう思って顔を向けると、白い制服に水色の髪の毛が映えるその男の子は、すでに準備を整えたようにキチンと座って小説の文字を追っていた。

「おはよう」
「…………」

 反応なし……か。ちょっと傷つくなぁ。自分でもよくわからないけどなんだか心がモヤっとして、今度は身体をその子の方に向けてみた。

「お、は、よ、う!」
「あの……、もしかしてさっきのもボクに対して挨拶してくれていたんですか?」
「は……?そんなの当たり前でしょ?」

 この子は何を言ってるんだろうと首を傾げると、「すみません、ちょっと驚いてしまって」と眉を八の字にして、でも、どこか嬉しそうに小さく笑った。

「さっきは本当にすみませんでした。無視したわけではないのですが、まさかボクに向けられているとは思わなくて……。えっと、ボクの名前は黒子テツヤです」

 手にしていた文庫本を机に伏せて、黒子くんは私と向き合うようにイスを動かした。そして、まるで効果音がつくんじゃないかと思うくらい丁寧にお辞儀をした。
 それが、私と黒子くんの出会い。それから一週間経った頃になって、ようやく、入学式の日に黒子くんが私に声をかけられて驚いていた意味がわかったような気がした。
 黒子くんは影が薄いのだ。それも、極端に。自己紹介の時だって、出欠をとるときだって、誰も黒子くんに気づかなかった。そして、名簿には名前があるのに本人がいないじゃないかって皆が不思議に思ったときになってようやく、彼は「黒子はボクです」と名乗り出ていた。
 どうして皆は黒子くんに気づかないのだろう。私の目には黒子くんがはっきりと映っているのに。
 最初はただの興味だった。まるで、私にはお化けが見えるんだよ、みたいなそんな感じ。でも、興味本心で彼の姿を追っているうちに、どんどん黒子くんのいい所が見えてきて、それに比例してどんどん彼を好きになっていった。
 花瓶の水がいつのまにか新しくなっているのも、黒板がいつのまにか綺麗になっているのも、全部全部。その正体が何なのか私だけが知っている。言うなれば、私だけの特権。

「はぁ……。名前っちはほんとーに黒子っちのことが好きなんスねぇ……」

 話を聴きながら、黒子っちが羨ましいっスわー、と溜息交じりに言った黄瀬を無視して、私はファミレスの机をバン、と叩いた。驚いたように目を開いた黄瀬はビシッと姿勢を正してこちらを見る。

「ちゃんと聞いてる? 私は、真面目に相談してるんだから、もう!」

 黒子くんを追ってバスケ部のマネージャーになった私は、2年になって入部してきた黄瀬と一緒にファミレスに来ていた。
 黒子くんへの片想いは、まもなく2年目に突入する。そんなある日、重大な事件が起こったのだ。うちの部でまともに恋愛相談ができるのはおそらく黄瀬だけ。だから、ドリンクバーをおごってあげると言って半ば無理矢理黄瀬をここへ連れてきたのだ。

「あーはいはい、聴いてるって。んで? 重大事件って何なんスか?」
「それがさ、今日、黒子くんに『あなたがそばにいると調子が狂います』って真顔で言われた」

 思い出すだけで身震いしてしまう言葉。

「言い忘れてたけど、ほら、黒子くんてなんとなく恋愛には疎そうじゃない? だから、私なりに色々アタックをしていたわけよ。たとえば、朝こっそりと……、いや本人にはそのつもりはないんだろうけど。とにかくこっそり教室に入ってきた黒子くんに一番に挨拶したり、一人で黒板消ししてた黒子くんにお疲れ様って声かけたり……。
 2年になってクラスが分かれちゃっても、部活の時は必ず黒子くんに話しかけて、一番最初にタオル渡して、他の部員には節約の為に薄めのスポドリ作って飲ませてたけど、黒子くんだけはちゃんと分量どおりに作ってあげるとかさ」
「え? ちょ、それ酷くないっスか? 文句は言わないようにしてたんスけど、名前っちの作るスポドリはずっと薄いと思って、」
「あ?」
「あ、いや、何でもないっス……」
「とにかく、こういうことをずっと続けてたら、今日の部活のときに突然……ね」
「んー、ふつーに考えてそれって、めいわ、」
「うぅ…………!」
「ちょ、あ……! 泣かないで欲しいっス!例えばの話だーかーらー!」

 黄瀬のばかぁ、と言いながら机に顔を伏せると、困ったようにうろたえながらフォローを入れてくる黄瀬の声が聞こえてきた。別に泣いてるわけじゃないけど、今日は奢ってくれるらしいからいいか。ケーキも頼んじゃおうっと。
 ストローを咥えてズズズ、とメロンソーダを飲みきると、腕を組んで何かを考えている黄瀬を見た。突然、何かを閃いたように表情を明るくすると、得意げに笑ってから私を見返す。

「ふっふっふっ……! 恋愛マスター黄瀬から、迷える名前っちにアドバイスっス!」
「うわ、うっざ……」
「じょ、冗談っスよ! だから、そんな冷たい目はやめてっ!」
「で? 恋愛マスター様のご意見は?」
「うー、棒読みは結構傷つくっス……。あー、えっと、押してだめなら引いてみろ作戦っスよ!」
「ほう……」

 私は身を乗り出して黄瀬の言葉に耳を傾ける。
 そして、翌日から、黄瀬プロデュースによる、押してだめなら引いてみろ作戦が開始された。

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