バカバカしい、と何度思ったことだろう。
 一つ、着るのに時間のかかる高価で派手な着物。
 一つ、他の女よりも少しでも自分を美しく見せるための化粧。
 一つ、遊女である自分自身。

「また、来てくださったんですね……、高杉様」
「…………」

 嬉しゅうございます、と首を傾げて微笑んでも、視線の先の男性は何も言い返してくれなかった。
 ここは、吉原遊郭の中でも五本指に入るほど有名な店だ。だからこそ、やって来る客はテレビでよく見る政治家だったり、有名人であることが多い。
 今、自分の目の前にいる男も然り。いや、有名と言うよりは悪名高いと言ったほうが正しいのかもしれない。詳しいことは世間の出来事にさして興味のない私には知りかねるが、なんでも、多くの幕府の重鎮さんたちを殺しているのだとか。もちろん、その犠牲者の中には、私をひいきにしてくださっていたお客様もいた。別にそれを恨んでいるわけではない。なぜなら、高杉様は、あの男たちが落としていった金の総額を倍にした金額を、やってくるたびに置いていくのだ。
 そのため、彼は、店の中でも最上ランクの客と認識されている。店の最上階にある調度品に贅を尽くした大部屋は、最近はもっぱら彼のためだけに使われ、遊女たちの間では「高杉の間」なんて呼ばれてさえいる。
 もちろん、用意してある料理や酒も、この江戸で手に入る最上級のものだ。それなのに、今日の高杉様はそれらには目もくれなかった。
 部屋の入り口で正座をして彼を向かえた私の横を無言で通り過ぎ、値段を計算するのが面倒になるほどの料理は最初から彼の視界には映っていなかったかのごとく素通りされてしまう。
 彼が向かったのは、入り口の直線上にある襖だった。意味ありげに閉じられていたそれを乱雑に開け放つと、そこには、一組の寝具がオレンジ色の行灯の光に照らされていた。

「今日は随分とせっかちなんですね。貴方らしくない……」

 小さくからかうような笑みが言葉とともに浮かんだ。
 せっかくの料理に手をつけないのなら、時間が経ってしまわないうちに下げさせてしまおうか。そう悩んでいたら、それを邪魔するように、私の背中にズシリと何かがのしかかった。

「……ッ!」
「客を放っておいて考え事たァ、いいご身分じゃねェか……」
「申し訳ございませっ、んぅ……っ」

 彼のすらりとした指が下顎にそっと添えられ、首が痛くなるくらい無理矢理に顔を後ろへと向かされた。首筋のツンとする痛みに眉をひそめていると、高杉様は、まるで真っ赤な林檎を齧るように、その唇で私の口を塞いだ。彼の舌が唇をなぞっていく、微かなくすぐったさに目をきつく閉じた。
 顎を支える手はそのままに、彼の親指が引き結んでいた唇をこじ開ける。抵抗なんてする暇もなく、二つの舌が絡まった。絡まるだけじゃあない。だらしなく開いた口から伝い落ちる唾液を舐められる。熱を帯びた舌を吸われさえもした。
 この体勢はあまりにも辛すぎる。私は高杉様の首にすがるように手をまわすと、身体をぐるりと回して互いに向き合った。
 この体勢になった時、前結びの帯を解くのなんて容易いことだ。しゅるり、と布が擦れる音と同時に、身体を支配していた圧迫感が一瞬で消え去った。すでに、顔の正面できっちりと合わせていた襟が、肩あたりまでずり下がっていた。

「随分と良い格好だ……」

 高杉様は、酸素を取り込むため必死に呼吸をする私を見下ろすと、手の甲で己の口を拭いながら言った。その姿のなんと妖艶なことだろう。一枚の絵画を前にしているような不思議な感覚に襲われた。

「これで終わり……、なんてことは、ないのでしょう?」

 ほんの少しだけ意地悪な言葉で問うと、彼は、挑発的な笑みを浮かべながら私の肩を掴み、そして、畳の上に組み敷いた。

「どうだかなァ……。お前はどうだ? これで仕舞いにするか?」
「私、は……」

 私が思っていたよりも高杉様はずっと意地が悪いらしい。逆に丸め込まれてしまった私は、左手をすっと伸ばして高杉様の頬に触れた。高杉様の秘密を全て隠しているような包帯がある右頬にはどうしても触れられない。彼は訝しげに眉をひそめた。

――どうしようもなく高杉様が欲しいのです。

 そう言って、軽く上半身を起こして口付けた。
 身体の力を抜くようにして、もう一度畳に背を預ける。見上げた唇は、どこか勝ち誇ったような笑みをたたえていた。

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