今日の練習もキツイ。言葉には出さないものの、リストバンドで汗を拭うたびに自然と溜息が零れてしまう。休憩の号令が赤司くんの口から聞こえると、一軍メンバーは皆、用意してあったスポドリのもとへ早足で向かう。
 ボクも同じように自分のボトルを手にとって一口飲むと、その瞬間に感じた違和感に首を傾げた。

「青峰くん、今日のスポドリはいつもよりもずっと薄くないですか?」
「何言ってんだ、テツ。こんなのいつも通りじゃねーか。ったく、名前が作るのは薄くて味がしねぇ」
「そう……ですか」

 飲んだ気にならねーよ、と悪態をつく青峰くんをよそに、ボクはもう一度スポドリを口に含んだ。やっぱり、いつもより薄い。でも、青峰くんにとってはこれが普通らしい。まるで探偵みたいに顎に手を添えてこのナゾを考えていると、「お疲れ様でーす」と明るい声が体育館に響いた。名前さんだ。

「はい、緑間くんのタオル!」
「あぁ。すまない」
「んーと、これは……、はい!青峰の」
「サンキュ。つかよぉ、ついにテツまでスポドリに文句言い出したぞ?」
「え……?あぁ……」
「いえ、ボクは別に文句ってわけじゃ……」
「んだよ、テツ。不味いですって言っちまえばいいんだよ」
「もう、青峰! 文句があるんなら、赤司くんに言って! こっちだって部費をやり繰りするの大変なんだよ? ただでさえ、うちの部活は遠征が多いんだから、節約は重要なの!」

 名前さんは、ボクのことはほとんど見ないまま青峰くんに向かって怒った。しゅん、と心が縮こまるような気がする。何か言おうと考えていたところで、彼女は黄瀬くんにタオルを渡すために走り去ってしまった。


******


 スポドリのことがあってから1週間。ボクの見る世界はだんだんと色褪せていくような気がした。
 誰かに気付かれないなんて、当たり前のこと。それをどうにかしようと思ったことはない。唯一、バスケをやっている時だけ世界が輝いて見えて、それだけで生きていくには十分だった。それを変えてしまったのは彼女だ。
 人ごみの中でも自分を見つけてしまう瞳がなんとなく怖かった。人目を気にするということは初めてで、ボクのやっていることは何か間違っているんじゃないかと、彼女の目に映るボクはおかしくないだろうかと、妙に気にしてばかりいた。でも、ボクのそんな不安を知らない彼女は、いつも笑って、お疲れ様と言ってくれた。ボクより小さいのに精一杯背伸びをして一緒に黒板を消してくれた。
 それからだ。ボクが欲張りになってしまったのは。名前さんはちゃんとボクを見ていてくれるとわかっているけど、それでもやっぱり彼女の気を引きたくなってしまう。こんなの自分ではないような気がして、だからボクは彼女に「調子が狂う」と純粋な疑問をぶつけるように言った。

「名前さん……」

 部活が終わったあと、体育館倉庫でボールの数を数えていた名前さんに後ろから声をかけると、彼女は驚いたように身体を揺らしてからこちらを見た。手にしていたボールが床に落ちる音がやけに大きく聞こえる。

「く、黒子くん……!」
「すみません、驚かせてしまいました」
「ううん、大丈夫……だよ。もう帰っちゃったかと思ってたから」

 そう言って笑顔を見せてくれたものの、その笑顔にはどこか影が差しているように見えたのは気のせいではないはず。ボクは「謝りたいことがあります」と言いながら、床に転がるボールを拾い上げると、ボール入れの中に投げ入れた。

「ボクはこの前、あなたがそばにいると調子が狂うと言いました」
「……そう、だね」
「あれが完全にウソ、というわけではありません。調子が狂うのは本当なんです。誰にも気付かれないことに慣れているボクが、あなたにだけはボクを見ていて欲しいと思ってしまうなんておかしいと思ったから」

 でも、と逆説の言葉を続けようとして名前さんの表情を覗き込むと、今にも涙が零れてしまいそうなほど潤んだ瞳が、じっと我慢するように床を見つめていた。どうしてもっと上手に自分の気持ちを伝えられないのだろうかと、自分自身を殴りたくなる。いくら脳みそをフル回転させても、彼女を安心させてあげられるような上手い言葉は一向に浮かんでこなくて、自然と言葉の代わりに手を彼女の頬に伸ばした。
 すると、小さく肩を震わした名前さんの涙が、ポロリとボクの手の平に落っこちた。

「でも、ここ1週間、あなたがボクのことを避けるようになって、とても怖かったんです。ついに、あなたの目にもボクは映らなくなってしまったんだ、って。ここでようやく気付きました。調子が狂うのも全部、ボクが名前さんのことが好きだからなんです」
「黒子、く……ん」

 ぐすり、と鼻水をすすような動作を見せて、名前さんはさらに大粒の涙を瞳から零した。何度拭っても涙はなかなか止まらなくて、彼女を笑顔にしてあげたいボクの心はひたすらうろたえるばかりだ。

「バスケ以外で、誰かと世界を共有できたのは初めてだったから……。だから、嬉しかったのに、その理由がわからなくて戸惑っていたんです。ごめんなさい」
「……、わたし、も……」
「え?」
「私も、す、き……」

 そう言って名前さんが顔を上げたとき、ボクはこのまま死んでしまうのではないかと思った。今まで見たことがないような笑顔がボクだけを真っ直ぐに見ている。涙の粒が宝石みたいにきらめいて、ボクの目に映る世界を一瞬で輝かせた。まるで雨が降っていた空に陽がさして虹が浮かんだみたいだ。

「名前さん、ありがとう。それと、大好きです」

 彼女の頬に手を添えてお礼を言うと、一瞬、恥ずかしげに目を伏せた名前さんは、小さく頷いてからボクの胸元に顔を埋めた。控えめにボクの背に手を伸ばすキミがどうしようもなく愛しくて、やっぱりボクは調子が狂う。でも、今ではその理由がはっきりとわかっているから大丈夫なんです。
 ボクは、名前さんの涙がおさまるまでずっと、彼女を抱きしめ続けた。



繋がる世界



Fin.



ハチさんからいただいたリクエストです!
初の黒バスの小説…!ちょっと…、いや、かなりドキドキです(笑)いかがでしたでしょうか?リクエストだからもちろん本気で書きましたよ。それでも、初めてにしては上手くいったかなぁ…なんて思ってしまいます(笑)
ハチさん、リクエストありがとうございました!ハチさんの仰るとおり、黒バスにはまりそうですよー!


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