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 着物は嫌いだ。いや、正確に言うならば、衣服としての機能を果たせばそれでいいのに、それを良しとせず、男性客の目ひくために無駄に凝るこの着物が嫌いなのだ。一着買うのだって大層なお金が要る。なにより、着付けるのに時間と手間がかかるではないか。
 化粧だって同じ。限られた道具を用いて、少しでも他の遊女たちとの差をつけねばならないと思うと、やはり面倒なのだ。
 それでも、と私は、高杉様の腕の中で涙を流した。
 バカみたいに美しく着飾ることで、貴方が、何百、何千といる女の中から、この私を選んでくださるのなら。
 丁寧にひいた紅で、貴方の唇を私と同じ色に彩ることができるのなら。
 私は自分の持てる全てを高杉様に捧げることができる。これは遊女として、決して持ってはならない感情であるとの自覚はしている。

「どうして泣く……?」
「……貴方に抱かれていることが、この上なく嬉しいのです」
「はっ……。どうせ、相手する全ての客に言ってンだろッ……!」
「ん、っあぁ……!」

 憤りを隠すように、高杉様が腰を動かして私を揺さ振った。
 身体の中を抉る行為からは、もう痛みは感じられない。今はただひたすらに、胸の奥が締め付けられるような甘い疼きが私を駆り立てる。襲い掛かる何かに抗うように、自分の着物の一部を握りしめるも、高杉様の容赦ない動きに為す術などなかった。

「た、か……ぎ、さまぁッ……!」

 絶え絶えになる息にのせて彼の名を呼ぶと、返事の変わりに優しい右手が目尻の涙を拭ってくれた。そんな小さな動作にすら、胸が苦しくなる。やがて、自分の体が自分の身体じゃないみたいに震え始めた。
 望んでなどいないけれど、そろそろ意識を手放してしまう頃だと思う。もう限界なのだ。
 高杉様のためならば、馬鹿馬鹿しいと疎んでいた着物も化粧も、まるで生娘のように、純粋に楽しむことができるだろう。
 けれど、この身体だけは。高杉様に抱かれれば抱かれるほど、爪を立てて掻き毟りたくなるほどに厭わしく感じられた。



******



 情事を終え、崩れた着物を着直す高杉様を引き止めたことはない。
 「そのうち来る」と一言だけ残していく彼を三つ指をついて見送る。彼のその言葉は、本当に曖昧な基準だ。一週間であったり、時には二ヶ月いらっしゃらないことだってある。部屋に残された私は、自分の着物に残された彼の香りと、身体に感じる気だるさに情事の余韻を見出す。そして、早くも、再び彼に会いたいと焦がれてしまうのだ。



「邪魔するぜ」

 そう言って、高杉様が私の前に現れたのは、ちょうど半月経った時のことであった。
 今日、高杉様がいらっしゃるとは聞いていない。もしかすると、店内がばたついているのは、この方が原因なのかもしれない。
 私が座敷に上がる前に待機をするために用意された部屋にふらりと入ってきた彼の腰には、本来許されていないはずの刀がある。もしかしたら殺されてしまうのではないか、なんて考えも浮かびはしたが、彼の表情をじっと伺っても、そのような素振りは見つけられなかった。

「突然、どうされましたか? それに、ここは貴方のような方が足を踏み入れる場所ではありませんが……」

 控えめに問うてみると、高杉様はさして気にする様子もなく、「そうだろうな」と答えた。そして、窓際で正座をしていた私の正面に立つと、唇から煙管を離して見下ろした。

「今日、江戸を発つことにした。もう、ここには来ねぇだろうなァ」
「え……?」
「だから、最後にお前に訊きにきてやった。どうしててめぇは俺が抱くたびに涙を流すのかってな」
「そ、れは……」

 心の中を全て見抜いてしまいそうな鋭い視線から逃げるように俯いた。
 遊女が一人の男性に執着してはならない。私のような女が、高杉様に恋焦がれるなんておこがましいにもほどがある。だからこそ、高杉様に、私の心を覗かれては困るのだ。
 着物の裾を握り、口を噤んでいると、高杉様の煙管を持たないほうの手が私の顎を持ち上げ、強制的に彼と私の視線を結びつけた。

「言えねーってか?」
「ッ…………」
「そう、か……」

 口を開こうとしない私に痺れを切らしたらしい高杉様が、握り拳を作っていた私の手を掴んで引っ張った。「ひゃあ」なんて情けない声をあげても、高杉様が手を離すことはなく、ズンズンと私を連れたまま部屋の出口へと向かっていった。

「お、お待ちください! 一体どちらへ……?!」
「俺はてめぇの答えが知りたい。それを話すつもりがねぇんなら、てめぇが口を割るまで、俺のそばに置いておくまでだ」

 さも当然のことのように言い放たれた言葉に、一瞬、納得してしまいそうになるが、そんなわけはないと首を振る。「意味がわかりません」と足を止めると、高杉様の身体がガクンと揺れた後にようやく止まった。

「俺と居ること、満更でもねーんだろ?」

 ニヤリと勝ち誇ったように口元が歪んでいる。
 どうして。どうしてこの方には嘘がつけないのだろうか。遊女として生きていく中で、嘘なんてまるで息をするようついてきた。それが本当にばれていなかったのか、それとも、その相手も嘘だと承知の上であえて指摘しなかったのかわからないが、とにかく、私が生きる中で自分の正直な気持ちなんて必要なかった。
 さぁ、言ってみろよ。そう挑発するような視線からは、もう逃げられない。

「私、は……。貴方を好いている……! けど……、」

 震えてしまう声を我慢するように俯いた。「私は遊女だから……」そう自分を嘲笑うようにぽつりと呟いた。

「遊女である私は、身も心も、貴方には相応しくないほどに汚れてしまっているのです……」
「自惚れんな、馬鹿」

 そう言うと、無理矢理に私の唇を塞いだ。高杉様の言葉の意味も行動の意味もわからず、ただただ、彼のされるがままとなっていた。
 両手で頬を包み込まれる。それは冷えた頬にとても温かく感じられた。角度を変えるたびに零れる高杉様の吐息は、息ができなるくらい私の胸を締め付けた。
 今までにない程、甘く優しい口付けが終わり、彼の顔が離れていくと、高杉様から離れたくないと泣きたくなる。無意識に彼へと伸びていた手に、指を絡めながら高杉様は小さく笑った。

「俺は、汚い女なんざ抱いた覚えはねーし、まして、自分の手元に置いておきたいなんて思わねーんだよ。俺を好いてるんなら、何も言わず俺についてこい」

 真っ直ぐな瞳に映る自分の姿を見て、いつの間にか泣いていたことに気付いた。
 ずっと、ずっと疎んでいた自分自身を、高杉様に認められてようやく好きになれるような気がした。今なら飛べるのではないかと錯覚してしまうくらいに、身体が軽く感じられた。
 彼と繋がる手を離したいなど、微塵も思わない。

――私をここから攫ってください

 高杉様にすがるように抱きつきながら、そう呟いた。



メシア



Fin.



流星さんからいただいたリクエストを元に書きました。高杉と遊女の関係ってすごく好きです。
読み返してみると、とにかく長い(笑)
R18な表現も希望してくださったのですが、全然エロくないですよね。もっとあはんうふんな感じにした方がいいのかと思いつつも、これが限界…かも。
流星さん、リクエストありがとうございました!


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