百年後を生きる誰かに問う

私は右手に刀を握っていて、そして、数メートル先に立ちはだかる、まるで虫のような形をした天人は4本もある腕の一つ一つに鋭いナイフを持っていた。もし今この瞬間、私が刀を捨てて、相手もそのナイフを地面に放ってくれるのなら、二人のどちらかが必ず死ぬという不可避の未来を変えることができる。ただ、例え私が生き残ったとしても、数え切れないほどたくさんの死体が折り重なるように放置され、決して好きになることなどない死の臭いが充満するこの場所で手に入れられる未来に価値なんてあるのだろうか。

あれ、おかしいな。私が立つのは岩が剥き出した固い地面のはずなのに、まるで泥沼に嵌まってしまったみたいに足元が覚束ない。それに、手の甲でいくら目を擦っても、向かい合う天人に上手く焦点を合わせられなかった。唯一正常に働いていた聴覚が細かい砂を巻き上げた風の中に、ギシシとあの天人の鳴き声らしきものを見つけた。「私はここで死ぬの」そう自分の中にいた、もう一人の自分が優しく囁いたような気がした。

「名前ーっ!!」
「銀…と、き……」

考えることを放棄した脳みそは真っ暗な闇に沈んでいく。薄目の視界に映ったのは、天人の背後から刀を振りかざして飛び掛かる真っ白な姿。その人は天人の背中に突き刺した刀をそのままに、膝を崩し、顔面から地面に倒れそうになった私の身体を受け止めた。

「なにボケッとしてんだよ、馬鹿!!」
「あはは…、ごめんごめん…。血の臭いに酔っちゃったみたいで」
「ったく…。見たところ、大きな怪我はしてねェみてーだな」

もう大丈夫か、と問いながら私を立ち上がらせた銀時は、今にも爆発しそうな不満を押し殺すようにムスッとした表情をしている。何の関係もない彼に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思いつつ、私は地面に転がっていた自分の刀を拾い上げて鞘へと戻した。キン、と金属の澄んだ音が辺りに響くと、私は銀時を見上げた。

「私…、この戦いに意味はあるのかなって…考えてた」
「は………?」
「私が死んでも、あの天人が死んでも、結局戦争は終わらない…。だったら、こんなちっぽけな殺し合いになんの意味があるの?」
「名前……」
「あの天人に殺されそうになった時、私、正直怖くなかった。何もかも終わりにできるのなら、このまま死んでもいいかなって」
「黙れ…」
「だって……!」
「黙れっつってんだよッ!!」
「んっ…!」

銀時の鋭い視線が私の目から心へと突き刺さって、私は反論しようとした口を手の平できつく塞いだ。心臓が破裂しそうなほど速く動いているのをはっきりと感じる。
わりぃ。そう目を伏せながら言った銀時は、口をつぐんで私の頬に手を伸ばした。だけど、私の脳みそには、さっきの彼の剣幕が焼き付いて離れなくて、無意識に後ずさってその手を拒んでいた。すると、伸ばしかけの彼の腕は、力無く地面に向かって垂れた。おずおずと視線を地面から銀時に移すと、彼は悩ましげに眉間にしわを寄せてはいるが、場を取り繕うように、なんとか笑おうとしてくれているらしかった。

「戦いが嫌なら、一人でどこかに行きゃいい…。誰も止めやしないし、非難もしねーだろうよ」

それは、一見投げやりな台詞に聞こえるかもしれない。けれど、その時の銀時の淡い笑顔と口調からは、胸が締め付けられるくらい大きな彼の悲しみが、ひしひしと伝わってきた。もう怖くない。そう思った私は、泥と乾いて黒くなった血で汚れた銀時の手を握ると、「ごめんなさい」と謝罪の言葉を涙と一緒に地面に落とした。

「どーして謝るんだ?」
「私が弱いから銀時を怒らせた…」
「ばか、ちげーよ。俺ァ、お前は正論を言ったと思うぜ…。病気でもなんでもねェのに人が死ぬなんざおかしな話だよ。けどな?死んでもかまわないとかそういうことだけは…言うな。俺が、辛い…」
「えっ……?うわっ…、」

ごつん、と私の額が銀時の鎧にぶつかった。私が握った手とは反対の手で銀時に引き寄せられ、そして、何度も何度も頭を撫でられる。お互いに言葉を発することはなかったけど、その束の間の静寂が無性に心地好く感じられた。この戦争が終われば、こんな時間を当たり前みたいに享受できるようになるのだろうか。そんな未来があるのなら、私はもう少し生きてみたいと思う。

「ねぇ、銀時…」
「あー?」
「私さ、もう少し頑張ってみる」
「そうか…。ま、せいぜい俺の足を引っ張らねーこったな」

私が顔を上げた時、まるで、ニカッて効果音が付いているような眩しい笑顔が向けられた。私と一緒に居られて本当は嬉しいくせに、なんて言ったら、コツンと頭を叩かれてしまった。でも、「ばーか」って反論した時の銀時の表情は、とても穏やかだったように見えた。

「帰るか」
「うん!きっと、ヅラが美味しいご飯を作って待ってると思う!」
「アイツは母ちゃんか」
「あはは、確かにお母さんっぽいかも」

冷たい刀ばかり握っている指が、銀時の温かいそれときつく絡められた。私達の明日には戦いの日々が待っているだけ。だから、もっと遠い、彼の手の平みたいに温かいであろう未来に思いを馳せ、ゆっくりと歩きだした。

百年後を生きる誰かに問う
私達が命懸けで守っているこの世界は、百年後の未来も変わらず綺麗ですか?

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