重なった夏の日の追憶

「名前はかんざしを持っていないのか?」

いつの頃だっただろう。詳しくは思い出せないけれど、夏を生きる蝉が黙ってしまうほどに太陽が容赦なく地面を照らしていた日だったのは覚えている。戦に赴く前、長い髪を馬の尾のように高い位置で紐を使って束ねていた私に、小太郎は背後から、そう問い掛けた。

「かんざし?そんなの私が持っているわけないじゃない」

そうだ。確か私はこう答えたのだ。年頃の娘がかんざしを一本も持っていないのは常識的に考えたらおかしいのだろう。鏡を通して背後の小太郎に視線を向けると、鉢金を付けた彼は驚いたように小さく目を見開いていた。

「だって、かんざし付けてなんて戦えないもの」
「なるほど…な」
「それに、例え私が持ってたとしても、敵の心臓を刺す武器に変わっちゃうかも」

私はクスリと笑いながら髪を結い終えた手を下に降ろすと、首を左右に小さく降って髪が落ちてこないか確認をした。よし、終わり。そう呟いて私は、腕組みをしながら眉間に皺を寄せていた小太郎を振り返った。胸中には何か言いたいことを秘めているらしいのに、小太郎がそれを口にする気配はなかった。

「かんざしなんてね、幸せな女の子しか持っちゃいけないの」
「……」
「さ、行こう?銀時達が表で待ってる」
「ああ…、行くか」

小太郎の作り笑いを見たのはその瞬間が初めてだった。そして、戦が終わり、侍が廃れた今となっても、彼の作り笑いを見たのは、あれ一回きりだ。あの時の小太郎は笑顔の裏に何を隠していたのだろうかと今になって考えてみる。大方、女を捨てた私に飽きれていた、そんなところだろう。

「名前、どうした?」
「えっ……?!」

焦点の合わない瞳で窓の景色を見ていた私を現実世界に引き戻したのは、先ほどまで記憶の中にいた小太郎だった。
今日も蝉すら黙る暑い夏。けれど、地面はコンクリートに覆われ、緑も少なくなった今は、おそらくあの日よりもずっと暑く感じるはずだ。クーラーの効いたこの部屋からはよくわからないけれど。
窓ガラスに映る彼は女物の着物を見事に着こなし、唇には紫の紅をさしている。相変わらず何をしたいのか理解できない人だと思ったが、それ以上に、平和になったと痛いほど感じた。鎧も鉢金も今は必要ないのだ。小太郎は未だ刀を手放すことはしないが、あの時ほど血を流すことはないし、それは刀を置いた私も同じ。私はゆっくりと振り返ると、小太郎を見上げながら小さく笑みを浮かべた。

「ふふ…、秘密。小太郎には教えてあげない」
「ほう…。そのように言われると余計気になるな」

私と同じように柔らかく笑った小太郎はそう呟いて私の隣で胡座をかいた。「着物なのにダメ」と膝をピシリと叩いても、彼は特に気にする様子もない。普通に正座をしていれば、女である私以上に色気たっぷりなのにもったいない。

「何を考えていたのだ?」
「んー?ちょっと昔のことを思い出しただけ」
「そうだ、名前…!」
「ちょ…、話聞きなさいよ」

私の話なんて聞かず、小太郎はゴソゴソと自分の着物の袖口から何かを取り出そうとしていた。けれど、目当ての物がなかなか見つからないらしく、右の袖、左の袖、と何度も行き来している。「おぉ、これだ」と左の袖から引っ張り出したのは、黒い皮張りの細長い箱だった。ズイッとそれを差し出され、彼の視線に促されて蓋を開けると、中にあったのはべっ甲の軸に、涼しげな瑠璃色の珠が三つ連なって、身につけたらそれがサラリと揺れるであろう、綺麗なかんざしだった。

「これは…。どう…して…?」
「この姿で歩いていたらな、呉服屋の旦那が、その着物に似合うかんざしはいらぬかと言ったんだ。そしたら、俺もお前と同様、昔のことを思い出してな。確か、あの日も今日のように暑い一日だった」
「っ……」

こんなの、まるで誰かが仕組んだみたいだ。本当に偶然なのだろうか?私は震える手でかんざしを慎重に箱から取り出すと、それの予想以上の軽さにほんの少し驚いてしまった。日に透かすように掲げると、珠がより一層輝いて私の顔に反射した。

「かんざしは幸せな娘が持つもの、そう言ったのを覚えているか?」
「う、ん…ッ、」

手にしたかんざしを壊れないように、でも、喜びを噛み締めるように片手で握ると、小太郎は私の背中に手を回して私を身体ごと引き寄せた。私はされるがまま、彼に身体を預けて、ギュッと目を閉じる。着物と着物が擦れる重い音が部屋に響いた。今のお前にはかんざしが良く似合うと思った。小太郎は私の長い髪を指で梳きながら耳元でそう囁いた。

「ありが…と……」
「名前にとって、もうこれが武器となることはない。俺が武器にさせるものか」

あぁ、そうか。あの時の小太郎の作り笑い。それは、私が戦いの為に女として生きることを封印していたことに気付いた小太郎自身の悲しみを隠す為のものだったんだ。そんなことにも気付けなかった私は、なんて馬鹿だったのだろう。ごめんね、小太郎。でも、今はそれ以上に嬉しくて嬉しくてたまらないの。私は額を彼の胸板にギュッと押し付けると、すごく久しぶりに、たぶん、戦が終わったあの夏の日以来に声を出して泣いた。

重なった夏の日の追憶
かんざしの似合う女にしてくれたのは、他でもない貴方でした

Fin.

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