※寂しがり坂田




 なあジミーくん、ちっと抱き締めてくれよ。俺の聴覚は確かにその言葉を拾い、振り向いた先では万事屋の旦那が情けない表情で笑っていた。

「どうしたんですか」
「別に、どうもしねェけどさ」

 そんな寂しそうな顔をしておいて、何もないなんて事はないだろう。危うく口から零れてしまいそうになった台詞を一つ飲み込んで、ゆっくりと腰を上げた俺は、旦那が座るソファの近くへと歩み寄る。互いの距離が埋まるまであと一歩と迫った、その時だった。
不意に伸びた旦那の手に強く手首を引き寄せられ、俺の身体は自分のそれより幾らか広い胸へ飛び込む事となる。気の所為かもしれないが、ふわり、と甘い匂いが鼻腔を擽ったように思えた。

「……山崎はあったけェな」

 旦那がこんなに分かり易く甘えてみせるだなんて、珍しい事もあるもんだ。恐らく彼を感傷に浸らせる何かがあったのだろうと察しはするけど、だからと言って俺はそれを問いただす事はしない。旦那がその行為をひどく嫌うと知っているからだ。

「旦那はいつだって一人で背負い込み過ぎですよ。もっと周りの人間を頼って良いのに」

 呼吸の調子に合わせてゆっくりと、そして規則的に上下する胸は、今確かに彼が生きているのだという事を俺に伝えるようで、――ああ、なんだか愛おしい。
俺は旦那の首に腕を回して、ぎゅっと抱き締めた。

 しん、と静まり返る万事屋の居間はどこか非現実的で、なのに耳元で繰り返される呼吸の音はとてもリアルで、……いや、実際にこうして身体を寄せているのだからリアルも何もないのだが。

「……ずっとこうしてられりゃ良いのに」

 旦那が小さく洩らした言葉に、その時ばかりは聞こえていないふりをした。俺の精一杯の優しさだった。





 時計をちらりと覗く。そろそろ陽が暮れる時間だ。それはつまり、俺が屯所に戻らなければいけない時分が近付いているという事でもある。絡めていた腕を緩めてから旦那の顔を窺おうと首を傾けると、彼はまた少しだけ寂しそうに眉を下げた。どうやら無意識の仕草らしい。

「旦那、俺屯所に戻らないと」
「もうそんな時間か、早いな」

 視界に留めたのは、残念だ、と言わんばかりの表情だった。心苦しくもあるが仕事をトンズラする訳にもいかないので、もう一度だけぎゅう、と抱き締めてから身体を起こした。

「そろそろ新八くんとチャイナさんが帰って来る時間でしょう」
「今日はここで晩飯食うとかでお妙も来るんだと」
「楽しい晩になりそうですね」
「ああ」

 膝から下りた俺が袴を軽く整えて、それから居間を出ると旦那が後ろからついて来る。玄関で草履を履いたのち、持ち上げた両眼で眺めた彼は口元に笑みを零した。無理をして作られた笑顔ではないかと思案した一瞬は、続いた一言によって杞憂であったのだと思い知る事となる。

「あー……その、今度はお前も飯食っていけよ。待ってるから」
「旦那の手作りですか?」
「……考えとく」

 旦那がわしゃわしゃと俺の頭を撫でるもんだから、乱れた髪を指で梳いて落ち着かせてから万事屋を後にした。触れられたは箇所はまだ温かい。
街の人々に紛れて帰路を歩むとちょうど陽が沈むところで、綺麗な夕陽を見た俺は少しだけ上機嫌で屯所への足を進める。

 俺は少しでも旦那の気持ちを和らげてあげられているのだろうか。また次に会った時、彼の腕の中で尋ねてみようと思う。




/今夜は満月