※前編
※後編は山土予定




「山崎、服貸せ」

 張り込み生活も十数日目。俺が寝起きを繰り返すその部屋に、副長はやって来た。大抵は俺が集めた情報の中間報告をと訪れるのだが、ほとんど電話で事足りるはずのそれにわざわざ足を運ぶ辺り、この人は俺を事を随分と気に掛けているのだと思う。

「また見事に降られましたね。傘はさして来なかったんですか?」
「出る時は降ってなかったんだよ」

 数十分前から江戸をしとどに濡らす激しい雨。それは未だに退く気配を見せず、地上に心地の悪い湿気だけを残していく。つけっ放しのテレビ画面の向こうから、結野アナの“日暮れには止むであろう”という旨の予報が聞こえているのだが、この様子だと今日中には上がらないんじゃないかと俺は思う。

 ぼんやりと思考を巡らせながら何気なく視界を持ち上げた先。副長の湿った素肌に、透けた白のカッターシャツが貼り付いている。それを極めて不快そうに引き剥がす指先を、俺は無意識のうちに見つめていた。彼の動作一つにひどく色気を感じたのだ。

 それから数秒が経った頃だろうか。釦を外しにかかる仕草にようやくハッとして、即座に意識を背けたのだが、もしかしたらそれもバレていたかもしれない。そう頭の隅で危惧しつつも、溢れ出そうになる副長への欲求を密かに抑え込み、双眸を窓の外に戻して監視の目標を捉えた。

 食欲、睡眠欲、性欲。全てにおいて我慢を強いている俺の目に、副長という存在はこれ以上ない毒だ。出来る事ならば、任務中には彼の顔を見たくはない。

「オイ、服貸せって言ってんだろ」

 頭に冷えた指先が触れたと認識した矢先に髪を強く掴まれ、更にそこを強引に引かれる事で、俺は掌の主をまともに眺める羽目になった。

「え?あっ、はい……スンマセン」

 目の前の副長は既にシャツを脱いでいて、同時に自分の頬がカッと熱を持つ。慌てて立ち上がり駆け寄った箪笥からタオルと衣服を取り出して、それらを副長に押し付けると、その様子に当の本人はきょとんとしていた。

「……何を焦ってんだ、テメェは」
「…………」

 口を結んだ俺を訝しげに眺める副長は、まあ良い、とだけ残して踵を返す。小さく床板を軋ませながら、その足は風呂場へと進んでいた。

「シャワー借りるぞ」




 副長が浴室の扉を閉めてからの十数分、その時間が俺にはとても長く思えた。シャワーから放たれる湯がタイルを叩く音を明確に拾う己の過敏な聴覚。普段なら監察方として自慢であるはずのそれが、この時ばかりは恨めしくて仕方がなかった。

 ――いかんいかん、邪な考えは振り払え。今は仕事中だ。

 おもむろに窓の桟(さん)に置いていた飲みかけの牛乳に手を伸ばし、邪念を振り払うべく一気に飲み干す。すっかりと温くなってしまった液体は、喉に纏わりついて気持ちが悪かったが、冷静を取り戻したい俺にはうってつけの代物だった。

 もしかしたら今日は我慢が利かないかもしれない。そう思ってしまうのは恐らく煩悩を払えていない証拠でもある。一時の欲求に負けてしまいそうになりながらも、俺は誤魔化すように再び窓の隙間から街を見下ろした。




/行儀が悪い