潜入先の情報を纏めた報告書、俺が手渡したそれに副長が目を通す。一度も振り返る事なく書類に視線を這わす彼の後ろ姿を、俺はただ黙って見詰めていた。

 薄らと白く霞む空気。嗅ぎ慣れた匂い。全ての根源は言わずもがな副長が口にくわえている煙草だ。――この人はいったい何時間机に齧り付いてるんだか。心の内で呟きつつ傍らに視線を向ければ、灰皿に葬られた煙草の残骸は冗談抜きで山のように見えた。…真面目なのは良いのだが偶に心配にもなる。彼は息抜きが下手なのだ。だから無意識に煙草に手が伸びる。

「副長」
「……なんだ」
「煙草、」
「やめねェぞ」

 まだ何も言ってないのにこの人は。予想通り、いや、予想以上に煙草への執着心は強いと見た。……それとも俺の心を読むのが上手いのだろうか。生憎それを確かめる術は無いけども。

 副長のお陰で吐き損ねた言葉を飲み込んで、室内の淀んだ空気を肺に深く深く迎え入れる。俺はこの煙草の味を知らないけど、匂いなら誰よりも知っていると思う。きっと吸っている本人よりも。

「副長ー」
「煙草ならやめねェ、」
「そうじゃなくて」
「じゃあなんだ」
「俺ね、副長の匂いが好きです。煙草臭い所も含めて」
「……匂いが移るから嫌だと毎日のように喚いてる奴が何を言う」
「矛盾してますよね」
「自覚あんのかよ」
「そりゃ勿論。……でも、」

 そっと瞼を下ろして、もう一度室内の香気に浸る。煙草臭くたって何だって、やっぱりこれこそが副長の香りだから。

「でも、好きなんです」

 彼は解っているのだろうか。俺が任務で失敗して敵に殺されるか、もしくは彼に切腹を命じられたりでもしない限り、俺の死因は高い確率で副流煙の吸い過ぎに因る肺ガンだという事を。俺が満更でもない事まで理解してやっているのなら魔性も良いところだ。

 もしも俺が彼の匂いに蝕まれて死ぬのだとしたら、それすら幸せだと思えてしまう。どうやら俺は身体だけではなく心まで冒されちまってるらしい。




/君の匂いに冒される