ビタースイート朝寝坊


俺の主は厳しい。

昨日だって何度怒鳴られたことか。
朝、お召し物を変えに参ずればいらんと怒鳴られる。
昼、鍛錬後に手拭をお持ちすれば寄るなとあしらわれる。
夜、行灯の油を注ぎ足せば手つきが危ないと油さしをふんだくられる。

毎日これの繰り返しだ。
目を見てお話できれば良い方で、普段は三成様の視界に入るだけで眉間に皺を寄せられている。
幼き佐吉様の頃よりお仕えし、今年で八の春を数える俺にはもう慣れた。
日を追うごとに冷たくなる風あたりにも屈しない。

いつ暇の命令が来るのかとひやひやしていた時期もあったが今は覚悟が決まっている。
三成様の為ならば。
骨も。身も。髄も。魂も。
三成様の意のままと、決まっている。



春風が寝起きの目に染みる朝。
寝坊した。
太陽はそこそこに昇り、屋敷は朝の喧騒を過ぎて静かなものだった。
ああ、今日も怒鳴り声からはじまるのかと思いながら着替えを済ます。
髪を整えている時間などない。水差しで口をすすぎ部屋を後にする。
三成様の食事以外の身の周りの御世話は基本的に俺に任されていて、ありがたくも自分用の部屋がある。
自室から三成様の部屋へはそう遠くはなく、毎日怒鳴られる上で身に付けた音を立てず走る足運びで向かっておおよそ三十歩ほど。

襖の前で息を整え、三成様、と声をかける。

「…入れ」
「失礼致します。おはようございます三成様」
「随分と遅かったな」
「申し開きもございません。寝坊にございます」
「お前らしくもない。夜の疲れが祟ったか」
「いえ、手前の不肖です。遅れて申し訳ございません。御召変えに参りました」
「済ませた。もう良い」

…おかしい。一向に怒号が飛んでこない。

「…では、」
「ッま、待て」
「はい」
「…茶を、飲んで行け」

驚き顔を上げる。
こんな事は今までなかった。
どういう風の吹き回しか、布団は上げられ茶菓子が用意されている。


「なにを突っ立っている。座れ」
「は、はいっ」

落ち着かない。
掃除は三成様ご自身でされていて、塵ひとつない畳の目が妙に恨めしかった。

「朝餉は片付けられただろう。足しにしろ」
焦げ茶の器には桜餅が二つ。
三成様のものはなく、俺一人で食えという事らしい。

「...この桜餅はどちらのものでしょうか」
「城下の樋泉屋のものだ。不服か」
「いえ、滅相もございません」

樋泉屋と言えば行列の絶えない菓子屋ではないか。
捻り鉢巻を巻い た気難しそうな主人と人当たりのよい奥方が切り盛りしていて、近々もうひとつ店舗が建つらしい。

「三成様ご自身が並ばれたのですか?」
「…文句でもあるか」
「いっいえっそんな事は」

早朝から並んだ?
この三成様が?
店が開くのは昼前だった覚えがある。
まさか刀でもちらつかせて脅したのだろうか、なんて。


「三成様、まこと差し出がましいかとは思うのですが」
「何だ」
「風邪の症状はありませんか」
「馬鹿にしておるのか貴様ァァァ!!」

平常運転だったようだ。
風邪ではないのか。


「三成様。本日はいかがなされましたか」
「…どうにもしておらん。くどい」
「なら、いいんですが」
「固くなってしまう。早く食え」


ずい、と皿を差し出され る。
ひとつ手に取り齧ってみた。
ふわりと香る葉と控えめな餡の甘さが心地よい。
もしゃもしゃと咀嚼しているあいだに三成様は居住まいを正した。

「…本題に入る」
「は、はい」
「お前は何故私に従う」


静止。


「それは、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味だ。何故文句の一つも言わず私に従うのかと聞いている」

「…それは、」


言葉を継げず言い澱んだ。
今日は厄日なんだろうか。何故こんな事を聞かれているんだろう。

「付き従う事が常だと思っているからでございます」
「重荷に感じたことは無いか」
「微塵もございません」


三成様が茶を飲み干す。
上下する喉仏を無言で見た。

「...あの、暇の報せでしたら覚悟はできておりますので単刀直入に」
「...は?」
「え、いやだから暇を」
「誰が暇をやると言った」
「...三成様は俺がお嫌いなのでは?」


きょとんとされた後にため息をつかれる。

「...して、その誤解はどこから来たのだ」
「だ、だって三成様は俺が鬱陶しかったんじゃ、」
「誰が鬱陶しいと言ったァァァ!」
怒号を飛ばしてからすぐにすまなかったと呟く三成様。なんだこれどういう事だ。
きっと俺と三成様は何か掛け違っている。
昨日を少し紐解いてみた。


「ッで、では毎朝の怒号は」
「…寝起きに何を言うかわからんだろうが。お前をなじってしまうやも知れん」
「昨日の鍛錬後は」
「…あぁ、汗にまみれた私に近づく必要などなかろう」
「夜の油さしひったくったのは」
「…誤解だと言っているだろう。お前の袖に油がついていた。火が移れば大事だ」
「で、では、では」
「まだ続けるか」
「っい、いえ、十分です」

ああ、この人は。
不器用なんてもんじゃない。なんでこんなに。
苦々しく唇をかみ締めそっぽを向く三成様がどうしようもなく可愛らしく思えてきて。

「三成様」
「……何だ」
「私は、」

身なりを正した。
先程よりも背筋を伸ばし、真っ直ぐに三成様を見る。

「怒号をお受けしても、斬られようとも。この身果てるその時まで御仕え致すと誓いを立てております」
ふらりと三成様の目が揺れた気がした。

「それは」

ぽたり、と雫を垂らすように声を発する三成様。

「それは強制ではないのか」
「違います」
「私の刃に、声に、態度に怯え付き従っているのではないのか」
「断じて違います」

「...では、私は、」


そう呟くと、拳が白くなるほどに手を握り、下を向いて黙ってしまった。
こうなってしまっては話し出すのを待つ他ない。
無言で次の言葉を待った。


「お前には」
「はい」
「…お前には…その、感謝、している」
「ありがたき幸せに御座ります」
「だが、感謝は伝えなければ意味がないのだろう?」
「…それは、」
「刑部が言っていた。詰まらせた言葉は澱み腐りやがて噴出すと」

何吹き込んでんだよあの人。
裏で手ぐすね引いてるのは大谷様だったか。

怯えと自嘲がない交ぜになった表情で滔々と言葉を紡ぐ。
薄い唇が静かに上下する様は朝日に照らされて艶を帯びていた。

「お前が、好きだ」
「…それは」
「二度も言わせるな。そのまま受けろ」

言葉が喉に詰まる。
返事が思いつかない。
真夏の金魚のように口を開閉するのみで、俺は今とんでもない阿呆面を晒しているだろう。

見兼ねた三成様がため息をひとつ。
「…朝の戯言だ、忘れろ」
「いいえ、出来ません」
「忘れろと言っているだろう」
「出来ません」
「忘れろ!斬られたいかァァ!!」
「忘れても、よろしいのですか」
「…ッ」
「貴方様は、脆い」

青白い顔から更に血の気を失って、じっとこちらを見る三成様。
高い座高と伸び た背が実寸よりも細く見せている。

「壊してしまうやも知れません。重くのし掛かるやも知れません。
それでも、俺の全てを受け取ってくださいますか」

眉間の皺を更に寄せ、睨みながら重い口をひらく。

「お前一人、軽いものだ」
「...」
「お前を背負って壊れるならば本望だ。いいや、私を舐めているのか。壊れる訳がないだろう」

双眸は決意に満ちている。
ああ、このお方は本当に。

「あなたを、お慕いしております」
「...ッ」
「お会いしたその時より、ずっと」
「...お前」


「はは、決して言う事なんざないと思ってたんだ。まったくずるいお人だよ。俺の主様は」
「...ふん。痛み分けだ」


痛み分け。
傷つくだけ傷ついて、決着をつけない 。
恋だ愛だのに勝敗なんてないんだからよく言ったものだと思う。

「お前は私のものだ。否定は聞かん」
「生憎、否定の答えは持ち合わせておりませんので」

頬を染める主は一層眉間の皺を深くし睨みつけてくる。

「そう睨まなくても逃げねぇよ」
「っそ、そういう話ではないだろう!」
「おや、違うのですか?」
「…その口調もやめろ。背が冷える」
「……了解」

俺の主は手厳しい。






後日。
「そうかそうか。まこと、目出度きかな。
「ぬしも満更でもないのであろ、素直に受けやれ。
「あれを焚きつけるのは骨が折れたわ。
「血反吐が出おっても何らおかしくはなかったものよ。
「ぬしを寝かせやったのはわれよ。激務を仕向けたのもわれ。ぬしはよく働いたな。
「...そう怒るな。ぬしもわれも懸案は片付いたのであろ?
「あれを見やれ、あぁも睨まれては堪らん。視線で死者が出る前に行くのがよかろ。
「ああ見えてあれは繊細なのでなァ。
「また茶でも飲みに来やれ。
「茶菓子はあれに任せて、なぁ?」

侮り難し、大谷吉継。



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