御隠居かく語りき


火が爆ぜる音がする。

夕闇に沈みかけた城はあちらこちらから火を噴いていた。
防風林に溶け込んだ兵群の数は200と言ったところか。
門はとうに崩れ落ちて、こちらの兵がどれだけ残っているかの予測ももうつかない。
「ふん、毛利の小童が偉くなったもんだ」
「主」
音も無く降り立つ風魔。
肌に毛先に纏いつく熱風を微塵も揺らさなかった。
「戦況は」
「不利。延焼が深刻。一刻と持ちません」
「だろうな」
万策尽きたか。煙管の紫煙を吐いた。
八方塞りだと言うのに風魔の顔は微塵も動かない。淡々と呼吸をし、上質な細工物であるかのようにそこに融け込んでいる。
前にそれを蜃気楼のようだと形容したことがあった。それを言ってもなお無表情の風魔に今日は下がっても良いと言えば、ゆらりと陽炎のように空に溶けて消えて見せた。風魔なりの意趣返しのつもりだったのだろう。
風魔が俺に仕えてから五度の春を数えただろうか。曾々爺さんの代から契約を続ける風魔衆から小太郎を預かったのが5年前の冬。
そろそろ今年も更新期間かという時の襲撃だった。

「西門陥落。東門延焼中。ここに兵が来るのも時間の問題」
「兵はどれだけ残ってる」
「3割以下」
「厳しいな」
厳しいどころではない。もう敗北は決まり切っていて全滅するかどうかの瀬戸際だ。


「風魔よ」
「は」
「お前ほどの忍ならば人一人くらい跡形も無く殺す事は容易いのだろう?」
「可能です」
「俺の骸を塵ひとつ残さずに消してくれ」
「…それ、は」
風魔は明らかに動揺した。
「そのままの受け取れ。他意はない」
「…」
「どうした。首の骨をへし折るくらいお前には造作もないだろう?」
「…主」
「辱めを受けるのは構わん。が、慕ってくれた民達にそれを見せるわけにはいかないな」
「…」
「最後くらい格好をつけさせてはくれないか。国主として、男として」
黙る風魔の目を視た。
「俺を殺せ。今すぐに、ここで」
たっぷりと沈黙を数えて風魔が口を開く。
「出来ません」
「何故」
「貴方をこの手にかけるなど、出来ません」
「最後の命令だぞ?」
「最後だからこそ。貴方は生きなくてはならない。ここで倒れる人であってはならない」
ことばをひとつひとつ置くように話す風魔を見る。
「随分と饒舌じゃないか」
「...ッ」
「はは、茶化すつもりはない。どうしてもというのならばこの身を炎に投ずるまで。消し炭になっては持ち帰る価値もあるまい」
へらりと笑いかけてみたが風魔の表情は強張って不安に染まるばかりだ。
火の手は轟々と城を覆っていく。防風林は今や炎に包まれて見る影もなく、低く垂れた曇天を炎が舐めている。
「...それで、やってはくれんかね。ここにも兵士が来るだろう」
「拒否、します」
「...そうか」
す、と立ち上がったかと思えば手を取られ手の甲に口付けをひとつ。
触れた時間は数瞬もなく、薄い唇は離れた。そのままゆっくりと抱きつかれる。

「手甲への口付けは敬愛、だったか」
「...主、貴方は己が、この命果てようともお守り致します」
言うが早いか風魔の両腕が俺の首にかかる。さっさと落として気絶させて運ぼうという算段らしい。まったくえげつない事をする。
外で燃え盛る焔を微かに反射してなお赤い髪を鼻先に感じながら、そっと意識を手放した。



幾たびかの冬場が過ぎて。
跡取り決定の内部抗争に巻き込まれ余波で攻め落とされた某城の跡地には屋敷が建てられていた。
まだ若き知将、毛利元就が配下の領主に向けて建てたもの、らしい。
焼け野原は枯山水の立派な庭園となり、無惨な痕跡は見る影もない。領民も、勿論儂もそれなりに満足している。
「ところであんた見かけない顔だね。商人かい」
「ああ、そんなところだ」
「一人でとはまた難儀な話だ。お気をつけなさいな」
「お気遣い痛み入るよ。だがここからは連れがいるんだ。ほら、来たようだ」
上り切らない朝日を背に笠をかむった男が歩いて来る。
笠の淵からは鮮やかな赤い髪が覗いていた。
「話をありがとう。元気でな。御隠居さん」
男は膝に手をつき立ち上がる。
笠の影が落ちた大男の目元は見えにくかったが、確かに薄く細められていた。
「ああ、あんたも元気でな。帰路にはまた寄るといい。土産話を聞かせておくれ」
「ああ、楽しみにしておいとくれ」
二人は2、3度手を振り歩き出す。その背中を再び見る事はもうきっとないのだと、雲ひとつない蒼天を背後にぼんやりと思った。

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