さなだタイガー



一仕事片付き、茶屋で暇を取っていた。
空は晴天。麗らかな陽射しに昼寝でもしたいな、と思ったところでばたばたと足音が近づいた。

「桔梗さんいるかい!文預かって来たよ!」

「はいはい、俺だよ」

「ああ、やっと会えたよ。これね。確かに渡したよ!」

飛脚の男は来た時と同様にさっさと走り去った。随分忙しいんだな。

封蝋を剥がして文を開いた。
差出人は、武田信玄公。

上質な和紙を伸ばせば、公の人柄そのままに豪胆に墨が踊っている。

「あの人も変わんねぇなぁ...」

久しいな、の挨拶に始まり、

最近火事騒ぎが多いという事。
どうやらただの小火でない事。
先だっての戦は難儀だった事。
その戦で幸村が昏睡状態な事。
多くの負傷者が出て忙しい事。
よって、俺に解決を頼む、と。
あと、そのうち呑みに来い、とあった。

...つまりあれか。解決したらただ酒飲めるってか。
幸村大丈夫かな。団子持ってついでに見舞いにでも行くか。

「...あの人も軽いなぁ...しゃーない」
よっこら、と立ち上がる。
どれ、働きますかーってね。

「お七さん、お代置いとくよ」


文の最後には「此処に行けば解決も易かろう」
と、この辺りじゃ有名な呉服屋の名が記してあった。とりあえず行ってみるかね。
茶屋を後に街中へと向かった。





歩き始めて半刻。大通りの並びにある呉服屋に到着。
店先には主人と奥方が待っていた。

「どうも、桔梗です」

「あぁ、貴方が!お話は伺っております。どうぞこちらへ」

そのまま奥へと通され、応接間へ。
儲かっているだけあって、高そうな骨董や掛け軸が目に付く。
その奥に、見事な屏風が鎮座していた。

「見事なものでしょう」

「…虎屏風、か」

「はい」

屏風には赤墨一色で描かれた虎がこちらを睨んでいた。
墨の濃淡のみで顕されたそれは、素人目に見てもいい物であるのがわかる。

「…桔梗様は、こんな噂をご存知でしょうか」

「噂?」

「はい。最近の火事騒ぎで燃えた家、全てにこの虎屏風があったのです」

「……というと?」

「焼け跡に、この屏風が、そのままの姿で あったのです」

「…屏風は無傷、という事か」

妙な話だ。
屏風が燃えないとでも?
いや、それよりも。

「それではまるで、この屏風が放火してるようではないか」

「…そうなんです」

「では、何故そんなものが此処に。そもそも何故出回っている?」

「燃えない屏風、として引く手数多なのです。私も高値で引き取って参りまして」

「放火する屏風か、燃えない屏風か、見極めろ、と?」

屏風から視線を外す。
店主は眉間に皺を寄せて屏風を見ていた。

「いいえ。この屏風を、この炎虎を退治していただきたいのです」

「それで俺か」

「桔梗様は妖退治を生業にされていると聞きました。…犠牲者の中に、私の妹がいるんです」

痛ましげに顔を歪める店主。

「…こういうの、弱いんだよなぁ俺…」

「…で、では!」

「引き受けさせていただきます。さっさと片付けないとここも危ないんだろ?夢枕に立たれちゃぁ困るんでね」

薬箱を引き寄せる。
三段目の引き出しを開け、御符束を取り出した。
屏風に5枚、部屋の四方にそれぞれ1枚ずつ、襖に5枚。
懐に熾針を10本。準備はこんなもんか。

「あの、この札は一体?」

「一応、な。もし発火してもしばらくは持つ。消火までは耐えてくれるだろうよ」

こくり、と神酒を一杯。よし。

「じゃ、行ってくる」

屏風に足をかける。と、ずずずと足が入っていく感触。よしよし。行ける。

「あ、あの、桔梗様」

「ん、なんだ」

「あ、っお、お気をつけて…」

「ああ。…っと」
危ね。忘れる所だった。

「なあ、あんた。俺が半刻して戻らなかったらこの屏風に火をつけろ」

「…これは燃えない屏風なのでは…?」

「いいから。必ずだ。ああ、符がある限り畳は燃えねぇから安心しろ。剥がすんじゃねぇぞ」

店主の返事を聞くより先に、俺の体は屏風へと呑まれた。




目を瞑り流れに身を任せ、降り立ったのは荒野。
草木もまばらで所々が焼け焦げている。

「広いな…」

「ほう。俺の居処に何用だ」

と、背後から声が掛かる。
振り向けば、青年が立っていた。押し寄せる殺気に身を焼かれそうだ。
腰袴にさらしを巻いただけのその男は、黒い花魁煙管を片手に金色の眼でこちらを見ている。

「土足で入るからには、相応の理由があるのだろう?」

「…あんたが虎か」

「あぁ。いかにも」

「…お前は、幸村、か?」

その青年の顔は、昏睡状態なはずの真田源次郎幸村そのものだった。
声も違わず、全く同じ。

「この外見は、御主人様の御姿を御借りしているだけに過ぎぬ」

「…ああ、そうかい」

「して、何用か」

「お前が、火付けて周ってるって信玄公から報せがあってな。退治しに来た」

「信玄公か、ふん」

反応は薄い。御館様、と叫びだしもしない。

「おい、虎」

「…何だ」

「放火をやめろ。いや、お前は消えろ、と言って消えるのか」

金色の目が伏せられる。

「消える訳があるまい。御主人様より賜りし命は終わっておらぬというのに」

「命、か」

読めてきた。こいつは幸村だ。だが幸村本人ではない。

「ならば、実力行使しかないな」

「…土足で踏み入り、随分と勝手な事を。消えるのはお前であろう」

ぶわ、と殺気が増し、轟々と熱気が肌をちりちりと掠めた。
煙管の紫煙はゆるゆると揺蕩い、虎の周囲に浮かんでは消えた。

「甲斐の虎はおっかねぇなぁ」

「御主人様の御名を出すなと、言ったであろう」

しゅ、と一瞬熱を感じ、見遣れば俺から数歩の地に焦げ跡が。
土はぐずぐずに固まり、赤黒く変色していた。何度になったんだよこれ。

「やはり、放火はお前だな。」

「…」

「主人の婆娑羅を使えるとは。それで人を殺めて、主人は黙認するのか」

「俺は。御主人様に望まれて顕現している」

幸村公認か。


「…お前の中身と理由、分かったよ。あと弱点もな」

「...ほう」

伏目がこちらに向けられた。
花魁煙管から甘苦い香りがする。

「して、如何に俺を退治する?」

「...おかしいと思ったんだ。何故屏風が燃えないか」

「...」

「あんたから出てる火だもんな。そりゃ自分の体にゃ燃え移らんさ」

殺気が微かに強まった。

「それを知ってどうする」

「お前のではない火で屏風を焼けばいい。主人に頼んである。半刻後に火をつけろ、と」

「...ほう」

「俺は時間稼ぎだ。もうすぐお前は消炭になる」


沈黙。 

と、虎が目前から消えた。
錆色の頭が視界の端に入る。


「ほざけ。お前を殺し、また焼くまで」
甘苦い香りのする方へ簪をかまえ、振り下ろされた煙管を止めた。がぎぃん、と擦れる音が草原に響き渡る。

「...ふん、やるではないか。人風情が」

「こんなもんか?妖風情は」

にやりと笑って虎が離れる。

「時間稼ぎと言うならば」

「...」

「さっさとけりをつけないとな」

す、と虎がこちらに手を翳す。
刹那、頬を熱が掠めた。

「...っ」

「手加減はせぬ。全力で参る」

「あぁ、そうか...っよ!」

背に構えていた熾針を前方へ投擲。
直線軌道を描いた針は、虎の目前で蒸発した。
「他愛のない」

「あんたが強いんだよ。こりゃあ保つかね...」

「のこのことやって来たのだ。少しは踏ん張れ」

後方へ飛び距離を取る、はずが。

「遅い」

懐に錆色の頭。迅い。

連撃で三発、虎の拳が体幹を抉る。

「が、っ、ぐ、  ぐ」

倒れた俺を蹴りに来た足首を掴む。

「武家様は、強いなぁ」

「何を呑気に」

そのまま、掴まれた足を軸足に反対側の足を振り上げて、踵落とし。
脳天に振り下ろされるそれをすんでのところで回避した。
耳の横の地面を素足の踵が容赦なく抉る。

「っあ、っぶね」

「これで終わりと思ったか」

地にめり込む踵を引き抜き、下方からその爪先で顎を狙って蹴り上げられた。
追うようにもう片方の足も蹴り上げ、虎の体は宙を舞った。

「っ、ぐ  がっ」

咄嗟に胸前に組んだ腕にもろに二発。みしり、と骨が鳴った。
後ろに吹き飛ばされる。


「っちちち…きく、なあ」

「まだ終わらぬ」

「ちっとは手加減して欲しいもんだ」

「手加減できると思っているのか」

笑い出したのはどちらからだったか。
笑い声が重なり響き鎔けていく。






どれだけ焔をかわしたか。
熾針はもう使い切り、袖や裾も淵が黒く焼けていた。

「まだ足掻くか」

「時間稼ぎが仕事なんでね。そろそろだろう?」

と。視界が薄く翳った。
灰白色の空が朱に染まる。いや、燃えている。

「時間、か」

「…間に合わなんだか」


見れば、虎の白い袴の裾が焦げている。


「ここまでだ。虎よ」

「…ああ、身が焼けるようだ」

「燃えてんだよ」

「はは、違いない」

袴の火は留まらず、足や腕に燃え移り黒く煤けながらさらさらと崩れていた。


「…いい気分だ」

「あぁ?」

「俺は、いや某は」

虎がごふりと血を噴いた。吐き出した血は地面に染みる前に灰となり消える。
こちらを鋭く射る金に透き通る眼は、黒に濁り始めていた。

「誰かに、止めて貰いたかったのやも知れぬ」

「...幸村」

「勘違いをするな。まだ、俺だ。御主人様の御名を出すな」

「...そうだな」

「息抜きこそが、俺の意義。御主人様が望めば、また俺は顕現する」

「...また退治するまでだ。覚悟していろ」

「ああ、また、な」


さらさらと一握ほどの消し炭が虚空に溶けて、消えた。
消えるほんの一瞬、虎が微笑んだ気がした。


突如、ぐ、と引き戻される感覚。
一瞬の暗転。続いて強く叩きつけられる体。

「っ桔梗様!」

ふらりとよろめく視界を探せば、焦ったようにこちらをみる店主。

「…ああ、戻ってこれたか。燃えたか?」

「はい。燃えさしが少し残っております」

見れば、屏風があったところに僅かに黒い煤がぱらぱらと落ちていた。


「とりあえず、解決。信玄公んとこ報告しに行くから。その煤は捨てといて。御符は焼いてくれ」

「は、はい。ありがとうございます…」


痛む体を叱責して帰り支度。後片付けは面倒だし任せよう。
店を出る時に奥方に話しかけられた。

「あの、桔梗様。…主人の妹の、義妹の仇を取ってくださって、」

「ああ、いや、いいんだ。仇を取ったつもりはない。気にしないでくれ」

「は、はぁ…」


あたりは薄暗い。早足で城へと向かった。


/////////////////


「…して、信玄公。今回の虎騒動だが。
「虎は幸村だ。
「とは言っても、ああ、そうだ。本人ではなくて。
「戦での甚大な被害。彼を慕った者も大勢犠牲になっただろう。
「守れなかった者も大勢いたはずだ。
「その罪の意識と苛立ちが、爆発した。
「その心痛、心労を処理するひとつの手段として、あの虎が顕現したと考えるのが妥当だろう。
「あいつ、六文銭も槍も持ってなかったな。
「よほど後ろめたかったと見える。
「…何だろうな。俺にも仕組みは良くは分からんよ。
「婆娑羅なんてもんがあるんだから不思議でもなかろうよ。俺は幽霊は信じんがね。
「ああ、話が逸れた。
「とりあえず、屏風も燃やしたし、しばらくは大丈夫だろう。
「全く、息抜きの下手な奴だ。今度遊郭にでも連れて行ってやろうかと思うんだが。
「…はは、違いない。逃げられそうだな。
「それは任せる。鍛錬なりなんなり、付き合ってやってくれ。
「また、今回のような事がまたあったら呼んでくれ。ちゃんと手を打とう。
「さて。一件落着だ。
「幸村はどこにいる?もう目を覚ましているはずだが。
「…山へ?…あいつも全く…
「いや、いい。茶でも飲んで待ってる。
「そうだ、団子買ってきたんだ。どれ、あんたにも馳走しよう。
「中庭にいる。あとで茶を運んでくれ。
「…駄目だ、まだ執務が残っているだろう?
「ああ、あと今日は泊めてくれ。酒も馳走になる。
「報酬、だろう?
「とりあえず、終わったら来いよ。幸村と茶会と洒落込もうじゃないか」


/////////////////

部屋を出て中庭へと向かう。夕闇に染まる空には烏が飛んでいた。
幸村もそろそろ帰ってくるだろう。

「桔梗様、お茶が入りました」

「ああ、ありがとう」

侍女に煎茶を貰う。そのまま一口。熱すぎず温過ぎずでうまい。

ほっこりと和んでいると彼方から地響きが聞こえた。


「…帰ってきたか」


廊下を全力疾走する幸村。
俺の手前できききと足をそろえて止まった。足裏熱くないのか。


「っ桔梗殿!お久しぶりにござります!」

「ああ、久しぶり。団子食わないか?」

「いただくでござる!」

目をきらきらと輝かせて団子に手を伸ばす幸村。
手洗ったのかなこいつ。って邪魔するのも悪いか。

ぴたり、と串を掴む寸前で手を止める幸村。


「おい、どうした」

「…夢の中に桔梗殿が出てきました」

「っ そうか」

「某は、桔梗殿に、拳を。足を。…焔を」

「幸村、」

「そればかりか、家を、」

「幸村、」

「某は」

「幸村ぁ!!」

「っはいっ!」


びしぃと背を伸ばす幸村。
錆色の頭に手を伸ばし、くしゃりと撫でた。


「夢は、夢だろう」

「ッ…」

「そう肩肘を張るな。耐えるな。お前が煮詰まってどうする」

「…某、は」

「泣きたい時には泣け。叫べ。誰も咎めやしないだろうさ」


縋るようにこちらを見ていた目が伏せられた。
じわりじわり、と目を水の膜が被い、溢れて、垂れる。


「今は誰も見ちゃいない。出し切っちまえ」

「っあ、 あ、 …」

ぼろりぼろりと大粒になった涙が顎を伝い落ちていく。
頭を撫でていた腕に力を込めて引き寄せれば、胸元にぽすりと幸村が倒れ込む。
胸元を掴み、肩口に顔を擦り泣く幸村は、普段よりも幼く見えた。

背に手を回し、幼子をあやすように撫で擦る。
ふと顔を上げてみれば、廊下の角からこちらを覗く信玄公と目が合った。

見つかった、とでも言うような顔で笑っている。まったく、あいつは。

すんすんとしゃくりあげる幸村をゆるりと抱きしめながら、たまには甘味持って遊びに来るのも悪くない、と思った。

「なあ、幸村。明日の鍛錬は俺が相手になろう」

さあ、虎と幸村。どっちが強いんだろうな。


俺の心中を知ってか知らずか、幸村は腕の中でこっくりと頷いた。

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