ホテルに着いたエリカはすぐにチェックインを済ませ、部屋へと案内された。

 荷物を手にしたベルボーイと共にエレベーターに乗り込みながら、先程の出来事を反芻する。

 女一人のツーリストは恰好の獲物だと言わんばかりに、我先にとに群がる男達。

 そして確実に不審がっていたあの男。絶対に目をつけられたはずだ。

 しかしその厳しい眼差しは、どこか懐かしい輝きを持つ瞳でもあった。だがもう二度と会わない事を願うばかりだ。

 兎に角、行動には細心の注意を払って、気を付けなければならない。

 一歩歩けば厄介な目に合っている気がするものだから尚更だ。

 そんな事を考えているうちに、目的の階に到着した。

 スイートの中でも二番手のその部屋は、最上階でこそないが最高のラグジュアリースイートに次ぐ豪華なインテリアと広さだ。

 エレベーターを降りれば、硬質な板張りの廊下がヒールで蹴られて、コツコツと心地良い音を奏でる。

 案内された部屋は一番奥の角部屋だ。これはラッキーな事だと言えるだろう。

 賢いベルボーイは、まだ若いのに余計な事は一切話さない。両開きのドアを開けて室内に入ると、簡単に、しかし失礼にならない態度と簡潔さで設備を説明するだけにとどまった。それはエリカにとって、とても好感の持てるものであった。

 エリカは労いの言葉もそこそこに好感度分を上乗せしてチップを渡し、すぐさまベルボーイを帰した。これからのやる事は、とても多い。
 


 部屋に一歩入ると、ドア近くの大判の鏡の横には帽子が数種類掛かった背の高いコート掛けとフィッティング用のスツールがあり、その足元にはマゼンダ色をしたフカフカのラグが敷かれて、そこにはルームシューズが鎮座していた。

 金糸と銀糸で華やかな刺繍が施された、薄紅色の可愛らしいバブーシュ。明らかにホテルの物ではない。

「……まあ、かわいい」

 目をパチパチと瞬かせ、足早でベッドルームまで向かう。

 大人二人が手足を広げて悠々と眠れそうなクイーンサイズのベッドにバッグを置いて、クローゼットを開くと予想通り。カクテルドレスとイブニングドレスがそれぞれ数種類ずつ用意されている。

「…ワォ!至れり尽くせりね」

 棚にはハンドバッグやクラッチバッグ。足元にはドレスと共布のパンプス達。おまけにジュエリーボックスまで完備されている。

 財団ときたら、全くもって用意の良い事だ。思わずクスッと笑いが零れる。これで、今夜のドレスを慌てて用意するなんて羽目にならずに済みそうだ。

 クローゼットを閉めてふとマホガニーのナイトテーブルを見遣れば、ノート型のパソコンが置かれている。これも財団によって用意されたものだろう。

 開いて電源を入れると、既にメール画面が立ち上がっていた。送受信を押すと、一通の新着メールが届いた。

 早速件の情報を纏めて、詳細資料を送ってきたらしい。

 一通り目を通してから『本日のやらなければいけない事リスト』に、また一つ加わった事をエリカは悟った。

 その為には、まず康一とジョルノ・ジョバァーナの件を終わらせなければならない。

 ふぅ、と一息吐いて、室内を見回す。居心地の良さそうな幅広のソファーで寛ぐのも、ダイニングテーブルの上に芸術的にセッティングされているフルーツに舌鼓を打つのも、シャワールームとは別にベッドルームの窓側に設置されたジャグジーと最高の眺めを楽しむのも、全ては後回しだ。

 また市街地へとんぼ返りする事から考えて、服装を変えて行った方がいいかもしれない。先程の男に、また会わないとも限らないからだ。

 そう思案すると、すぐに持参したトランクケースの中身を広げて、手早く悪目立ちしない服を選ぶ。

 濃紺の地に白いチェックのワンピース、黒のロングブーツ。

 ストッキングも白い物からスキンシースルーに小さく黒い水玉が浮かぶ物に穿き替えて、髪の毛も捻って纏めて襟足近くにアップにしてしまった。コートは脱ぎ去り、念の為にハンドバッグもチェンジする。バッグの中身を詰め替えて、身元の割れそうな物は全て隠し金庫へ。

 準備は出来た。部屋のドアを開けて『仮眠中』の札を下げてからしっかりと鍵を掛け、コート掛けから帽子を一つ選んで被る。

 そのまま通路へと出られる扉からは離れて、バルコニーに出てしまう。

 そして背後に現れる一つの影。

「さあ、行きましょうか」

 その声の反応するように影は静かに霧散し、少女の体を取り囲んだ。




 時を同じくして、エリカと別れた康一は、ネアポリス中等部寮の正面のバールに来ていた。

 陣取った窓側の席からは寮が良く見え、生徒達が寮内に出入りする姿まで鮮明に捕らえられる。この店の中では、ベストポジションだ。

 その席に腰掛けて注意深く窓から見える景色の端から端まで目を配りながら、注文したピッツァと己の不甲斐無さ、情けなさをまとめて噛み締め、甘いカッフェラッテと共に飲み下す。ピッツァはピッツェリーアにあるような生地の薄い本格的なものではなく、分厚い生地のピザパンみたいなものだ。熱くても冷めていても食べられる。幸いな事に出されたピザパンは暖かく、そして美味い。

 腹ペコの体に詰め込み終えると、ようやく一息ついて人々のバール内の会話に耳を傾ける事が出来た。そう、気付けば康一は珍獣を見るような露骨な目線を浴びていた。

 最初はアジア人だからだと思ったが、今や二十一世紀である。十年も二十年も昔と違い、そうそう珍し過ぎるものではないだろう。原因はすぐに解った。

「見ろよ、あそこの窓側の席のチナーゼ。カッフェラッテ飲みながらピッツァ食ってるよ」
「お行儀がいいからジャッポーネじゃないの?」
「どっちでもいいさ。でもそうかもな、いかにも大人しそうだ」
「でしょ?……不思議な食べ方よね。合うとはとても思えないわ」
「カメリエーレ(給仕)も教えてやればいいのにな」

 思わず康一はすっかり平らげた皿と、まだ少しカッフェラッテが残っている大きなカップを見下ろした。

 なにやらここイタリアでは、こんな軽食にも暗黙の了解が存在しているらしい。

 カッフェラッテとピッツァという組み合わせが悪かったのだろうか。それともカッフェ類とと食事を同時に摂取してはいけないのだろうか。詳細は不明だ。

 しかしそれを聞いてから、途端に居心地が悪くなってしまった。バツが悪くてちまちまと残りのカッフェラッテを飲んでいると、康一はある事に気付く。

 エリカと合流してからジョルノの間借りしている寮の部屋に忍び込む手筈だったが、そうこうしている間にジョルノが帰ってきてしまったら厄介な事になるのではないか?

 窓に顔を近付けて見回しても、今の所ジョルノ・ジョバァーナは付近にいない様子だ。なら、今ここで、まだ現れないうちに、ジョルノの部屋を家捜しした方が効率がいいのでは。

 数度瞬きをして考え込み、意外な程決断は早く決まった。

 エリカがこのバールに来るまでの間に、さっさと見つけ出して戻って来よう。そうすれば彼女を待たせる事もないし、ジョルノ・ジョバァーナと万が一鉢合わせしていらないスタンド合戦に巻き込むような事もない。彼女は強い。でもまだ十六歳の女の子だ。そんな年下の女の子に仕方ないとはいえ金の無心までした挙句、怪我を負わせるリスクがあるなんて、考えるだけで康一の良心は悲鳴を上げる。

 どうしようもなく気持ちが急いて、むしろエリカが来てしまうまでに終わらせなければいけない事なんだ、とすら思った。

「よしッ、さっさと終わらせちゃおう…!」

 残りのカッフェラッテを一気に呷り、店を後にした。

 しかし康一は気付いていない。ジョルノ・ジョバァーナは康一の座っている席からは見えない角度から、既に寮に帰っている事に。





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