▽7.

「Nはあの人好きなの?」

そうトウコに問われた時、答えはもちろん「はい」だった。とはいっても、トウコの言う「好き」はボクが理解できない「好き」の方だ。「結婚したい」とか「恋人になりたい」とか。そういったものはトウヤに言わせると「愛欲」らしい。ますます分かり難くなった。
ボクは彼女をそんなふうに見たことない。ただ大好きなだけだ。一緒にいると安心するし、楽しい。手を繋いでもらえると嬉しくて、抱き締めてもらえたらもっと嬉しい。ずっと一緒にいられたら、きっともっとずっと嬉しいんだ。
だから、今以上を求めるつもりはない。

「本当に? 恋人になりたいとかないの?」
「なんで?」
「なんでって、N、あんたあの人のことどう思ってるの」
「だから、大好き」
「ほかには」
「一緒にいたい、とか」
「なら、恋人とか」
「――ダメだよ」
「?」
「だって、彼女はゲーチスが好きだ」

ボクの好きと、彼女のゲーチスに対する「好き」は違う。たぶん、トウコが言ってるのは後者だ。
でもゲーチスは母さんがずっと「好き」で。3年会ってないけど、今も母さんが好きなんだ。だから彼女はゲーチスの「好き」にはなれない。なれないんだ。
それは、たぶん、悲しいことなのだろう。

「でも、ボクはそれでも一緒にいるから、悲しくても、寂しくない」


寂しくさせないような、そんな人間になりたかった。



▽8.

ボクは今まで『それ』が普通だと思っていたから、自分の境遇を不幸だと思ったことはなかった。
日々はどろどろと詰まるように流れていて、現実はべったりと張り付いていた。
母の死を境に、日に日に弱っていく父親。冷たい親族。父さんが弱っていくのに、親戚は誰も助けてくれなかった。父が『ダメ』になっていくのはボクだってわかった。早く助けてあげないと、彼は死んでしまう。そう思ったほどだった。
だけどボクでは何をしても無理だった。テストで良い点を取っても、家事を手伝っても、褒めてもらえることはなかったし、それで彼の心が変わるわけでもなかった。

無理なのだ。
ボクが何をしても。
彼はボクに無関心だから。

ボクに定期的に食事を与えて、あとは仕事に没頭する。体も精神も、日に日に弱っていく。授業参観や文化祭、体育祭などの中学のイベントに、彼が来たこともない。

――父親らしいことなんて。

それが、原因だった。同級生から、からかわれたり嫌味を言われたりすることが、中学2年になった途端に増えた。
言われっぱなしが嫌で、そんなことはないと少しでも言い返そうとすれば、暴力を振るわれることもあった。
痛いのも、辛いのも、悲しいのも、嫌だったけれど。でも、家があったから。帰ることができる場所があったから。確かに小学生の頃と比べると、会話は減ったけど、帰ることができたから。
ボクには居場所があった。
暖かくはないけれど、帰る場所があった。
ゲーチスがボクを追い出さないのは、ボクたちが『家族』だから。
きっと、いつかはテレビの中の『家族』みたいに戻れると信じてた。

――信じてた、のに。


『いらないってさ』

『もう帰ってこなくていいってさ。あの家に、君の居場所はもうないって』

『君、今日から私と暮らすことになったから』


彼女が、現れた。
嘘だ。ボクの帰る場所はあの家だけだ。ボクの居場所はあの家だけだ。ボクは。

『N、もう、ここには帰ってくるな。あの人と暮らしなさい』

――ボクは、いらない?

誰もいないのに。頼る人間なんて、父親以外いなかったのに。その父親にすら見限られたら、ボクは、本当に、いらない人間みたいだ。いらない。いらない。いらない。いらない。

『父親に捨てられたんだろ』
『可哀想に』
『いらないんだな』
『親戚からも見捨てられて』
『今は遠い親戚の人間が面倒を見てるらしい』

――死ねって、こと?
高校に入って、周りの人間は冷たさを増した。彼女とは一緒に暮らすようになってからの1ヶ月、言葉は最低限しか交わしていない。自分を、煩わしく思われているようで怖かった。居場所がない。頼れる人がいない。怖い。不安。どう生きたらいいのかわからない。怖い。苦しい。寂しい。怖い。生き方がわからない。
生きるのは、怖い。
怖いけど。
死ぬのも怖かった。

『なら手伝ってあげようか』

家の近くの橋の欄干に足をかけていたボクの背中を、彼女は突き飛ばした。
突き飛ばしたくせに、腕を掴んで落ちるのを引き止めたのだ。

『怖がってるくせに、私の前で死のうとするなんて100年早い』
『だっ……て』
『第一君が何も言わないのが悪い。食べたいもの聞いても遠慮、話しかけても遠慮。ワガママ聞くくらい私の心は偉大だよ』
『嘘だよ……絶対、煩わしく思ってる……』
『勝手に決めない。試しになにか言ってみてから決めなさいよ』
『じゃあ、だ……抱き締め、てよ』

――絶対、嫌がるに決まってる。煩わしがる。嫌な顔をする。無視する。だからわざとそういったのだ。言ったのに。

『……!』
『細いね、もっと夕飯たくさん作ろうか』
『なん、で』
『なんでって、抱き締めて欲しいんでしょ。このくらいできるに決まってる。それに、死ぬか生きるかは私とあと1ヶ月暮らしてから決めてよ』
『!』
『君のこと、嫌いじゃない。それに私も少し態度悪かった。冷たい人間だってよく言われる。ごめん。だから、チャンスをちょうだい』

きっと、誰よりも君を思ってあげるよ

それからは、毎日の積み重ねだった。学校で嫌なこともたくさんあったけれど、彼女はそれ以上にそばにいてくれた。
テレビの中の『家族』みたいに、彼女は朝食を用意して、「いってらっしゃい」を言って、「おかえり」を言ってくれた。

だから、早く就職して、一人前になって、父さんや彼女を支えられるような人間になりたい。
今まで彼女の手を支えに立って歩いてきたから、彼女の手を離しても自分で歩けるように自立したい。



▽9.

「今日はボクの好きなものばかりだ」

食卓に並ぶ料理に思わず呟いた。向かいに座る彼女は、小さく笑いながら「模試で頑張ったから」と言った。そんなことで次も頑張りたいと思うのだから、ボクも案外単純なのかもしれない。

「N、この間進路の話、就職したいって言ったでしょ」
「うん」
「今日ゲーチスさんに会ったから伝えといた。文化祭のことも」
「!」

唐突過ぎる言葉に、箸からご飯が零れ落ちた。もちろん彼女とゲーチスが定期的に会ってることは前々から聞かされていたので知っていた。しかし敢えて触れないようにしてきたのだ。それがまさか彼女から触れてくるとは思わなかった。呆然と彼女の顔を見つめると、彼女は特に顔色を変えずに言葉を続けた。

「ゲーチスさんはNのやりたいように、だって。父親らしく協力したいとも言ってた」
「う、うん」
「ただ、向こうの家がね」
「!」
「一流企業の子息が就職とは何だとか進学しろだとか煩いこと言ってくるのは確実だろうね」
「……」

ゲーチスの両親、ボクからすれば祖父母にあたる人だ。ただでさえ大きな会社の、社長の家族の1人なのだ。体面を気にして、あの家の人たちが何か言ってくるのは覚悟してた。
高校にあがる時ですらさんざん反対されたのだ。もっと上の高校にいける。こんな田舎の高校に通って将来ダメにするつもりか。思い出せる言葉にいいものはない。
あの時はすでに彼女に引き取られていた。だから彼女も何かと弁護してくれたが、「部外者は黙ってろ」と強制的に蚊帳の外だった。
最終的にはゲーチスが説得して今の高校で落ち着いたが、やはり大学になるとあの時ほど簡単にいかないだろう。

「まあ、就職にしろ進学にしろ、Nの味方はいるんだし、やりたいようにやりなよ」
「君は味方?」
「心強いでしょう」
「あはは、心強いや」
「――あと、文化祭のことだけど、あの人はやっぱり行かないってさ」
「! ……そんなの、言われなくたってわかってるよ」
「だから最後くらい私が見にいこうと思う」
「えっ」
「なに、嫌なの?」
「いや、だって、もう3年だし、ボクのクラス、何も出し物しないって……」
「あ、そ。保護者用プログラム来たらあとでちょうだいね」
「……!」

言うだけ言って、彼女は止めていた箸を口に運ぶ。
前に、彼女は自分のことを冷たい人間だと言っていた。でも、それは単に言葉がたまに足りなかったり、上手く伝わったりしないだけで、彼女は確かにいつも優しくしてくれた。暖かかった。君は、優しくて暖かい人間だよ。君が。


救ってくれたよ。
君が救ってくれたんだよ。






20110331




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -