『今回は申し訳ありません』

それを聞いたのは二回目だった。さもそちらが悪いかのように、上辺だけの言葉が鼓膜を突く。ああ、また雇ってもらえなかった。
何をしても上手くいかない。惨めにばかりなっていく。自棄になって、死にたくなった。何をやっても私はダメだ。川を覗き込んでいたら、何枚か羽根が落ちてくる。あんな風に自由に振る舞えたらいいのに。
体がぐらぐらと傾いて、私は波紋の中に飛び込んだ。







人は多いが、些か静か過ぎるのではないのだろうか。目の前に広がる人だかりを眺めながら、ふと思った。凪いでしまえば雑踏の足音のみが聴覚を支配する。話し声も妙に声を抑えていた。活気がない、といったら良いのだろうか。
今まで様々な街で演説をしてきたが、どうにもここは違和感がある。背後にいる団員たちの声が神経質に鼓膜を揺すり、私は踵を返す。それを合図に、周りの団員たちがバタバタとせわしなく動き始めた。

そっと喉元に触れ、重い吐息を零した。身に纏う衣服のおかげで外から見えはしないが、首には赤く痣が残っている。昨日の光景が嫌に生々しく蘇った。
相変わらずNは頻繁に城を出ている。しかしその行き先など知らない。
思えば調べなければならないことばかりだろう。彼が口にしていた彼女≠ニは誰なのか。どこへ通っているのか。それは計画に差し支えないのか。場合によっては早めに手を打たなければならぬ。
彼には、何も必要ないのだ。トモダチ≠ニ銘打ったものをあてがい、ただ計画に沿った行動だけを取らせればいい。
――最も、あの環境に置いていたのだから、浮ついた感情を抱くなど滅多にないだろう。

歩を進め、ゆっくりと雑踏から遠ざかる。尚も静けさを保つ空間に嫌気が差した。

すると不意に、その空間を引き裂くような悲鳴が響き渡る。まるで硝子を引っ掻いたような甲高い嫌な響きだった。次いで大きな水音が響く。水しぶきが背後から飛び散り、アスファルトに黒い染みを打った。振り返った先にある川は大きな波紋と水泡を浮かべている。……何か、落ちたのか。眉をひそめる。しかし同時にボールからサザンドラが私の指示もなしに飛び出してきた。そして一直線で川の中へと飛び込む。間を置かずすぐに上がってきたそれは、口に人をくわえていた。
どうやらまだ若い女性のようだ。体を動かし、サザンドラから逃れようとしている辺り、意識もある。

自殺未遂、か?

付近を見回すが、川の周りや橋には柵がある。足を滑らせたからと言って、柵を越えるか誰かに突き飛ばされなければ川に落ちることはないだろう。何よりも上から、おそらく橋だろうか、そこから落ちてきたのだ。事故、とは言い難いだろう。
……人だかりが今ので増えている。先ほどまで静まり返っていたのが、他人の不幸を喜んでいるのか、ざわざわとさざめいている。嫌に騒がしい。耳障りだ。胸中に不快感が積もっていく。

「サザンドラ、その人を下ろしなさい」

ひとまずそう命じると、サザンドラは躊躇いを見せた後に彼女を下ろした。しかし何故わざわざ厄介事を抱え込むようなことをしたのか。何故突然赤の他人に関心を持ったのか。それの様子に違和感を覚える。
サザンドラから離された女性は、ふらつきながらその場に立つ。そこで私は初めて彼女の貌を確認した。

「……!」

――ああ、そういうことか。
彼女の顔に息を呑む。髪から滴る水が頬を滑った。見慣れた顔、懐かしい顔、と言えばそうかもしれない。しかし全くそうではない。この女性は今初めて出会った他人だ。ただ、そう、顔が似ている。いや、顔の印象だ。顔の印象が似ているのだ。
心臓が跳ねる。意識が遠のくような錯覚にとらわれた。

色褪せた写真の中で、変わらずに笑っている彼女の姿が脳裏をよぎる。しかしそれも女性が発した声で我に返る。……彼女とは、まるで異なる質の声だった。
女性はひどく困ったような、そんな笑みを浮かべた。

「……ありがとうございます」
「いえ……」

表情と言葉が釣り合っていない。まるで道を失った旅人のような、頼りない表情だった。それと共に、何故邪魔をしたのかという非難の色も孕んでいるように見える。嫌な気分だ。それを踏み潰すように、サザンドラをボールに戻し、団員にも去るよう命令を下す。

「それでは私たちはこれで」
「あの」
「事故、ということでよろしいですか」
「そうとってくださるなら」

女性は今一度、「ありがとうございます」と口にした。……野次馬が気になるのだろう。そしてずぶ濡れのまま、背を向け走り出した。

「……」
「ゲーチス様、どうかなさいましたか?」
「いや……」

心臓にズシリと、鉛を架せられたような圧迫感に襲われる。喉を絞められた感覚も鮮明に蘇った。苦しい。女性から目をそらし、私もまた歩き出す。

ふと、女性が去った方を振り返った。もうほとんど姿は見えない。しかし彼女のもとへ、青年が駆け寄る姿が見えた。
私にはそれがNに思えてならなかった。







20101030
修正20110103
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