出会わなければ、別れなんてものは来ない。そんなどうしようもない理屈をこねて、あの日現実を放棄した。
――父も母も、出会わなければ良かったなんて。






「私、一度ホウエンに帰ります」
「……!」

泣き腫らした瞼をこすりながら、やっと絞り出すように言葉を吐いた。隣にある薄い肩が小さく震える。彼は目を見開き、私の顔を凝視した。それにもう一度、確認するかのように言葉を紡ぐ。
するとどうして、とでも発したかったのだろう。中途半端に開いた彼の唇からは、乾いた吐息が掠れた音を出して零れた。

「やっぱり、けじめはきちんとつけないと……」
「けじめ……?」

シャドーブルーの瞳が大きく揺れた。私の腕を掴んでいた手に力が入る。瞼が僅かに震えた。

「どうして、けじめって……なんで……」
「私、こっちに来る時に親とケンカしたんです。さっきのダイゴみたいに。だから、きちんと向き合わないと」
「イスズ……」
「ちゃんと和解して、意見を言って、そうしないと……けじめをつけないと」
「でも、そんな……君は……」

どうして
薄い肩が震える。ゆっくりと私からそらされ、足下に落ちる瞳が大きく揺れた。罪悪感にも似た複雑な気持ちが波打つ。
――私たちは、どうしてこんなにも互いに不安定なのだろう。
彼の肩を支えるように腕を回し、親が子を慰めるように抱き寄せる。重心が私の方へとかかる。コツリと額を寄せた。彼は顔を伏せたまま、口を開く。

「また、僕を置いていくの」
「N君」
「あの時みたいに、僕から何もかも奪って、サヨナラするんだ……」
「N君、私は」
「待ってたんだ。ずっと。ママは帰ってくるって信じてた。信じて、君を信じて、やっと迎えに来てくれたと思ったのに」
「……」
「また、僕を置いていくんだね」
「……」
「寂しい僕と寂しい君が一緒なら、寂しくなくなるって言ってたのに……君は僕をまた独りにするんだ。寂しく、するんだ」

シャドーブルーの瞳が、おもむろに向けられた。非難にも似た色を宿した目は、深い寂寥感を孕んでいる。それについぞ罪悪感が込み上げた。
網膜の裏側に、小さな少年と私自身の姿が再生される。玩具箱。モノレール。鏡。窓のない部屋。テレビのない部屋。外界と遮断された部屋。冷たい箱の中。
何故、こんなところにこの子はいるのだろう。この子の父親は、どうして外に出してあげないのだろう。
――可哀想な男の子。
母がいないと呟いた彼の母になると、私は言った。始まりは同情からだった。可哀想な子に優しくする自分に優越感を感じていた。そこに存在意義を見つけたのだ。
しかしそれはすぐに崩れた。私の母が迎えにきたのだ。私の存在意義が消える。私は、彼の母≠ニいう役を負った私を、捨てなければならなかった。
月日が流れ、そんなことなどいつの間にか忘れてしまった。そしてここに再び来て、彼と再会した。
詰まるところ、彼は私のエゴに振り回されただけの人だった。胸中がギシギシと軋みを上げる。

「ごめんなさい」
「……そんなの、僕は」
「ごめん、なさい」
「イスズ」
「でも、きっと……帰ってきますから」
「!」

シャドーブルーの瞳を見詰め、ゆっくりと息を吐き出すように言葉を紡ぐ。

「やっぱり、けんかしたままだと、罪悪感がいっぱいで。向き合うなんて言っても、実際はそんな綺麗なことじゃないんです。ただ、私の、自己満足で」
「……」
「罪悪感から、逃げたいだけなのかもしれません。今さら、なかったことに、したいのかもしれません」

失敗だらけの毎日だった。まるで親に媚びを売るように努力し、反面壊れていく家族間の関係に失望していた。私は、私が親の期待に添えられるような人間になれば、家族は壊れることがないと信じてた。しかしそれは叶わなかった。どうしようもなく、惨めな気持ちでいっぱいだった。
――私なんか、いなくたって。
卑屈な思考に走って、いいように逃げて、連絡を断って、気付けば引き返せなくなっていた。何度も両親に謝ろうと思った。口で上手く言えないから、手紙にしようとした。しかしそれもできなかった。失業して、情けない体たらくを見せたくはなかった。いつもいつも、詰まらない矜持が意志を伝える邪魔をした。それすら、言い訳なのだろうけど。

彼はゆっくりと私から離れる。

「けじめをつけたら、きっと帰ってきます」
「ほんとう?」
「信じられませんか?」
「だって、君は、嘘吐きだ」
「……」
「でも、いいの? 僕は、君を待ってて、いいの?」
「……待てますか?」

問いかけると、彼は再び腕を伸ばしてくる。柔らかい緑色の髪が、頬をくすぐった。その背中を優しく撫で、私は目を閉じる。

「15年、僕は待ったよ」
「そうでしたね」
「なら、大丈夫さ」
「……」
「だから、今度、サヨナラしてまた会うときは」
「?」
「その時は、僕のお母さんじゃなくて、イスズ自身と再会したいんだ」
「!」
「僕と、ゼロから始めよう」

彼の声が震えた。
瞼が熱を持つ。
やり直しなんて、都合の良いことなどできはしない。リセットボタンなど、どこを探してもないのだから。
それなら新しく始めればいいと彼は言う。スタートなんて好きな時にできる。始めるかどうかも決めるのは自分自身だ。

「そう、ですね」
「……」
「次は、友人として、また始めましょう」


だから待っていて


詰まらない矜持で、嘘で塗り固められた時間なんて、どうせ長く持ちはしない。すぐにボロボロに崩れ去る。
勘違いして、逃げて、避けて、それでも彼は、私を置いていかないというのだろうか。
――いや、彼にとっては、私の方がむしろ置いていく人間だった。
ならば「待つ」と言ってくれた彼のために、私は否が応でも生きていかなければならない。
「死にたい」だなんて、簡単に口にしてはいけない。
腕の中にある体温を強く抱き締め、私は目を閉じた。







20110303
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