アナログ時計の秒針の音が、規則正しく断続的に鼓膜を打つ。
普段なら全く気にならないはずが、何故か今日に限って神経質に思考を乱した。もう夜中の二時だ。全然眠れない。何故か背中にも、痛いまではいかないが、倦怠感のような違和感があった。深く息を吐き出しては何度も寝返りを打つ。
するとそんな私の様子に気付いたのか、グラエナがドアの隙間を器用に抜けてやってきた。それに上体を起こすと、彼は小さく鳴き声を上げる。

「大丈夫ですよ。ちょっと眠れないだけですから」

首のあたりを撫でてやると、グラエナは喉を鳴らす。……最近は少し無理をし過ぎたかもしれない。どうにも体の疲れが抜けない。胃の調子もいまいち良くない。とは言っても、もちろん市販の薬で事足りる程度だ。やはり疲れているのだろうか。明日、といっても日付は既に今日だが、久しぶりに一日家でゆっくり過ごそう。

こちらを見つめてくるグラエナに、何気なしに言葉を零した。

「N君はちゃんと家に帰ったでしょうか」

彼がこの家を出て行ったのは十時だから、もう四時間経ったのか。時計を見詰め、再度横になる。
明日彼は来るだろうか。最近元気がないから、何か美味しいものでも作ってあげよう。少しでも元気が出るように。彼の好きなものを作ってあげよう。そのために何か、買っておかないと。寝返りを打ち、息を吐き出す。

――でも、そんな余裕はいつまで保つだろうか。

ふと、頭に浮かび上がる考えに、心中に黒いシミが広がった。それはどんどん肥大していく。鼓動がゴトンと跳ねた。無意識にシーツを握り締める手が、小さく震える。途端に込み上げてくる不安に、私はたまらず泣き出してしまいたくなった。
枕に顔を押しつけ、息を止める。心臓の音がやたら大きく耳の奥で響いた。

「大丈夫、大丈夫だよ……」

もう1人でも平気だと、父も母もいなくて大丈夫だと、決めたあの日が去来する。不安でたまらないことを隠し、泣いてしまいたいほどの寂しさを飲み込み、私は何が欲しかったのか。再度「大丈夫、平気」だと反芻する。同時に脳裏で声が再生された。

『――嘘は、いけない』


そう言ったのは、誰だったろう。あの日、大きな手のひらが頬に触れた。赤い瞳が笑った。古い記憶だからか、映像は輪郭がぼやけていて思い出せない。あれは誰か。あの人は誰か。あの子は誰か。あの子?
何ひとつ朧気で、鮮明に思い出すことができない。グラエナが不安げに鼻先を寄せてくる。その頭をそっと撫で、私は目を閉じた。
不安に沈んでしまう前に、早く眠りに落ちてしまいたかった。




それからどのくらい経ったのか、うとうとと微睡んでいた意識は、不意に感じた息苦しさにより引き上げられた。腹部を中心に体中が嫌に重い。苦しい。息が上手くできない。瞼を開けるが、カーテンも締め切った部屋は真っ暗で何も見えなかった。手を持ち上げ、首へと指を這わす。
何か、温かいものが触れる。何だ?
わけもわからないまま、グラエナかマメパトを呼ぼうと唇を開ける。しかし喉からは声ではなく、呻きが漏れた。

――窓の隙間から風が吹き込む。カーテンがフワリと揺れ、冷え冷えとした青白い月明かりが視界を照らした。

「――え、」

視界に映る、青白く映える肌。暗く沈んだ青い瞳。風にフワリと揺れる、柔らかい髪。見慣れた貌が、見たことがない冷たい表情で私を見下ろしていた。

「……っえ、ぬ……」
「……イスズ」

ギシギシと肌が軋んだ。私の首にあてがわれた彼の指が、容赦なく気道を絞め上げる。一瞬にして思考が混乱に陥った。何が起きているのか分からない。いや、違う。何故彼がこのようなことをしているのか分からない。
私に馬乗りになった彼は、ゾッとするほど冷たい笑みを浮かべ、私の首を絞め上げている。

「――っあ、ぐ……」

何故、何故彼はこんなことをしている。彼は帰ったのではなかったのか。いつここに来たのか。全く気付かなかった。私は殺されるのか。彼は私を殺そうとしているのか。何がしたいのか。何故こんなことをするのか。何ひとつ分からない。分からない。私は。

「や、め……!」
「どうして」

彼が指に力を入れる。呻きが零れる。

「イスズは、死にたいんだろ?」
「……!」
「僕、ずっと考えていたんだ」

私を見詰める彼の瞳が、月明かりを受けて鋭利に光る。背筋を氷塊が滑り落ちた。

「イスズは嘘吐きだから、きっと僕から離れてしまうだろ」
「な、にをっ」
「僕は、ずっと君をトモダチだと思っていたんだ」
「……!」
「グラエナをボールに閉じ込めないし、いつもポケモンに優しいから。だから、君は僕の夢を分かってくれると思ってた」

――夢。
彼の、夢。

「寂しさを教えてくれた。だから、僕はイスズと一緒なら寂しくなかった。……ずっと、安心してたんだよ」
「……?」
「でも、君は嘘を吐いていたんだね。仕事になんか行ってなかったし、1人でもなかった」
「ど……いう」
「前にホウエンの男の人から電話があったんだよ。君は、1人じゃないんだ。僕が全然知らない君が、いるんだ」
「!」

――ダイゴ?

「何も、何ひとつ君は教えてくれない。嘘ばっかりだ」
「わたしは」
「どうして?」
「ッあ」

首を絞めつける力が増す。息が、できない。

「僕が信用できない? それとも僕はイスズの中でどうでもいい人間だから? ――僕が、嫌い?」
「!」

頬にぱたぱたと温い雫が零れ落ちてくる。私は瞠目して彼を見た。青い瞳に薄い水の膜ができ、そこから次々と涙が溢れ出てくる。彼の指が震えていた。

「嫌い、なんだ。どうせ、どうせ君は僕なんか嫌いなんだろ。大好き≠チて言ったのだって、嘘なんだ」
「ちが……」
「僕は、それでもすき≠セったのに……っ君は僕なんか嫌いなんだ!」

ボロボロと崩れるように涙が降ってくる。私は何も言えない。ただ、無性に悲しかった。違う。でも、違う。それ≠ヘ、嘘なんかじゃない。

「イスズなんか嫌い……っ嫌いだ。大嫌いだ!」
「――ッ」

私は、きっと何も分かってなかった。違う。分かろうともしなかった。
いつだって世界に受動的で、自分から何かを欲しようと手を伸ばさない。

そのつけが、今になって回ってきたんだ。






20110103
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