「私、お母さん≠ノなる」

小さな少女が、私を真っ直ぐ見つめながら言った。彼女の腕に抱えられたポチエナが、怯えるように身を強ばらせる。私は身を屈め、彼女と視線と合わせた。

「あの子を守ってあげるの」
「私、できるよ」
「私だって、もう、パパやママがいなくたって、平気だもん」
「寂しくなんかないよ」

――嘘は、いけない。

私は彼女の髪を撫でながら言葉を吐く。哀しげに目を伏せた少女に、私は亡くなった彼女の影を見た。







もうじき1週間が経つのか、と。何気なしにカレンダーの数字を眺めた。テレビから流れる抑揚に欠けたアナウンサーの声に、無意識に吐息が零れる。
彼が再びここを訪れなくなってから、1週間が経つ。
……もちろん今さら特に驚くことではない。実際にほんの1ヶ月近く前にもあったことだ。彼がここに足を運ぶことを不意に途切れさせるのは、疑問を抱くほどのことではないのだ。
ただ、記憶の先端に焼き付いた彼の様子に、少しの懸念が去来する。どこか落ち込んでいるような、思い悩んでいるような、そんな顔が何日も続いていた。元気ならそれでいいのだが、何かあったと思うと不安にならずにはいられない。私だって、人並みに心配くらいするのだ。

再び吐息を吐いて、テレビの電源を切った。同時に足元に寄ってきたグラエナの頭を撫でる。私以上にこの子は退屈そうだ。窓辺で外を眺めていたマメパトも、相変わらずぼんやりとした様子だった。

「お出かけでもしますか?」

外に出れば、彼に偶然会うなんてこともあるかもしれない。気休めのような提案を口にすれば、グラエナは嬉しそうに尻尾を振った。マメパトも私の肩へと止まる。2匹して出かけたかったのだろうか。
そんな反応を見せる彼らに苦笑して、私はさっそく出かけるべく支度に取りかかった。





たまに、無性にどこか遠くへ行きたくなることがある。誰も自分を知らない、そんな場所に行きたくなる。そこなら楽に呼吸ができる。理由はない。ただ、無知の雛鳥が親鳥に面倒を見てもらえるように、そこに行けば無条件で自分を受け入れてもらえる気がした。漠然とした、つまらない逃避的な思考だ。……こんなもの、無意味なものなのに。

しかしせっかくなので、少し費用はかかるが、電車にでも乗って遠出しようかと考えた。……ソウリュウシティの近くにショッピングモールがあったと思うし、そこに行こう。

行きの電車の中では、見慣れない外の風景にグラエナはどこか落ち着かない様子だった。窓の外を流れるように飛んでいくビル街、レトロな雰囲気の街、森や河川。普段家から仕事以外で出ることがない私にとっても、イッシュの広さには改めて驚嘆するばかりだった。マメパトはやはり各地を飛び回っていたのか、特に珍しいこともないかのように私の頭の上に静かに止まっていた。
途中うたた寝を繰り返しながら、ぼんやりと時間を過ごす。次に微睡みから覚める頃には、車内に流れるアナウンスがいつの間にか目的地に着いていたことを知らせた。

電車のドアが開くなり、上機嫌で降りるグラエナに思わず表情が綻ぶ。思えばなかなかグラエナを連れて家を出るということはなかった。いい気分転換になるかもしれない。
そんなことを思いながら電車から降り、駅のホームを抜けたときだった。遠くにある人だかりが視界をかすめる。グラエナもそれが気になるのか、私の方をチラリと見ては人だかりに視線を向けた。

「……何かあるんですかね」

頭の上にいるマメパトに呟くように言葉を投げかける。するとマメパトは首を軽く傾げて、グラエナの背へと移動した。
それを合図に、不意に2匹は人だかりに向かった走り出す。

「! あ、こら、待ちなさい」

器用に人の波をかいくぐり、2匹はその中心へと滑るように行ってしまった。慌てて追いかけるが、人波の壁に躊躇い反射的に足が止まる。それでも意を決し、やや強引に人を押しのけ中心に向かう。だがやはり途中で身動きが取れなくなってしまい、立ち止まった。

……ああ、あの子たちは大丈夫だろうか。

身をよじり人と人の合間から見回すが、そう簡単にいくはずもなかった。思わず吐息を吐くと、中心からよく通る声が聞こえた。

「……ポケモンは人間の手から解放されるべきなのです」

街頭演説、だろうか。この人だかりは演説を聞いている人々のようだ。抜け出すにも動くことができず、ひとまず聞こえる声に耳を傾けた。

「異種同士の絆など、幻想です。現に我々はモンスターボールという形でポケモンを縛っている」

「そこに主従の関係がないと言い切れる人間はいるのでしょうか」

「ボールという目に見える形でほだすことが絆でしょうか」

「目に見えるものではなく、それを超えて初めて私たちは対等になる」

「ポケモンは解放され、自由になることで初めて我々と対等なるのです」

ポケモン。解放。絆。対等。
まるで、私たちの今までの生活を全否定するような内容だった。はぐれたグラエナとマメパトに不安が発露する。同時に演説が終わったのか、人だかりは少しずつばらけ始まった。それを機に、思い切って前進する。何度か人にぶつかりながらも、なんとか抜けた。

黒い影が視界に映り、駆け寄る。するとその傍らには、見覚えのある男性が立っていた。

「――あ」
「!」

声を上げるとその男性は私に視線を向ける。あの時の、川に落ちた時に助けてくれた人だ。視線が合うとその人は微かに目を細めた。それに軽く会釈をする。

「ああ、あの時の……。こちらは貴女のポケモンですか?」
「あ、はい。それに先日は本当にありがとうございました」

ではこの人が演説をしていたのか。確かに一般よりも気品があり、名家の生まれのようにも見える。この間も統一された衣装を纏う集団を従えていたし、何かの組織が団体の統率者なのだろうか。
ひとまず敢えて演説の内容については触れずに挨拶をした。人だかりは既に消えている。
そんなことを思いながら、何故かその人をジッと見つめているグラエナに首を傾げた。

「すみません、この子たちと電車を降りたときにはぐれてしまって」
「……ボールには、入れないのですね」
「あはは……癖で……」

言いながらグラエナの首を撫でる。赤い瞳は何か言いたげに私と男性を交互に見た。
一体どうしたというのだろう。
しかしその疑問も、不意によろけた男性の姿に霧散した。驚きながらとっさに支えようと手を伸ばす。しかし男性は私の体を押しのけながら首を振った。

「だ、大丈夫ですか」
「お気になさらず」

よく見るとずいぶんと青白い顔をしている。体調が優れないのだろうか。

「えっと、誰か、知り合いとかはいますか?」
「心配には及びません。……呼べば来ますから」
「じゃあ早く呼ばないと、あ、連絡手段は……」
「――イスズ」
「!」
「……と、おっしゃるのですか」
「あ……はい」

不意打ちにも名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。名乗った覚えはない。何故知っているのだろう。奇妙な不安に駆られ、ぎこちなく返した。赤い瞳が向けられる。

「気をつけなさい」
「え……?」

不意に伸びてきた大きな手のひらが頬に触れる。私の心中を覗き込むように、見下ろす瞳に瞠目した。

「純真無垢ほど、質の悪いものはない……」
「……」
「アレは悪意もなく牙をむく。意味も分からず、傷を付ける」
「あの……」
「気をつけなさい」


アレは貴女が思うようなニンゲンではない


手が離れる。男性は僅かに痛みに耐えるような表情を浮かべ、踵を返した。
呆然と去っていく背中を眺め、立ち尽くす。
足元でグラエナが悲しげに鳴いた。






20101212
修正20110103
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