「きょうは、なにしてあそぶ?」

無邪気に首を傾げるあの子は、笑いながら私に手を伸ばす。擦り傷や裂傷に埋もれた肌は、透き通るように白くて柔らかい。そっとその手を取り、私もまた笑んだ。

「家族ごっこをしましょう」







――背徳感とは、比較的心地良いものだ。

まだ自分の中にヒト≠ニしての枷があるのだと安堵できる。彼女≠喪って以来、麻痺しつつある情緒は、歪な目的のおかげで糸のようにか細い平衡を保っていた。同士を騙しているという罪悪感、虚勢を張って地位を保守するという劣等感、血肉を分けた子供すら利用するという違和感。負の感情の発露が、まだ自分に心≠ェあるのだと実感させた。

ああ。なら私は、ヒト≠ナありたいのかもしれない。

あの子を無機物のように意図するままに育て上げ、バケモノだと侮蔑を抱く反面、自分は愚かにもヒト≠ナありたいと願っている。私はそんなにあの子を憎んでいたのだろうか。わからない。だが、街で見かける幸福感に満ちた親子と思える影に、心臓が得体の知れないどす黒い情にジリジリと焼け焦がされていく。そのたびに襲ってくる痛烈な嫌悪感だけが、いつも少しだけ苦しかった。

「……ゲーチス様」
「!」

傍らに降り立つ気配に、思考が現実へと引き戻される。音もなく姿を見せた影に、視線だけ向けた。同じ装束に身を包み、一見見分けがつかない3人は、感情に乏しい瞳を細めた。

「……例の件での報告を」

ざっと20枚前後はあるだろう紙の束が渡される。
その束を受け取り、早速紙面へと目を滑らせれば、先日見かけた女性の写真が真っ先に目にとまった。……だが、特に驚きはしなかった。その事実には薄々感づいていたはずだ。あの時見た青年は、Nで間違いなかったようだ。改めて確認した事実に無意識に吐息が零れる。

彼女≠ノ似た女性。

サザンドラが自ら飛び出して行ったのも納得がいく。だが特別酷似しているというわけではない。目の色も髪の色も、顔の部品も、見れば見るほど違うものだ。ただ、雰囲気がそれとなく彼女≠思わせたのだ。所詮は他人だ。
皮肉な巡り合わせだと、自嘲を零した。

「名前はイスズ=Bイッシュのサザナミタウン出身、ホウエンのカナズミシティ育ち……2年ほど前、両親の離婚をきっかけにこちらには戻ってきたようです。以来1人暮らし、最近では勤め先の会社も辞めてしまった……」
「……」
「何か、手を打ちますか」
「いや」

一般人を相手に、何を焦る必要がある。紙面に並べられた文字の羅列を眺めながら、首を振った。しかし僅かに彼らが眉をひそめたのを感じ、視線を紙面から三人へと移す。
するとうち1人が一歩こちらに寄り、ひどく抑えた声音で私に告げた。

「あの女性は、幾つか気になる点がございます」
「……?」
「彼女の母方の系譜を辿っていくと、ゲーチス様と僅かながら血の繋がりがあるのではと」
「なに……?」
「……申し上げ難いのですが、おそらく、ゲーチス様の父方の……」
「――!」

それはハルモニアとは、無関係の血だ。そうだ。私を混血にさせた。あの、男の。

「それに……あの女性は」
「いい。言うな。ただ、顔が似ているだけだ」

……ハルモニアの血を引いていたのは母だ。まるで無関係な父方の血筋の人間が似ているのは、単なる偶然だ。

「それに放って置いて構わん。所詮、ただの凡人だ」
「……」
「Nの好きなようにさせろ」

書類を視界の外へ出すように、テーブルの端へと押しやる。思考にのしかかる陰鬱な重みに、眼球の裏側に痛みを感じた。

すると不意にノック音が空間に響き渡る。
それに我に返り、ドアの向こう側にいる人間に入るよう促した。
ドアノブを回す音と共に、見慣れた緑色が視界に映る。意外な訪問者の訪れに、僅かに目を見張った。

「……N様」
「……」

名を口にすると同時に無意識に身構える。しかし彼はそんなこちらの様子には何の関心も持っていないようだ。無表情で部屋の中を見回し、何かを探しているような素振りを見せる。

「何かご用ですか?」
「ねえ、ゲーチス」
「……」
「あの人は?」
「?」
「どこに置いたんだい?」
「……おっしゃっている意味が、わかりません」

そう返すと、彼はゾッとするほど感情が抜け落ちた瞳をこちらに向けた。まるで鉱物を思わせる無機質な目だった。

「写真だよ」
「!」
「ゲーチス、たまに眺めてるでしょ。あの人、誰?」
「……!」

――ああ、この子は、母親の顔すら知らないでいたのか。
いや、知らせまいとしていたのは、間違いなく私だ。だがそれに今さら気付くのは、ひどく惨めな気分だった。一瞬だけ大きく脈打った心臓を無理やり押さえ込み、表情に笑みを張り付けた。

「機会があれば、後ほどお教えしましょう」
「今知りたいんだ」
「……」
「もう、きっと、時間がないんだよ。だから早くしないと。だって、彼女、同じ目をしてたから」

――彼女、とは、あの女性のことだろうか。

「見つけちゃったんだ。ああいうの遺書っていうんでしょ」
「どういうことですか」
「わからない。僕にも。彼女は嘘吐きだから。でも、だったら僕が自分から本当のことを知らないとダメなんだ。ねえ、ゲーチス、それで僕はあってるでしょ?」
「……」
「……ああ、やっぱりトモダチは嘘を吐かないよ」
「――!」

Nがテーブルの隅にある書類を無造作に掴みあげた。とっさにダークトリニティの1人が奪おうと手を伸ばすが、それは突如として現れたゾロアークに阻まれた。
Nを庇うように立つゾロアークは、赤い毛を逆立て唸り声を上げる。紙面へと視線を滑らせる彼は、書類を何枚か捲ったところで目を見開いた。指先に力が籠もり、紙に深く皺が入る。シャドーブルーの瞳が、色を無くした。

「……やっぱり嘘吐きだ」
「!」

バサバサと音を立てて紙が空間に舞う。まるで逃げるように部屋を出て行くNに、ザワリと背筋を悪寒が走った。

「追いかけますか」
「いや……」

足下を滑る紙片に目を伏せる。

イスズ

……そういえば、遠い昔、一度だけ、父方の従姉だという女性が訪れてきたことがあった。あの時は幼かったがNも生まれていた。彼女もまた、Nと年の近い子供がいた気がする。
あの子供の名前は、何だったのだろうか。


遠のく足音に、異様な虚しさが胸中に広がっていった。







20101123
修正20110103
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