(成り損ないの遺書)




ごめんなさい
今日も死ねませんでした
ごめんなさい




××年×月×日

(他にも何か書かれてあるが、ペンで黒く塗り潰されている)
(今も生きているのだろうか)







机に積み重なっていた本やノートが、バサバサと音を立てて崩れた。床を簡単に埋めてしまうほどあるそれらを慌ててかき集める。ちゃんともとに戻さなければ、イスズに怒られてしまう。彼女のことだ。自分の部屋の物だと余計敏感に変化に気付くだろうから。
僅かに開いたドアの隙間から、グラエナが首を傾げながら視線を送ってくる。大丈夫だとそれに声をかけると、彼は尻尾を振った。

イスズの部屋に入ることに、特に抵抗があるわけでも制限をかけられているわけでもない。現に彼女からは好きに使っていいと言われている。以前彼女の帰りを待つ為にソファーで寝てしまったことがあったが、その時は風邪を引くと怒られた。ソファーで寝るならベッドで寝ろと、自由に部屋に入っていいからと、そう言われたのだ。以来ベッドを借りるようになった。その都度彼女は「勝手に使って」などと言うが、決まってその時は穏やかに目を細める。その表情が暖かくて、どうしようもなく夢に落ちてしまいたい甘えに駆られるのだ。
……いや、だからといって自由に出入りするというのは、勝手な自己解釈だろうか。

だがどちらにせよ今ここにいる目的は別にある。床に落ちたノートや本を拾い上げては注意深く確認し、机に重ねていく。

昨日の、あの電話の男性は何者なのか。グラエナの言った言葉の意味は何なのか。それを知りたいと思うのは、ひどく不謹慎なことだろう。しかし知らなければ不安でたまらなかった。胸中が焼け焦げていくように、得体の知れない予感が広がる。
今まで確固たるものとして彼女の存在は刻印していたのに、途端に靄のように不安定なものに変わってしまった。風に吹かれればあっさりどこかへ飛ばされてしまう紙片のような、死して海に融解して消えてしまう海月のような。
彼女のことを、僕は知らなさすぎた。

今までなら知らなくたって良かった。楽しかったから。安心できたから。でも今は違う。知らなければいとも簡単に失ってしまうのだ。そのためならと、こんなことをするのがどんなに浅ましくても。



「!」

もうほとんど片付け終わり、最後の一冊のノートを手にとった時だった。表紙から何かがスルリと滑り落ちる。封筒だ。封をしていないから、便箋のようなものがはみ出ている。誰かに宛てた手紙だろうか。便箋を取り出すと、何かを書いてはペンで黒く塗り潰した後があった。書き損じたものだろうか。しかし便箋の裏側にも何か書かれている。何気なくそれに視線を滑らせた。
書かれた言葉に、息を呑んだ。


『ごめんなさい』

『私は■メ■■■です■お■■ん、お父さん。ごめん■なさい。■は■■も■た■』

『死■■せんでし■』

『■はちゃんとし■人■に■り■■つ■です』

『ごめんなさい』

『私には、■る■格■んか■り■■ん』


ところどころ、インクが滲んで文字が潰れている。しかしかろうじて読める部分に、喉の奥にツンとした痛みが走った。心臓がゴドンと不吉に動く。手が震えた。

イスズは本当はイスズじゃないんです

仕事、休んでるって

明日も仕事ですから


彼女は、今どこで何をしているのだろう。本当に仕事に行っているのだろうか。どうして何も教えてくれないのだろう。彼女は。彼女は。

『今日も死ねませんでした』

ほとんど衝動的に、家を飛び出した。嘘だと頭の中で僕が叫んでいる。嘘だ。こんなの。彼女はきっと仕事で、今外を探したって見つからなくて、きっと夕方になったら帰ってきてくれて、探し回ってた僕を怒るんだ。「仕事だって言ったでしょう」って。「ちゃんとお留守番してください」って。そしていつもみたいに意地悪を言うんだ。「ハンバーグ作ってあげませんよ」って。
こんなの杞憂だ。


――遠くに人だかりが見えた。見慣れた装束を着た集団と、自分とよく似た髪色の男。サザンドラ。あと。あそこにいるずぶ濡れの、女性は。

「!」

女性はこちらに走ってくる。心臓が跳ねた。彼女だ。思わず転びそうになりながら、僕は彼女に駆け寄る。全身から水を滴らせた彼女に手を伸ばした。冷たい指先を、ギュッと握る。

「N君……どうしたんですか? 留守番は」
「大、丈夫?」
「え?」
「なんで、そんなに濡れてるんだい? 風邪引くよ」
「あはは。実は仕事の昼休みに餌付けしてたマメパトを捕まえようとしまして。捕まえたのはいいんですが、その時マメパトが入ったボールが橋の柵の向こう側に転がってしまったんですよ。慌てて取ろうとしたらそのまま橋から落ちちゃったんです」

苦笑しながらそう言った彼女は、新しいモンスターボールを僕に見せた。それにぎこちなく「危ないよ」と返す。

「ですがボールの中のマメパトは無事だったし、親切な方に助けていただいたし」
「……!」
「最初は噛み殺されるんじゃないかと焦りました。あんな大きなポケモンもいるんですね。名前は確か、さ……さざ……?」
「サザンドラって言うんだよ」
「肉食だったりします?」
「ちゃんと躾されてるから、大丈夫だよ。それより、仕事は」
「ああ、珍しいことに午前中だけなのでもう帰れます。帰りましょう、早くお風呂に入りたいです」

笑いながら言った彼女に、全身から力が抜けた。彼女は「川に落ちたから生臭い気がする」と呟いては眉をひそめる。ボールからは勝手にマメパトが飛び出してきた。パタパタと羽をばたつかせ、マメパトは彼女の肩に止まる。

「今から家に向かいますよ。グラエナと友達になってくれたら嬉しいです」
「……」
「そうそう、ハンバーグの材料も買いに行かないといけませんね」
「うん」

彼女が笑いながら言った。マメパトは鳴き声を上げる。
やはり彼女は彼女だ。僕の知っている彼女だ。安堵感がジワリと広がる。しかし同じくらい、どうしようもない寂寥感が頭の片隅に発露した。

二人並んで家路を辿る。




20101031
修正20110102
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