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そう言えば、あのボイドキューブの持ち主が誰であるのかを聞いていない。

長く伸びた前髪が視界を煙らせる。茫洋と病室の壁を眺めながら、膝の上に乗せたそれに指先で触れた。冷えた硬質感を感じながら、思考にドロリと流れ込む眠気に目をこする。
――事故だそうだ。幸い一命を取り留めたものの、長いこと昏睡状態だったらしい。ただ、それがどのような事故だったのか、何が原因だったのかは、教えてはくれなかった。それに、その事故の後遺症で軽い記憶障害と高所恐怖症にもなっているらしい。確かに事故の記憶がないのだから、記憶障害であることは間違いないのだろう。
ただ、高所恐怖症、というのが理解に苦しむ。昔何度も観覧車に乗ったし、一時期は高層マンションに住んでいたこともあった。その時は何ともなかったのだ。しかし病院の高い階から下を見下ろした時、得体の知れない激しい恐怖心に襲われた。吐き気、目眩、頭痛。何度か試しに高所へと足を向けたが、やはりその恐怖心は当たり前のように現れた。
医師からは事故が原因で発症した精神疾患だと告げられた。私は何も覚えてないのだから、その返答に納得せざるを得ない。

記憶する限りでは、ごく普通の家庭に生まれ、抑揚に欠けた時間を浪費するだけの人生だった。そんな人間がこんな「不幸」に衝突するのだから、世知辛い世の中なのだろう。長いこと寝たきりだった体は、リハビリをしなければまともに動かすことができない。そのリハビリすら、体力がひどく落ちた私には厳しいものだった。

頬にかかる前髪を煩わしく思いながら、視線を窓の外に向ける。
風にカタカタと音を立てる窓に呼応するように、頭の芯が揺さぶられる。体の奥深くでバラバラに砕けた映像の断片が、事故の前後の記憶だろうか。その記憶の断片には、見知らぬ青年がいる。

――もしかしたら、このボイドキューブの持ち主は彼なのかもしれない。





20110607
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