赦さないから




必要なモノと不必要なモノの選別は、昔からあまり得意ではなかった。
そもそも一般で言うところの必要≠ネものとは何だろう。環境に受動的に生きてきた人間には、計り知れないものだった。
足首を呑み込む水の冷たさに息を呑む。水面が青く揺れ、光の束がはぜた。
空っぽの自分は、何を詰め込もうと所詮偽物でしかない。模造された人間なのだ。
「バケモノ」と言い放った父の声が再生される。行き場のない泥ついた感情が、生きながら自分を殺していった。

「……誰のせいで……」

水面に映る自身の顔に、嫌悪感が迸る。空になったモンスターボールを水鏡に叩き付けた。水飛沫と共に、自身の姿が波紋に揺られる。唇を噛み締めた。世界を前にこんなにも簡単に、存在は淘汰されてしまう。

「誰のせいで……こんな、こんな生き物ができたと思ってるんだ」

――『ボク』が。

そんなものは、ただの都合の良い逃避だ。見下ろした先の水面に命を投げる覚悟も、世界を見限るだけの勇気もない。どこまでも甘えていて、中途半端で、中身のない生き物≠セ。
それを握り潰すように、僕は手のひらに爪を立てた。





「これは?」
「捨てて」
「こっちも?」
「うん」

それだと何も残らないよ。
彼女はそう顔を顰めた。
段ボールの中へと次々と詰め込まれる衣服、食器、小物の家具。ある程度いっぱいになったらガムテープで封をする。まるで懐古の念を選別しては閉じ込めるような作業だった。季節の変わり目に、或いは定期的に、今持っているものを処分してしまいたい衝動に駆られる。
手に持ったガムテープを引き伸ばし、指先で千切った。……物が減っていく空間に、特に未練はなかった。ガランと冷える部屋の四隅が、深い影の孕んで沈黙している。

「Nくん、このセーターは」
「いらない」
「……そっか」

力無く笑いながら、彼女はセーターを丁寧にたたんだ。また1つ、ダンボールの中に消える。空間から私物が排除される。

――過去を彷彿させるモノに嫌悪感を抱くようになったのはいつからだろう。

昔はそんなことなかった気がする。彼女の手元を見つめながら、目を伏せた。
蓋を開ければ、きっと泣きたくなるほど懐かしい匂いがするのだろう。同じくらい、過去の負の面が首を擡げる。劣等感、罪悪感、敗北感、失望感。頭の芯がぐらぐらと揺れた。すぐに不安に呑まれそうになる。安定を求めて天秤にかけた今の自分≠、過去はいとも簡単に崩していく。

だから今行っているこれは、安定を保つための儀式でもあった。今の安定を壊す異分子を抹消する務めでもある。死に物狂いで一般のふりをして、必死に今の社会にしがみつく。そうするためには、自分を脅かすだけの過去を少しでも今≠ゥら除外しなければならない。見せかけの安定≠ェ不安定に自分の世界を構築していた。それに縋るしか、今の自分に生きるすべはないのだ。

増えていく箱を眺めると、奇妙な虚しさが去来した。

もう、この作業を始めて3時間近くは経っている。窓から赤く差し込む西日に、満たされた箱が赤く照らされていた。燃えるように真っ赤な空間は、あと2時間も経てば消し炭のような黒に呑まれる。
……今でも、くすぶり続けている失望感や虚無感、罪悪感は、頭の奥を焦がしていた。

「Nくん、これは捨てるの勿体無い気がする」
「……いらないよ」
「そうなの」

マグカップを片手に、彼女は首を傾げて僕に問いかけた。……もう、1年は前の物だ。再度「可愛いのに」と非難する彼女に苦く笑うと、彼女は困ったように眉を寄せた。そして渋々と段ボールに入れては、ガムテープで蓋を閉じた。体の奥深くで暗がりが広がったような気がした。

「K、今日はもういいよ。ありがとう」
「じゃあ、明日は買い出しだね。春物買わないと」
「まだまだ寒いよ」
「そうかな。でもきっとすぐに暖かくなるよ」
「……もう春になるんだね」
「早いねえ、Nくんがここに来たのもちょうどこのくらいの時季だったかな?」
「もっと寒かったよ。雪、降ってた」
「早いねえ」

目を丸くして、同じことを繰り返し口にした彼女に笑みを零した。
――彼女と出会ってもう1年以上経つのか。
今この瞬間でさえ過去の生産を続ける時間の中で、彼女は不思議なくらい古びてもないし懐かしくもなかった。
彼女は常に新品のようだった。棄てる必要もない。疎ましいものでもない。
それはひどく不自然な感覚のはずなのだが、僕はそれに安堵した。

「明日また来る」
「気をつけて帰ってね」
「うん、また明日」

夕陽に赤く染まる横顔に、笑みを張り付けて返した。手を振ってドアの向こう側へと消えていく後ろ姿に目を細める。重い音とともにドアは閉まり、冷え切った空気が肺腑を満たした。部屋の中には必要最低限の物と段ボールしかない。空っぽの匣のような部屋の中を茫洋と眺めた。

「気をつけて帰ってね=v

彼女に投げかけた言葉を反芻する。こんなことを言いながら、僕は彼女がどこに住んでいるのか知らない。

夢も城も在処も失ったあの日。宛もなくさまよってこの小さな家に辿り着いた。すぐ側を大きな川が流れている、静かで穏やかな場所だった。川の対岸を繋ぐ大きな橋もあり、ここから少し離れたところ――橋の上や周辺には、小さな村のように家が並んでいる。おそらくそのどれかが彼女の家なのだろう。橋の下にある小さなこの家からは、街明かりが星空のように眺められる。
朝は起床して、食事を取って、夜は就寝する。空いてる時間は河辺を散歩したり本を読んだりして時間を潰した。たまに見かけたポケモンたちに話し相手になってもらうこともある。
何の変哲もない毎日が、くるくる回るように繰り返される日々だった。
抑揚に乏しく、平坦で、変化のない毎日。少なくとも不満も不平もない。ただ静かに流されていれば、その流れはどこまでも優しく自分を許容してくれた。

……そういえば、この川はサザナミ湾に繋がっているのだと、以前彼女が言っていた。川に沿って少し歩けば、すぐに大きな海に出る。この街は海の入り口なのだそうだ。そしてこの家の位置が、海と1番近いのだと彼女は言った。
そんなこの家に住むきっかけになったのも、辿り着いた時初めて会った人間もKだ。
僕は、結局行く宛も見つけられずにここに住み着くことになったのだ。
以来彼女は僕が家にいるとき、頻繁に訪れる。この近辺のことや、食材が安く買える店、家具や衣服を売っている場所、とにかく生活していく上で必要なことは、頼んでもいないのに教えてくれた。お金だけは組織の資金の余りやバトルマネーがまだ残っていたので困っていない。何よりも組織から僕の分だと与えられた金額は、文字通り一生遊んで暮らせるほどだった。
堕落的な毎日に浸かりながら、時間を浪費するだけの日々とも言えるだろう。

しかしだからといって、今さら何をすればいいのか分からない。
人≠ナあることを否定された以上、どういう生き方が正しいのかも分からない。
分かっているのは、自分は人≠ノなり損ねた人間≠セというだけだ。いや、人間≠ノすらなれてないのかもしれない。自嘲を零しては、自虐的な思考に終止符を打つ。

空虚な部屋の中を見るのにも飽きて、僕はベッドに身を沈めた。
窓の向こう側で、Kが橋の上を歩いている。寒そうに体をさする様子に、目を細めた。

春はまだ遠い。
冷たい外気がうなじを舐め上げ、それに身震いした。







20110204
修正:20110530
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