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わたしは梓くんの弾くピアノが好き。感じる音が優しくて暖かくて、まるで柔らかいものに包まれている感覚。それが彼自身のようで、凄く安心する。わたしはそれを求めて、何かある度に聴きに行っていた。そしてその優しい音に合わせて、気まぐれに歌う。

これがわたしたち幼なじみの、小さい頃からの習慣。





西浦高校に進学して、運よくクラスも梓くんと一緒。習慣だったピアノと歌は、梓くんの部活が忙しいって理由からすることが少なくなっていた。それでも暇を見つけては音楽室まで一緒に足を運んで、時々わたしにピアノを聴かせてくれていた。梓くんの些細な気遣いが嬉しくて嬉しくて、習慣がなくなっても毎日が楽しくて仕方がなかった。

そんなある日、梓くんが選択授業の音楽の時間にピアノを披露した。久しぶりに聴いたそれはやっぱりわたしを包んでくれて、自然と顔が綻ぶ。ずっと聴いていたい、そんな思いが心を横切る。



「…、凄いよ花井くん!」

「お前にこんな才能があるとはな」

「うっ、せーな。偉そうに言うな」



演奏が終わったら皆が口々に梓くんを褒める。綺麗だとか、凄いね、花井くんカッコイイ、とか。それに顔を赤らめる梓くん。…止めて。


何かが、割れた気がした。



──わたしも言わなくちゃ。


ハッとして、皆みたいな言葉を考えたけど、それが口からこぼれることはなかった。何も浮かばない。何で。梓くんの演奏が褒められるのは、わたしも嬉しいことなのに。何で、何も言えないんだろう。

不意に振り向いた梓くんと目が合って、思わず顔を背ける…こんなことをしている自分が、分からなかった。





「どした、気分悪いのか?」

「…大丈夫だよ、気にしないで」



授業が終わった後、眉間にシワを寄せた梓くんが真っ先に問うて来た。それに当たり障りのない言葉を吐くわたし。何だか正直に話せなくて、話したくなくて。限りなく黒に近いグレー、そんな気持ちを知られたくない。

視線の先は可笑しくないだろうか。動揺を隠さないと。わたし、ちゃんと笑えてる?


どうか、気づかないで。















***



同じクラスがこんなに辛いなんて、知らなかった。


あれから梓くんと話せなくなっちゃって、姿を見かけると避けるようになった。それでも教室が一緒だから、完璧に避けることは不可能で、それでも今は避けたくて。わたしの態度があからさま過ぎて梓くんを傷付けてるって解ってるのに、身体が動いちゃうんだ。

でもこの行為はただの時間稼ぎにしかならなくて…早い話、追い掛けてきた梓くんに捕まりました。



「…何で逃げるんだよ」

「に、げて、ないよっ?」



わたし全力疾走だったのに、息一つ乱れてない梓くん。流石運動部だな、なんて思った。こんな状況なのに可笑しいよね、変なの。…ね、梓くん。何かね、わたし変なんだ。この前、梓くんが授業でピアノを弾いたあの日から。



「わたしね、梓くんのピアノがすき」

「……」

「ずっとずっと、小さい頃からすきなの」

「…うん、」



暖かい手がわたしの頭を撫でた。俯いていた顔を上げると、ホッとしたように笑う梓くん。…そんな顔、久しぶりに見たよ。目頭が熱くなる。



「みんなに、褒められてる姿、見たくなかった。…梓くんがどっか行っちゃうみたいで、怖かったの!」



言い切って目を瞑った。熱い何かが頬を伝う。あぁ、泣いてるのかと冷静に考えるわたしが居た。今思えば、わたしはあの時皆に嫉妬したんだ。照れたように笑う梓くんが、皆に取られちゃう気がした。

梓くんは何も言わない。わたしたちを取り巻く静かで重たい空気。この無言の世界は、どれくらいの長さなんだろう。5分かもしれないし、1時間にも感じられた。

急に両手の自由を奪われた。驚いて目を開けると、真っ赤になった梓くんがわたしの両手を包み込んで、真剣な顔をしてた。



「俺、嫌い奴を追っ掛けてまで心配しねぇし、そんな器用じゃない。だから、その………俺も、ずっと前から好きです。俺と付き合ってください」



その言葉を理解した瞬間、止まってた涙がまた溢れる。真っ直ぐ伝えてくれた梓くんが嬉しくて嬉しくて、思わず抱き着いた。



「はい…っ!」




わたしは梓くんの弾くピアノが好き。感じる音が優しくて暖かくて、まるで柔らかいものに包まれている感覚。それが彼自身のようで、凄く安心する。

わたしはそんな梓くんが大好き。






矛盾する心が溶けてゆく

(君と同じ、優しい旋律と共に)


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企画提出
thank : 君のとなりさま


20111009
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