3



「名字、大丈夫か?」

 心配そうな声の日向くんに肩をたたかれる。
 シャーペンのあたまをノックしがら「何が?」と返すと、途端、彼の顔に呆れたような色があらわれた。

「もうホームルームおわってるぞ」
「えっ」

 あたりを見回す。教壇に立っていた先生はいつの間にかいなくなっており、まわりはカバンに教科書をつめる生徒たちの談笑。すっかり放課後の雰囲気だ。全然気づかなかった。どうやら日向くんもカバンに教科書を詰めて帰宅の準備をしていたところらしい。いっこうに席を立とうとしない私を見て、心配して声をかけてくれたようだ。

「名字、最近おかしいよな。授業中もぼーっとしてるし」
「ごめん、ちょっと調子悪いみたいで……」

 不思議そうにいう日向くんに、私は、あははと笑いを浮かべてごまかすことしかできなかった。


 田中くんが吸血鬼だという秘密を知ってから、早いもので数日が過ぎている。
 あの日から、私はとある悩みを抱えていた。注意散漫なのだ。何をするにも田中くんのことと血を吸われたことばかりが頭をよぎってしまい、ついぼーっとしてしまう。大好きな生物の授業でさえ、先生にあてられてもうまく答えることができないくらいだ。きっと、今の私は恋をしている女の子よりも上の空だと思う。


「本当に大丈夫か? 何か悩みとかあるなら聞くぞ」

 ちょっと話す程度のクラスメイトにもこんなふうな言葉をかけられる日向くんはどれだけ優しいんだろうか。
 しかし、「吸血鬼に噛まれた」などという、突拍子もない事情を日向くんに話すわけにもいかない。混乱するだけだし、あんな出来事を信じてもらえるとは思わなかった。

「ううん、なんでもない。心配してくれてありがとう」

 はやく気持ちを切りかえないと、とため息をつく。
 私が帰宅する準備をすすめていたその時、教室の扉が勢いよくガラッとあく音がした。私は出入口に視線を向け、手にしていたノートを落とした。
 そこには田中くんが立っていたのだ。腕を組んで、仁王立ちのポーズで。

「名字名前はいるか!!」

 しかも、どういうわけか名前がバレている。

「田中……?」

 日向くんが唖然としつつ田中くんを見つめ、バッと私の顔を見た。彼だけじゃない。クラスメイト達からの痛いほどの視線が私の横顔につきささっている。あんなに大声で名前を呼ばれてしまったのだから当たり前だ。
 静まりかえった教室の中を、長い脚が横断し、私の席の前でぴたりと止まった。おそるおそる上を向けば仁王立ちで立つ田中くんと目が合った。

「ついて来い」

 一瞬、何をいわれたのかわからなかった。理解してから遠慮がちに口をひらく。

「えっと、私、今から帰ろうと思ってて」
「いっておくが貴様に拒否権はない」
「……はい」

 断固として退くつもりはないらしい。強い口調と態度に抗うことをあきらめて、どうにでもなれと私はカバンを持って立ち上がった。





 今頃、教室はざわついているだろうなあ。

 半ば無理やり連れてこられた私は、現実逃避をしつつ、びくびくとしながら田中くんの後ろをついて歩いていた。
 ななめ前を歩く、田中くんの横顔をぬすみ見る。田中くんはよく見ると整った顔立ちをしている。ただ、目つきが悪いせいでかなり悪人面に見えて少しこわい。眉毛がないので余計に。時折、私がちゃんとついてきているのか確認するためにふりかえるのだが、その度に蛇に睨まれた蛙のような気分になり、私はびくっと肩を揺らしていた。
 いったい、私に何の用があるんだろう。
 田中くんと私の関係は、彼が吸血鬼だと知っていることくらいだ。ひょっとして秘密を知ってしまったからという理由で口封じをされるのだろうか。脅されるのかもしれない。今から向かおうとしているのは人気のない場所、とか。
 それはまずい。どうにかして逃げられないだろうか、と考えた私はきょろきょろと見回し、彼の背中に遠慮がちに話しかけた。

「もしかして本科に行くの?」

 私たちは、中央広場の噴水を過ぎ、赤い舗道をわたって本科の敷地の近くまで来ていた。「その通りだ」とばかりに頷く田中くんに私はいった。

「ごめん。私、そっちには入れないんだ」

 正々堂々入っても予備学科の私では門に立っている警備員にとめられる。ニワトリを届けた時は事情があったから、なんとか許してもらえたけど。
 これで帰らせてもらえるはず。
 しかし田中くんはふむと顎に手をあて何事か考えていたかと思うと「ついて来い」と端的に言い放ち、舗道を逸れ、横の林の方へと向かっていった。迷ったけど、先を進む田中くんの眼光に逆らえずに、おそるおそるついていく。暗い森の奥へと進む。敷地の外側をぐるりと囲うレンガ塀の近くを歩く。しばらく歩いていると田中くんはぴたりと足をとめた。

「ここから侵入する」

 えっ、と驚いた私に田中くんはつかつかと歩み寄ってきたかと思うと、目の前でしゃがみこみ、腰と膝に手を回した。まさか、と体を強張らせていると、

「ちょっ、田中くん!?」

 片腕にすわらされ、俵のように肩にかつがれた。お姫様だっこよりマシだけど。私の体重は決して軽くはないと思うのに、田中くんってかなり力持ちだ。

「舌を噛むなよ」
「ひゃあぁっ!?」

 返事をする暇もないうちに、先ほどとは比べものにならないほどの浮遊感におそわれる。地面が急速に離れていく。悲鳴をあげる。気がつけば塀を越え、敷地内の土の上へと着陸していた。塀を飛びこえたらしい。
 どんな脚力だ。吸血鬼って人間の力を越えているのかもしれない。
 そこは、先日も来たばかりの大きな飼育小屋の裏手だった。

「飼育小屋……?」
「何をしている。さっさと来い」

 田中くんに手招きされる。
 あいかわらず、やたらと広い飼育小屋だ。
 おそるおそる私が足をふみいれた時だった。一斉に、小さな動物たちがあたりから飛びだしてきて、私の足元にすりよってきた。思わずしゃがみこむと膝の乗ってきたり、顔をなめたりされて、体中がもふもふに包まれた。身動きがとれない……けど非常に幸せ。

「フハハハッ! 罠にかかったな!」

 入口をふさぐように立ち、田中くんは嬉しそうに高笑いをした。動物の国の王みたいだ。

「俺様の術中というわけだ。せいぜい術が解けるまでもふもふを堪能するがいい!」
「な、何? 嬉しいけどどういうこと!?」

 私は膝の上でくつろぎはじめた猫のサラサラした毛並みをなでながら、彼にたずねる。

「先日は、貴様を個人的な事情に巻き込んでしまったからな。借りを作るのは好まん。何かで礼をしようと思っていたところ、貴様が魔獣を好んでいると配下の日向から聞き及んでな」

 なるほど。きっと名前も日向くんからきいたに違いない。
 それで、動物好きな私のために、わざわざ飼育小屋までつれてきてくれたのか。それで、もふもふを。じわじわと笑いがこみあげてきて、ついに我慢しきれなくなった私はぷっと吹きだした。

「ふふ、田中くんが、もふもふって」
「なっ、笑うな!」
「あはは。だってかわいいから。もふもふ」

 何かツボに入ってしまった。だって、こわいと思っていた人にこんなにかわいい一面があったなんて思わなかったのだ。目尻に浮かんだ涙を指でぬぐいながら、こんなに笑ったのはいつぶりだろうと思った。

「ありがとう。私、こんなにたくさんの動物に囲まれたのは初めてかも」
「……貴様が望むなら、また来させてやってもいい」
「ほんと!?」

 すごい勢いで食いついてしまった。こんなに充実した設備でのびのびと育つ愛らしい動物たちを前にして、私がチャンスを逃すはずもないのだ。

「良いだろう。だが、契約を交わせ」
「契約?」
「貴様も見ただろう。塀を飛び越えるためには吸血鬼の力がいる。力を使うためには人間の血が必要だ。もし此処へ再び訪れたいと願うのであれば、少量でいい、俺様に血をわたせ」

 なるほど、と呟いた。田中くんがなんでこんな提案をしてきたのかと不思議だったけれど、私の血が欲しいからだと考えたら納得がいく。どうやら私の血はおいしいらしい。吸血鬼の彼にとってはご馳走になる。つまり、お互いに利益のある『契約』。

「わかった。『契約』します」

 言葉とともに、差しだされた大きな手に自分のものを重ね、握手をかわす。
 彼との『契約』は、私の灰色で退屈な日常にあざやかな色を差し込ませる予感がして、私は密かに胸を高鳴らせた。




BACK


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -