楽園
ジャバウォック島に来て以来、毎日雨がふりますようにと願っている。
雨というのは不思議だ。普段はうっとうしくて仕方がないというのに、こんなふうに毎日晴天続きだと、そのありがたみを思い出し、恋しくなってくるのだから。
わたしはジャバウォック島に来る前まで、雨が嫌いだった。傘をさす必要があるし、洗濯物が乾かないし、どこか憂鬱な気分になってしまう。歩いている途中にスニーカーが濡れると、一日が台無しになったような心持さえする。それでも、今はあのじめっとした涼しさが恋しい。雨粒の冷たさも。状況によりけりってことなんだろう。
砂浜で貝殻をひろっていたわたしは、雲ひとつない青い空をじっとにらんでいた。小雨でも降るか、せめて曇り空になってくれたら、暑い中採集作業をしなくてすんだというのに。
この常夏の島ではなぜか雨は降らない。最初は喜んでいたわたしだったけど、すぐに辟易とした。晴れていることはいいのだけれど、じりじりと焼けつく暑さがたまらない。
タオルでぬぐった先から汗が流れてくる。リュックからミネラルウォーターをとりだし、半分くらいまで一気のみした。それから、遠くにいる黒い背をみつけて、声をあげる。
「田中くーん!つかれたー!」
波際で採集していた田中くんが、砂を踏みぬきながらこちらにやって来た。片手に持ったバケツには貝殻や海藻などの収穫物が山ほど入っている。
「貴様、またか」
「今日はホントに無理なの。もーたおれそー。ここブラックすぎるよー」
「確かに、今日は一段と灼熱の火輪が輝いているな……」
本来であれば、わたしたち2人はお休みのはずだったのだ。
わたしは七海さんと一日中ゲームをして、怠惰に一日を部屋の中だけで過ごすつもりだった。しかし、スケジュールがギリギリだからと希望の薬をキメられ、わたしの休日はあっけなく霧散した。薬で社員を無理やり働かせるとは。さらに作業場所がビーチになるとは。日向くんは鬼だ。
「労働基準法違反です!ストライキします!」
手をあげて堂々と宣言すると、田中くんは呆れたような顔をしてみせた。以前であれば思いきりため息でもついていたのかもしれない。しかし最近では慣れて来た風だった。
この数日間、わたしと田中くんはずっとペアを組んで採集していたから、互いのことがよくわかっている。田中くんはわたしの自由さに慣れてきた頃だろうし、わたしくらいになれば次に彼が言うセリフまでもわかってしまうのだ。
「次にお前は、『軟弱者め……』と言う」
「軟弱者め……。ハッ!貴様、さては俺様の思考を!?」
ふざけていると、本当に頭がくらくらしてきた。田中くんに許可をとってから、どこかで休憩でもしようとヤシの木の下に移動する。選んだ理由は、単純に砂浜に影といえばここぐらいしかないからだ。
リュックを頭の下におき、枕代わりにして休もうと思ったが、実際に寝転がってみると葉と葉のあいだから容赦なく日光がふりそそいで、目にささる。あまり気持ちよくない。かといって近隣に他の休息地があるわけでもなし、今のうちに休息をとろうとぐったりしていると、採集していたはずの田中くんが近くにきた。
彼は軟体動物のようにのびているわたし無遠慮にじっと見下ろすと、となりに体育座りした。休憩に来たのだろうか、などと思っていると、彼は羽織っている学ランの裾をつまんでわたしの頭の上に広げてくれた。ちょうどベッドの天蓋のような。
「おお」
と声をあげる。
「なかなか良いかも」
田中くんの学ランが、屋根がわりになって日光から守ってくれる。影ができるとぐっと涼しい。やりやすいように彼のそばに寄った。
「あ、田中くんの匂いがするね」
「なっ……嗅ぐな!」
「てか獣臭。洗濯してる?」
「余計な世話だ!」
黒い学ランに縁取られた景色に見入っていた。
ジャバウォック島ってこんなにいい景色だったんだなあ。わたしは、ほうっと息をついた。青くて、透明で、きらきら光っている。まるでこの世の楽園みたいだな、なんて思ったりする。
ふと思い立ち、わたしはリュックをがさごそと漁ると、水のはいったペットボトルをとりだした。
「ん」
と田中くんにさしだす。
「何だ」
「お礼です。飲みかけでよければあげる」
田中くんは荷物を持ってきていないようだったから喉がさぞかし乾いているだろうと思ったのだ。そう言うと、彼はびっくりした様子だった。ちょっと迷っていたが、口をつける。ひとくちだけ飲むと、わたしに飲み口を向けてくる。
「ん?」
「貴様も飲め」
交代で飲む。ペットボトルをかたむけるたび、水がひかりを反射してきらきら光っていた。なんだか妙な気分だ。
2人でじっと海をながめていた。青い空も、いやというほど見飽きた南国の海も、どうしてか特別なものに思える。ずっとこうしていたい、なんて。