一等やさしく触れたいあの子


 ボクには、みょうじさんという完璧な彼女がいる。

 もし「完璧」が人のかたちをとるならば、間違いなく彼女の姿をしているだろう。
 彼女は「人類は皆平等」「天は二物を与えず」という凡人によって作られた価値観を真っ向から否定する存在だ。容姿端麗で才色兼備、勉強もスポーツも、芸術も戦術も、攻略も調略も篭絡も、難なくこなせてしまう万能型の人。何かの分野で突出する天才ではないが全てで100点を取れてしまうオールラウンドプレーヤー。そんな人間が近くにいれば自然起こりうるルサンチマン的感情も、高慢とはほど遠い彼女の性格を知れば途端に消失してしまう。

 そんな彼女が、ボクに告白してきた時は何かの間違いかと思ったものだった。

「ずっと好きだったの。狛枝くんのこと、教室でそっと盗み見てた」
「……知らなかったよ」
「お願い、私と付き合って」

 本来ならば断るべきだ。ボクみたいなゴミクズが受けていい幸運を遥かに越えていた。でも口から出てきたのは「ハイ喜んで」の一言。あ、やったな、と思っても後の祭り。
 それに、彼女の華咲くような笑顔を向けられて何が言えるのだろう?つまりはボクも男の子だったということだ。

 お付き合いを初めてから充実した毎日が続いた。本当にボクの身に起きている出来事なんだろうかと首をひねりたくなるぐらいだ。
 やがて、当時は中学生だったボク達も高校生となり、ボクは運よく希望ヶ峰学園に入学し、彼女はずっと行きたがっていた県外の有名な進学校に合格した。いわゆる遠距離恋愛だ。会う機会はかなり減ってしまったけれど、夜遅くまで通話したり、休みの日にデートを計画したりと、特に障害にはならなかった。

 でも、最近になって、不安を感じ始めていることがある。
 それはみょうじさんが、本当はボクのこと好きじゃないかもしれない、ということだ。

 一か月前にデートの待ち合わせをしていたところ、突然数人グループの女の子に囲まれたことがあった。一応ナンパのつもりなんだろうけどボクなんかに声をかけるなんて趣味が悪いとしか言いようがない。困ったなと思っていると、そこにみょうじさんが来てしまった。
 ボクは、ありもしない浮気の現場を詰められたようで焦った。自分のせいではないにしてもやはり決まりは悪い。
 しかし、みょうじさんはボクの腕を掴むと、「じゃ行こっか」と呆気にとられる女の子たちとボクを置いてけぼりにして、歩いていってしまった。何事もなかったかのような平然とした態度に驚いた。
 その後も一切何も言わなければ、数時間後にはすっかり忘れているし、一般的に(ボクが一般を語るのはおかしいけど)、恋人が異性に詰め寄られている場面を見た後の言動ではないように思う。彼女の反応にボクは自分のことを棚に上げてモヤモヤした。

 ――少しくらい、嫉妬してくれてもいい気がするけど。

 だからボクは、その日にわざと彼女を刺激するようなことを話した。例えばほかの女の子と仲良くしただとか、バレンタインにチョコを渡されたとか。どれも恋人に話すような内容ではない話だ。とても大袈裟に、誇張して。そうすれば多少は反応があるのだろうと思っていた。
 でも、どれもこれも彼女は楽しそうに相づちを打つばかり。目を細めて「凪斗くんはかっこいいからね」なんて鈴の声で言う。

 思えば、彼女の感情は、いつも風のない日の海のように凪いでいた。ボクはそれを彼女の完璧さ故だと考えていたけれどちがうのかもしれない。何があっても感情が揺らがないのは、単にボクが彼女にとって取るに足らない小石程度の存在だからじゃないか。
 告白されたからってそれが何だ。一年経てば人は意見が変わるし気まぐれだって有り得る。そもそも完璧な彼女がボクを好きになることなんて、あるだろうか。そんな風にボクは思考の深みへと嵌っていった。

 スマホを見れば、メッセージアプリに通知が来ていた。「おやすみ。明日楽しみにしてるね」ボクはそれに簡単な返事だけをしてスマホを伏せてしまう。明日デートをする。あんなに楽しみだった彼女とのデートも、最近は別れを切り出されるんじゃないかと不安で仕方ない。

 なぜだか皆、表情や仕草のひとつひとつから、相手の愛を読み取ることができる能力をもっている。
 自分に与えられる愛を、当然の顔して受け取っては恵まれている事に気づきもしない。
 きっと愛のかたちがわかるのは愛を与えられてきた人間だけだ。まっとうな愛情を貰ったことがない欠陥人間にはわかりようもない。
 だからこそ、ボクは、はっきりとした証拠が欲しい。こんなボクなんかでも愛の輪郭を感じ取れる証のようなものが。




 当日、みょうじさんは先に待っていて、少し時間に遅れてしまったボクを笑って許した。彼女は白のブラウスと初めて見る小花柄のミニスカートを着て、黒いミニショルダーをさげていた。前髪を少し短くしすぎたんだいうことを恥ずかしそうに教えてくれた。
 昼食を食べたとのことなので、ショッピングモールの映画館で話題の洋画を見る。チケットを2枚。ボクも彼女もポップコーンはいらない派なので、彼女は飲み物にコーラだけを買い、ボクは咽てはいけないのでウーロン茶を買った。座席につくとすぐに上映が始まった。しばらく暗い夜の場面が続いて眠くなってきた頃ようやくポスターで見た怪物が登場した。意外にも彼女はホラーを好んで観るのだ。
 二時間近くの映画がおわり、ショッピングモール内のカフェに入って映画の感想を言い合った。海外特有の演出の派手さとか、俳優の演技がよかったとかそんなの。話は盛り上がり、その内、お手洗いに彼女が席を立った。

 いつもの流れ。いつもの楽しいデート。ボクは安心しきって昨晩の不安を忘れていた。でも一筋縄じゃいかないのかボクの人生だ。

 一人なったところを見計らっていたかのように、店員がやって来た。何も注文していないはずだ。戸惑っていると店員はボクに紙を押し付けて、逃げように行ってしまう。紙をひらくと丸っこい字で数字が書いてある。それが携帯番号だとわかり愕然とした。デート中の人間にするか普通。

「なあにそれ」と、最悪のタイミングで、みょうじさんが戻ってきた。
「……あ、いや、これは」
「すごいね」
「え?」
「凪斗くんはモテるからすごいなあって。それ、女の子の連絡先でしょ?」

 ボクならば、もしみょうじさんが誰かに連絡先をわたされているのを見たら嫉妬で怒り狂うだろう。
 ただでさえ遠距離で彼女が普段どんな日常を送っているのか知らないのだ。彼女が秘密裏に他の男の子と仲良くしていたところでボクにはわからないし…。
 でも、彼女にはそんな不安はこれっぽちもないみたいだ。言葉には少しも皮肉げなニュアンスが含まれてもいなくて、あっけらかんとしている。興味がないって感じ。
 静かに紅茶に口をつけるみょうじさんを微妙な気持ちで見つめる。なあに、と首を傾げる彼女に向け、覚悟をきめて、これ以上ないくらい深刻なトーンで、ボクは言った。

「……みょうじさんってさ、嫉妬とかってしないの?」
「どういう意味?」
「たとえばボクが女の子に話しかけられたり、こうやって連絡先を渡されたりしても、何も感じないのかな」

 すると彼女はあっさりと否定の言葉を告げる。

「全然」

 たった二文字。それだけの言葉に心臓がぎゅっと締められた。やっぱり彼女にとってボクが取るに足らない存在なのだ。

「……そ、うだよね。ボクなんかのことでキミが心動かされるわけないよね」
「そうじゃなくてさ」

 みょうじさんはカップをソーサーに置いた。カチャンと硬く陶器同士ががぶつかるかたい音がする。

「その子たちは凪斗くんのことを表面的にしか知らないでしょ」

 やがて真っ直ぐボクをみた。大きな瞳。

「凪斗くんのだめなところも、かわいいところも、変なところも、才能のことも全部まるごと受け入れて一緒にいたいって思ってるのは私だけだから。……だから、嫉妬なんかしない」

 ちょっとの間、ボクは何も言えなくなる。でも次第にふつふつと羞恥が沸き立ってきた。──それって、ものすごい愛が深い告白みたいだ。

「うふふ、どうしたのかな」
「ちょっ、今、ボクの顔見ないでもらっていい」

 体が熱い。顔がみるみる頬が緩む。今気持ち悪い顔している自信があった。
 そんなボクを見て、みょうじさんは口角をつりあげたちょっと意地悪な笑みを浮かべる。

「私、君が思っているより、凪斗くんのこと好きなんだけどな」

 君は?と言ってかわいく首を傾げる。
 もちろんのことボクの返事は決まっていた。
 やっぱり彼女には敵わないみたいだ。




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