海より碧い入射角


 
 南国の景色というのはどこもかしこもキラキラとしていて眩しい。雲ひとつない、ペンキを塗りつけたように真っ青な空。その底に敷かれた白い砂浜。ターコイズブルーの海。
 ある日の昼下がり。ビーチには、水着姿で遊ぶ皆の姿があった。
 私はパラソルの下で休みながら、遠くの方でビーチバレーをしている終里さんと弐大くんを見つめていた。ボールがものすごい速さで打たれ打たれ返されをくり返す。素人目には何が起きているのかわからない。さすがスポーツに特化した才能を持つ二人だけあってハイレベルなプレーだった。

「いいなあ……」

 私は、楽しげな弐大くんの姿をぼうっと眺めていた。いいなあ。それは私の本心だった。
 ふいに体育座りをする自分の小さな体を見下す。貧相な体。それに細くて弱そうな手足がついている。筋肉なんてほとんどついてない。その頼りなさといったら、陽ざしの照りつける日中では、ともすれば立っているだけでフラリと倒れてしまいそうなほどだ。
 自分の体から目を逸らし、私はもう一度砂浜にいる彼らを見つめなおした。

 ――私も、弐大くんとスポーツができたらいいのに。

 日陰の下でこぼしたため息は、誰にも拾われずに空へと消えていった。



 今では考えられないことだけれど、修学旅行に来てから最初の数日間、私は弐大くんのことを敬遠していた。大柄な体格。風体の威圧感。それらから受ける勝手な印象によって、彼のことを、なんだか気難しい人だと思っていたのだ。でもすぐにそれは勘違いだとわかった。
 弐大くんは優しい人だった。また明るい性格で、大きく口をあけて豪快に笑う男らしさにも好感をもった。
 特にスポーツをしている時の弐大くんはとても楽しそうで、素敵だ。いつもは厳めしい顔つきが普段よりも生き生きとしているのがわかる。本当に、体を動かすことが好きな人なのだ。
 気がつくと、私はどんどん弐大くんを好きになっていった。人は、自分とは真逆の人間に惹かれるとはよく言ったものだ。

 ある日、私は勇気を出して、弐大くんをお出かけチケットを渡すことに成功した。一緒にスポーツデートがしたいと思い、ロケットパンチマーケットでバトミントンのセットまで買って。とにかく張り切っていた。
 けれど結果から言うとデートにはならなかった。強い陽ざしにフラフラとした私が、砂浜の上で倒れかけたからだ。

 そう、私は、生まれつき体が弱かった。虚弱体質で幼い頃から病院を入退院することをくり返しており、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていたために筋力も体力も女子高生の平均を下回る。そんな私が、スポーツマンの弐大くんと一緒に過ごしたらどういうことが起きるのか、なぜ考えなかったのだろうか。恋は盲目だ。
 弐大くんに楽しんでもらいたいという気持ちで誘ったにもかかわらず、かえって気を遣わせてしまった自分が情けなく、コテージに戻ったあと、私は布団をかぶって一晩中落ち込んだ。

 ──終里さんとまでは言わない。せめて、普通の人と同じくらいの体力があればいいのに。

 私は、修学旅行に来る前よりずいぶん元気になったと思う。来てから数日ほどは寝込むことも多かったけれど、採集作業もこなせるようになった。最近では、ねる前に少し筋トレをしたりと意識的に努力をしている。でも充分じゃない。がんばっているつもりだけれど、筋力も体力も全然ついた気がしない。たぶん体質の問題なのだろう。




 皆と別れ、とぼとぼとコテージまで帰ってきた私は、へやに戻った途端に電源に切れたロボットのようにぱたんとベッドに倒れ伏した。一日中外にいたのでひどく疲れていた。南国の気候は私にとっては厳しい。

「あーあ。なんでうまくいかないかなあ」

 私は大きくため息をつき、ごろんとあお向けに寝転がった。考えるのはやっぱり弐大くんのことだった。
 たとえ私が運動ができなくたって、弐大くんは親しくしてくれるだろう。それはわかっている。だからもう一度デートに誘ってみることは簡単なのだ。デートした結果たとえ自分が全然楽しめなくても、弐大くんが相手を責めたりするはずもない。でも、私が望んでいるのはそういうことじゃなかった。
 私はただ弐大くんと一緒にスポーツがしてみたいのだ。大好きな人の、大好きなものをもっと知りたいから。
 ふと、さっきビーチでみた光景――弐大くんと終里さんの姿――を思い出して、胸がひりつく。楽しそうだったなあ。そのあとで湧きかけた感情をすぐさま首をふって消した。私は馬鹿だ。嫉妬なんかしたって仕方がないのに。
 体力もついてきたし、そろそろ運動量を増やしてみてもいいかもしれない。
 そうだ。ランニングでもしてみようと私は思い立った。日中は照りつける陽ざしが厳しいけれど比較的涼しくなる夜であれば大丈夫だろう。思い立ったが吉日。夜になると、私は新品のトレーニングウェアを着こんでジャバウォック公園へと向かった。



 意外にも、ペースは順調だった。ゆっくりとした競歩のようなスピードだが、走りながら、公園の花や木々をながめる余裕がある。やっぱり日々の採集作業で体力がついてきていたのだと思うと私は嬉しくなった。
 しかしそれも最初だけで、次第に息がきれてくる。段々と疲れてきた。もう帰ろう。ふらふらと体を揺らしながら私が帰路につこうとしたとき、異変を感じた。

 ──おかしいな、視界がぐらぐらする。

 さっきから変な汗が出ている。急にがくんっと膝に力が入らなくなった。
 嫌な予感がする。さすがに初日から無理をしすぎたかもしれない。はやく戻ってベッドで休もう。私は力の入らない膝をなんとか動かして歩を早めた。海岸沿いを歩き、コテージにつづく桟橋にさしかかる。私は疲れていたのだろう。何もないところで足がもつれ、体が大きく傾いた。

 ──あ、倒れる。

 間近に迫った地面を、私はどこか冷静に見つめていた。それは一瞬だった。すぐに頭に衝撃がはしり、私はそのまま意識を飛ばした。




 私は第3の島の病院で目を覚ました。ゆっくりと病室の扉をあけると待合室にいた罪木さんがとんできた。
 昨日の夜、桟橋の上で倒れている人影を偶然にも発見したのはコテージから出てきた狛枝くんだった。急いで罪木さんを呼び起こし、弐大くんにたのんで病院まで運ぶことになったそうだ。私は頭部を強打しており今までずっと眠っていた。事情をきいた私は、罪木さんに何度もお礼と謝罪を重ねた。
 午後になると、弐大くんも様子を見に来てくれた。私が倒れるまでの経緯を知り、彼は怒鳴った。

「馬鹿者が! 狛枝が見つけんかったらどうするつもりだったんじゃ!」

 ビリビリと鼓膜が震えるほどの大声で言うと、彼は続けた。

「運動とはそう簡単なものではない。正しい知識を持たずにただ我流でやれば、必ず後々になってしっぺ返しを食らうだけだ。第一、お前さんは体が弱いのだから、身の丈にあった運動から始めるべきじゃろう」
「ごめんなさい……」

 本当に彼の言う通りだった。あまりの正論に言い返すようなことなどもあるはずもなく私はうなだれた。
 私、自分の限界すら理解できなくて、ひとりで焦った結果、皆に迷惑をかけるなんて大馬鹿者だ。罪木さんには迷惑をかけるし、皆にも、弐大くんにも心配をかけてしまった。本当に情けなくて仕方がない。
 どすんとパイプ椅子に腰掛け、彼はため息をついた。

「全く。なぜそんな無茶をした」
「……弐大くんと一緒にいられるような人になりたかった」

 弐大くんの隣にふさわしい強い人間になりたかった。
 頭上からみょうじ、と私を呼ぶ声がする。恐る恐る顔をあげた私はぎょっとした。弐大くんが泣いていたからだ。

「に、弐大くん?」
「お前さんがそれ程熱い思いを抱いていたとは、感動したぞ」

 そういって、弐大くんは私の両手を掴んだ。顔が近い。ドキドキする。あ、う、と意味のない音ばかりが口から出る。彼は涙をふくこともせず言った。

「まさか、お前さんが、選手になりたいと思っていたとはな」
「……うん?」

 ん?
 私はぴしりと動きをとめた。なにやら、誤解がうまれている。私はスポーツ選手を目指すつもりはないのだ。

「弐大くん、あの……」
「心配せんでも平気じゃ! ワシがとっておきのトレーニングメニューを考えてくるからのう!」

 私はまた誤解をとこうと口をひらきかけ、やめた。
 既にトレーニング内容まで決めている弐大くんは、とても生き生きとしていた。それは確かに私が得たいと思っていたものだった。それを見ているうち、彼と一緒なら、まあいいか、と思えた。
 ようやく腑に落ちた。最初からこうすればよかったんだ。だって弐大くんは"超高校級のマネージャー"なのだ。彼なら私を導いてくれる。こんなに弱い私でも、努力して頑張るかぎり、見たことのない世界までその大きな手で引っぱってくれる。
 白いカーテンのすき間から水色の空がさしこんでベッドを照らしていた。早まった心臓は、たしかに高揚感によるものだった。




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