流星行路
私はずっと、王馬くんのことが苦手だった。
希望ヶ峰学園に在籍していた三年間、王馬くんの存在は、まるで教室の中に台風がいるかのようだった。
王馬くんは頭がよく、嘘つきで、少女のようなかわいらしい外見をしていながも、裏腹にどこか危うい雰囲気をもっていて、いつだって騒動の中心に鎮座していた。そして騒動を巻き起こしたことなんて気にせず、楽し気にニコニコと笑うのだ。
そんな王馬くんは、なぜか私のことをやたらと構った。私は教室でも目立たないタイプだ。ただのクラスメイトにしか過ぎない自分を気にかけるのが不思議で、ある時理由をたずねたことがあった。すると彼は無邪気な顔をして、こうのたまったのだ。
「みょうじちゃんって、騙されやすくて面白いんだよね」
高校時代、私はいつも、王馬くんの嘘と突飛な言動にふりまわされ、イタズラされ、からかわれ続ける日々を送り、それは卒業するまで続いた。そのため、成人した今でも、彼への苦手意識は強く根付いている。
つまり王馬小吉とはそういう人物だった。
周囲を振り回す、台風の目のような人。
その印象が覆ることなど絶対にないと思っていた。
/
その日は最悪だった。
電気もつけていない仄暗いワンルーム。昨晩帰宅してから脱ぎっぱなしの衣服が床に放ってある。サイドテーブルには大量の空の缶チューハイ。部屋の中でテレビが青白く明滅していた。その部屋の主である私は、布団を被り、ベッドの上で膝を抱えていた。
冬が終わりかけた、それでもまだ肌寒い早朝。
エアコンを効かせても尚寒い。この寒気は決して気温によるものだけじゃないのだろう。
今日、いや、つい昨日のことだ。私は、ずっと付き合っていた恋人と別れた。原因は相手の浮気。随分あっけないもので、たった一言告げるだけで関係は終わってしまった。現実世界にはメロドラマ的な展開など存在しないのだと知った。
挙句、最後に彼が言った言葉が私を刺す。お前みたいなつまんない女願い下げだわ、って……。ないでしょ。
馬鹿みたいな話だ。振ったのはこちらなのに、傷ついているのは間違いなく私の方なのだから。
その理不尽さに打ちのめされて、私は夜通し泣いた。静かな室内がたえられず、深夜のどうでもいい通販番組をつけっぱなしにして、さめざめと泣いた。二十年生きてきて、こんなに涙を流したのは初めてだ。
スマホに着信があったのは、5本目の缶に手をかけた時だった。かなり酔っていて、画面も見ることなくに通話ボタンを押した。
「みょうじちゃん、大変だよ!」
もしもし、という私の掠れた声をかき消すような音量で、いきなりそんな言葉がとんできたので私は面食らった。耳を離して、発信者の名前を見て……ああ。
「落ち着いてきいてね……世界の危機なんだ。実は、キーボが暴走して世界を滅ぼそうとしてるんだよ! ほら、窓の外を見て。今にもキーボが破壊光線を放って、人間への恨みを晴らそうとしているから!」
少しの間、頭を混乱させてしまったのは仕方のないことだと思う。こんなSFじみためちゃくちゃな作り話をきかされるなんて考えもしなかったのだ。混乱していた私だったが、次第に冷静になってきて、後に残ったのは呆れだった。
「変な嘘つかないでよ。王馬くん」
「にしし。バレた?」
希望ヶ峰学園を卒業してから二年。こうして話すのは久しぶりだったが、まだ彼のキャラクターは健在のようだった。
それに、時間もおかしいし……視界の端のデジタル時計は午前5時前を示している。寝ていなかったとはいえ、気軽に電話をかけていい時間ではないだろう。一応指摘しようか迷ったけど無駄だと悟ってやめた。
それにしても、一体何の用だろう。あの王馬小吉が、ただ世間話をするためだけに電話をかけてくるとは思えない。
「ねえ今までどうしてたの。連絡がつかないからって最原くんが心配してたよ」
「オレは忙しいからねー。そんなことより、みょうじちゃんは元気にしてた?」
「え、私?」
いきなりたずねられて、私は不審を抱きながら答えた。
「普通に元気だけど」
「でも、声が落ち込んでる気がするけどね。なんかあったんじゃないの?」
内心、ドキリとする。反射的に、ベッドの棚においてある鏡を見た。泣きすぎて目を腫らした自分の顔がうつっている。
「別に……何もないけど」
普段と変わらない声を出したつもりだった。けれど、王馬くんはふーんとはなから信じていないような適当な相槌をこぼした。
「みょうじちゃんって、あいかわらず嘘つくの下手だよね」
なにを言い出すのだと眉をひそめた私は、続く発言に、あやうく呼吸が止まりかけた。
「失恋したでしょ」
「な……っ」
「失恋っていうか、付き合ってた彼氏と別れたんだっけ。浮気されて」
どうして、という言葉がうまく声にはならなかった。
恋人と別れたことはまだ誰にも言っていないはず。親しくしている友人にさえ、まだ打ち明けてはいないのだ。
「なんで知ってるの」
「オレって悪の組織の総統だよ? 元同級生の動向を調べるくらい簡単なんだって」
「勝手に調べないでよ……」
私のコンディションは今や最悪で、怒る気力もなかった。呑みすぎて気分が悪い。口をおさえながらのそのそとベッドから起き上がる。
「そんなこと調べて、何が目的なの」
そんなプライベートなことを調べて、傷心中の私をからかうためだけに電話をかけてきただろうか。そうだとしたら許さない。
「んー、別に目的ってほどのことじゃないんだけど、とりあえずカーテンあけてみてよ」
「カーテン?」
「窓の外見て」
言われたとおり、長いこと外界をしめきっていた分厚いカーテンをあける。窓の鍵を外し、半分ほどあけて外をみた。下をのぞくと、アパートの隣の駐車場に真っ白な服を着た王馬くんがニコニコしながらこちらに手を振っていた。
「今からそっち行くから鍵あけてくれる?」
台風の目が来てしまった。
「うわ、ひっどい顔!」
目を腫らした私を見て、彼は大袈裟に驚いた声をあげた。
「……だから会いたくなかったのに」
「でもちゃんと出てきたね。偉いじゃん」
「だって王馬くん、出るまで何回もチャイム押すタイプでしょ」
「はずれ。カギを無理やり壊して侵入するタイプ」
盛大に肩を落とす私に、王馬くんはさらににこにこと笑みを深めた。さぞご機嫌に違いない。みょうじちゃんをからかうのが楽しい、と顔にかいてあるもの。
ぐったりとしていると、いきなり彼が私の手をとった。
「よし、じゃあ行こっか」
事もなげに言ってのける彼に、疑問符ばかりが浮かぶ。
「どこに?」
「いいから。急いでるんだって」
「ちょっ……」
王馬くんは、無理やり私の手をひっぱり外へと出た。一体なんなのだ。私はあわててサンダルをひっかけ、わけのわからぬまま後についていくしかなかった。
朝日を待ち望みながら、まだ町は眠りについている。こんな時間だから私と王馬くん以外誰もいない。
「ねえ、どこに向かってるの?」
私は白い背中に話しかけた。王馬くんは肩越しにちょっとだけふりかえり、
「まだ秘密」
と言って、いたずらっぽく、人さし指を口の前で立てた。
どうせ彼が満足するまで、絶対に誰にも種明かしをしないつもりのやつだ。学生の頃を思い出す。あの頃も、私は彼にこうして振り回されてばかりだった。
いつまで歩くのだろうと不安になった頃、とある廃ビルに着いた。思いきり立ち入り禁止の看板が立ててあったのに彼は気にせず足をふみ入れる。あまりに堂々としたふるまいで侵入していくので、私もつづいて足をふみ入れてしまった。
非常階段の浅い緑色の灯り。その下のさびついた扉をあけ、階段を上がる。
「ねえ、まだ上なの」
軽快な身のこなしでカンカンとかけのぼる王馬くんに対し、私は3階の踊り場で早々に根をあげた。こんなことならちゃんと日頃から運動しておけばよかった。私は息を切らしながらも、ようやく上までのぼりきることができた。
ギイ、とさび付いた屋上の扉があけられる。鍵はなくあっさりと開いた。先を駆けていった王馬くんのあとについて、私も屋上に出る。錆びついて今にも崩れてしまいそうなぼろぼろのフェンス。そこに肘をかけて王馬くんはようやく歩みを止めた。私も同じようにする。冷たい風が吹きぬけていき、私の髪をさらっていった。
私は、疲れからか、だんだんとまた憂鬱な気分になってきてしまった。
失恋して一晩中泣いて、本当なら部屋に引きこもって蹲っていたいような気分なのに、一体、こんな時間に、私は何をしているのだろう。
見飽きた町の景色を眺める。
王馬くんは何がしたいのだろうか。こんな何もないところに連れてきて。
突然、彼が向こうの方を指さした。
「見て」
そちらに顔を向けるが、何もない。けれども彼が何も言わないので私はその方角を見てしばらく待った。
やがて、それを視界にとらえた。
それはただただ眩かった。
高いビルとビルの合間をぬって、ゆっくりと地平の彼方から白い光があふれてくる。町に薄い白色のヴェールがかけられ、だんだん光の面積が増していき、私たちのいる廃ビルにも光がさしこんできた。きれい。私は無意識のうちに呟いていた。朝日が目にしみて、わずかに目を細める。長い息を吐く。
「誰にもいっちゃだめだよ。オレの秘密の絶景スポットなんだから」
また、しーと指を立て、芝居がかった仕草をする王馬くんをじっと見つめた。
私はようやく彼の狙いに気がついた。
その納得は、すとん、と私の中できれいにおさまった。
王馬くんは、私にこれを見せようとして、ここに連れてきてくれたのだ。忙しいのに、わざわざ早朝に来てまで。それがわかると内側からじわじわと表しようのない温かな感情がこみあげてくる。
どうして、と私は、思わずたずねていた。
「んーと、ねえ」
王馬くんは考えるように小さく首を傾けたが、やがて、くりくりとした瞳で私の顔をのぞきこんだ。
「オレが、みょうじちゃんのこと好きだから」
あまりに予想外すぎる言葉に、私は馬鹿みたいに口をあけてぽかんとした。
王馬くんが吹きだす。
「嘘だあ」
「にしし。信じないんだ?」
「だって王馬くん、ずっと私をからかってばかりで、全然そんな風じゃなかったし」
王馬くんはにやにやと笑っているだけで、何も言わない。
まただ。王馬くんはいつだって答えを教えてはくれないのだ。
結局、本当なのか嘘なのか、どっちなんだろう。またからかわれているだけの気がするけど……。
「ねえ、これから時間ある」
戸惑いながらもうなずく私に、王馬くんはいった。
「じゃあオレとデートしようよ」
「デート?」
「ただのデートじゃない、悪の総統とのデートだよ。絶対につまらなくしないからさ。楽しすぎて、振ったヤツのことなんかも、すぐ忘れちゃうよ」
王馬くんはそこで言葉を切った。息を吸い、そしてことさらゆっくりと吐き出した。
「さっさと泣きやんで。それで、オレのこと好きになってくれない?」
その声は、きいたこともないくらいに優しくて、おだやかで、私は無性に泣きたくなって、滲んだ涙をあわてて隠した。
王馬くんがまた笑う。無邪気な子どものような笑みだった。
その笑顔の奥で王馬くんが何を考えているのか、私にはあいかわらず読みとれない。彼が言っていることは、本当だろうか。それとも彼はまた嘘をついていて、感情がゆれ動く私のことを、面白がっているだけかもしれない。それでも。
「ね、オレが最高の1日にしてあげる」
こんな嘘になら騙されてもいい。そう思った時点で、私の負けだろう。