みぎの手は空けておいて
(2020/12/14 田中生誕日記念)
12月、雪の降る夜、わざわざ外を出歩くような酔狂なんて私たち以外にだれもいやしなかった。
希望ヶ峰学園の中庭は静かで、まるで世界にふたりだけが取り残されたかのようだ。音がしているのはふたり分の足音。それから私が寒そうに吐く息だけ。
今年の冬は寒い。私はさっきまで残っていた熱気が急速に冷えていくのを感じながら、かじかむ両手の指先に向かって、はああと息をふきかけた。白い呼吸が指に温もりをあたえ、ほどけるように闇にとけていく。何度もそんなことをくり返していると、悠々とした足取りで隣を歩いていた田中くんが、ふ、と小さく笑った。
「貴様程度の防御力では、凍てつく空気には耐えがたいようだな。みょうじよ」
田中くんは口端を歪め、ちょっと小馬鹿にしたような表情をしてみせた。その表情が格好よくて一瞬見惚れてしまう。それがなんだか悔しくて、私はわざとらしく拗ねたふりをしてにらみつけた。
「もうちょっと心配してよ」
「フン。貴様が装備を怠っているのが悪いのだろう」
私の格好はというと、制服の上から薄めの上着をはおっているだけだった。中にはセーターを着こんでいるものの、スカートで肌の露出した足や、隠しきれない指先にはつめたい空気が触れてしまうためにまったく意味をなしていない。完全に見た目重視の装備だ。正論をいわれてぐうの音も出ず「寒い」と私はもう一度呟くしかなかった。
「まったくひ弱な人間は手がやける」
そういって、田中くんは包帯を巻いていない方の手をさしだしてきた。
体に猛毒が流れているという設定のために、彼は滅多に人に触れさせることがない。でも、私は特別みたいだ。その特権に感謝しつつ、私は彼のあたたかい手に飛びついた。
「やけに素直だな」
田中くんはほんの少し驚いた声を出す。
確かに私はいつになく素直だった。でも今日くらいは、こうでないと。
「それは、まあ、彼氏の誕生日なので」
私がにっこりと笑いかけると、田中くんは頬を赤くしてストールを引き上げた。
今日は12月14日。田中くんの誕生日だ。
放課後にクラスメイトたちだけで開催された田中くんの誕生日会は、花村くんがケーキや料理をつくり、澪田さんがアレンジをくわえたバースデーソングをギターをかき鳴らして歌ったり、ゲームで遊んだり、各々が持ちよったプレゼントを渡したりして盛りあがった。
私は田中くんの誕生日プレゼントに男性用ブレスレットを贈った。高校生が買えるほどの値段なので大した代物ではない。でも彼がアクセサリーにこだわっていることもあって結構悩みに悩んで選んだつもりだ。包みをあけると、金色の細いチェーンが光る。
私はそれを彼の右手首につけてあげた。
「貴様のセンスは良いな。俺様の好みを理解するとは、褒めてやろう」
覇王様にはこのようなお褒めの言葉をいただいた。
「まさかみょうじから邪神降臨の腕輪を施されるとはな。この腕輪が俺様の元にある限り奴も下界に妙な真似はできまい」
「さっそく勝手に変な設定つけられた……。まあ、田中くんが楽しいならいいけど」
ご機嫌に身につけてくれたところをみると覇王様的にも合格だったらしい。私はひそかに安心していた。
そしておひらきになり教室を出たのが午後8時。窓の外では、今年はじめての雪がちらちらと暗闇に舞っていた。解散となってからも教室の熱気がまだ体に残っていた私たちは、せっかくだからと校舎を出て、パーティーの余韻にひたりながら真暗い学園内を散歩をすることにしたのだ。
私たちだけしかいない世界に小さな雪が降っている。
田中くんは黒いコートの前あわせを深くしながら、雪にはしゃぐ私を子供のようだといった。じゃあ田中くんは雪なんてどうでもいいのかときくと、氷の覇王だからいつでも空から雪をふらせることができるので珍しくも何ともないのだと得意げにいった。どっちが子供なのだか。
でも中央広場にさしかかった頃には、すっかり体も冷えてしまっていた。噴水の前で、しばらくは落ちていく雪を2人で眺めていたが、数分もすると田中くんが手を引っぱった。
「もう十分だろう。そろそろ居城の内へと戻るぞ」
「えーもうちょっといようよ」
「貴様もとっくに凍えているだろうが。我が結界でもこれ以上は守りきれん」
「んー……そうだね」
そもそも外に出ようとわがままをいったのは私だった。これ以上のわがままはよくないか、と私は名残惜し気にまのびした返事をかえす。
「どうした。何を憂いている」
すると田中くんは、うつむきがちだった私の頬に両手をあてて無理やり上へと向けさせた。困惑したたま彼の顔を見つめ返すと、大きな目が私以上に強いまなざしを送ってくる。
「まさか今日がこれで終わりだと勘違いしているのではないだろうな」
「……ちがうの?」
「まだ俺様は満足していない。貴様は契約者として俺様を楽しませる宿命があるのだから、14日の終わりまで共に在るべきだろう?」
その言葉に、私はつい笑ってしまった。どうして田中くんは私のことをこんなにわかってしまうんだろう。
「……ばれた? ちょっとさみしかったの」
たしかにクラスメイトたちとのパーティーは楽しかったけれど、彼氏の誕生日だというのに、ふたりきりで過ごす時間がとれなかったのも事実で。そのことに物足りなさを感じていた私の心はすっかり見抜かれていたらしい。
「その程度の結界で、我が邪眼を騙しとおすつもりだったとは愚かな人間だ」
「……すごいね、田中くんは」
当然だとばかりに鼻を鳴らす。
顔を背けながらされたその仕草は、照れ隠しのようにも見えた。
「今宵の俺様は機嫌がいい。内に秘めた願いを言ってみろ」
「……じゃあ、田中くんの部屋に行きたい」
「良い子だ。行くぞ」
私の冷えた手を強引にコートのポケットに突っ込むと、田中くんはさっさと大股で歩き出した。キザな仕草だけど不思議なことに田中くんなら様になる。
コートの中で、かすかに、ひんやりと冷たい金属が肌に触れた。
きっと田中くんは、邪眼ってやつで、ブレスレットをあげた意味すら見抜いてしまっているんだろう。
私があげたブレスレットは、彼の大きくて無骨な手に触れられる人間は私だけだっていう印のようなものだ。ずっと私以外の誰にも触れられないで右の手のひらを空けておいてほしいという、素直になれない私の精一杯の独占欲。多分きっと、田中くんには見抜かれている。こんなにも強く握ってくれているから。
こんなに幸せでいたら罰があたりそうだ。それでも、離すつもりなんてないけれど。
「誕生日おめでとう、田中くん」
どうか来年もあなたを祝えますように。このあたたかさをずっと感じさせて。