いつか魂まで食らい尽くしてくれ


※残酷描写多


一、トカゲと足

 足が痛い。太陽がじりじりと真上からふりそそいで、私の足首に巻かれた白い布をまぶしく光らせた。長いスカートの裾をぎゅっと掴む。カーテンみたいにぶ厚くて長い私のスカートはグラウンドではとても浮いている。
 今日の体育は合同授業で隣のクラスと一緒だったが、マラソンの途中で足首を挫き、私だけ見学になってしまった。情けないような、でもどこかほっとするような気持ちだった。校庭の端で、小さく体育座りをして休んでいると隣のクラスの人が近づいてきた。保健委員の子が来てくれたら嬉しかったけれど来たのはピンク色の髪をした男子で、何の用かと訊けば、彼はサボりだと堂々と言った。
「ここ、いいか?」
 私がうなずくと同時に、横に腰をおろした。
「マラソンとか世界一だりぃよな」
 そう誇張気味にのたまった彼の口には爬虫類のようなギザギザの歯が生えている。顔の造形も、なんとなく爬虫類に似ているような気がしないでもない。
 相づちをうちながらグラウンドの方を見ると、同級生たちが四百メートルのトラックを永遠と走らされ、苦しそうにかけ声を出していた。確かにとてもだるそうだった。色んな形の足がぐるぐると校庭を駆け、砂ぼこりをたてながら回る様は何かの儀式めいている。
「授業、抜けても大丈夫なの?」
「別にいーだろ、ってかそれをお前が言うのかよ」
「私はサボりじゃないよ。足首捻っちゃったんだ」
 ほら、と少し足を持ち上げ、証拠を示すように湿布の貼られた足首を見せる。そんなことを言って私はいつも体育は休んでいた。体育は嫌いだ。正直休む理由ができて嬉しいくらいだった。保健室で手当してもらえたし軽い捻挫だったから全然平気だったのだけど、この湿布を免罪符のように使って体育を見学させてもらった。更衣室で制服に着替えなおしたときには若干の罪悪感が胸をさした。今日はそれらしい理由ができたから良かったけど、いつもは腹痛や頭痛のせいにしている。見学を申し出るたび、みょうじさんは体が弱いからね、と眉を下げる体育教師の顔を思い出すと胸がちくりとする。ごめんなさい先生。実は私、体は強い方なんです。
「痛そうだな。大丈夫か?」
 彼の細い目がじろじろと、スカートが少しめくれてあらわになった私の足に視線を滑らせた。男子に見られることに慣れていないのでちょっと怖かった。こんなの見て楽しいものじゃないのに。
「足、綺麗だな」
 全然想像していなかった言葉が返ってきた。びっくりして慌てて足をひっこめる。なんで隠すんだよと彼は不満そうに眉をひそめた。
「自信持てよ。こっからここのラインとかオレが今まで見てきた人間の中で1番綺麗だぜ」
 彼は太腿を指さしてそう言った。
「ちょっと……」
「なあ、もうちょっと見せてくんね?」
 変なスイッチが入ってしまったようで、彼はスカートをめくらんばかりの勢いで無遠慮に私の足を見物し始めてしまった。体操服の名札に左右田という文字が見える。この人は左右田というのか。足フェチの左右田くん、という第一印象をこの先消すことは難しいだろう。
「ちょっと!セクハラだよ!」
 流石に恥ずかしいので抵抗すると、突然我に返ったように彼は居直り、高校生らしくどぎまぎとした。
「わ、悪い。あんまり理想的な形してたもんだからつい」
 私は顔が真っ赤になる。
「細くもない足によくあんなに夢中になれるよね」
 体育は嫌いだ。なぜか希望ヶ峰の体操服は時代遅れのブルマだから、痩せたいのに中々とれてくれない足の脂肪とかが丸だしで隠しようがない。スタイルの良い同級生たちと比べてはいつも勝手に劣等感を感じていた。スカートだってみんなみたいに短くすることなんてできなかった。本当は憧れていたけど。
「細けりゃいいってモンじゃねーからな! なんで恥ずかしがってんのか知らねえけど、もっと自信持っていいと思うぜ!」
 親指をたて、にかっと人懐っこい笑顔を浮かべる彼の顔は、昔飼っていたトカゲに似ていることに気がつく。つられてあの子は食欲旺盛だったなとどうでもいいことまで思い出した。
「君も、歯が素敵だよ」
「……それ褒めてんのか?」
 先生が遠くから左右田の名前を呼んでいる。サボりがバレた彼は、先生に怒られて連れ戻されてしまった。
 自分でもよく分からないけど、左右田に足が綺麗だなって言われたのは嬉しかった。彼のためにがんばろうって思った。長いスカートで隠さないでいいように。ブルマでも恥ずかしくないように。毎日保湿クリームとか塗って、お風呂で念入りにマッサージとかして、ちゃんとマラソンにも出よう。また、足が綺麗だなって言ってもらいたかった。


二、咀嚼する落日

 足が痛い。焼けた喉の痛みでひどい噎せ方をした。燃え移った火が制服の裾で小さく踊ってちらちらと視界の端でゆらいでいる。熱い呼吸を拒否したくて私はずっと息をとめていたが、それでも我慢できなくなって思いきり息を吸いこんでしまった。鼻の奥に粘っこい、生理的嫌悪を伴う不快なにおいの空気が侵食する。周囲には、クラスメイト達の屍、人の残骸が散らばっている。私はこれを人間だとは思いたくなかった。その様相はあまりに成れの果て(・・・・・)すぎて、何かの置物だと思った方が私の精神は守られたのだ。そんな中、私は1人教室でお行儀よく席に座っているのだから馬鹿みたいだった。背筋をのばし、手を膝の上にのせて、さっきまで先生の卒業にふさわしい感動的なメッセージを聞いていたときのその体勢のまま。私は私以外の全滅を見届けていた。窓の外を見ると、外も同様に地獄が広がっていてどこもかしこも真っ赤。赤くて赤くて夕日が落ちてきたみたい。ちらちらスカートで踊る炎を手で払って消す。焦げ臭い。
 何が起きたのか、私はまだわかっていなかった。
「卒業だよ」
 鼓膜をなでるような低い声がとどく。爆風で開いたドアに寄りかかるようにして左右田が立っていた。卒業、と彼の言葉を復唱する私の声は枯れている。
「そう。オレたちは絶望になって希望ヶ峰学園から卒業すんだよ」
「これは左右田がやったの?」
 この地獄。この有様は彼の仕業だとでも言うのだろうか。卒業式のあとで私はクラスメイトたちと別れと新しい希望を語らっていた。最初に不審な音に気がついたのは先生だった。カチカチと刻むような音がどこからか鳴っていた。教卓をのぞきこむと血相を変えて「逃げろ!」と叫んだ。その瞬間爆発した。悲鳴があがった。熱が周囲を包み込んだ。次に目を開いたら既にクラスメイト達は炎に包まれていて死んでいた。砕け散った木の破片がつきささっている人もいた。瞬きひとつの間にこの地獄は生まれていて、教室の真ん中でぽつんと状況のわかっていない私だけがきれいに残されて命を保っていたのだった。死んだクラスメイトの焦げた遺体が、囲うように這いつくばっている。
「おうオレの作った爆弾だからな」
 あっさりと肯定される。私はにやにやと笑う彼の顔を見る。足が痛い。彼は歩み寄ってくると、私の足元にしゃがみこんだ。
「いやあ、皆殺しをするつもりだったのに、まっさか生き残りがいるとはなあ」
 絶望的だぜ、という発言とは裏腹に左右田はとても嬉しそうに口端を歪めている。私は動けないまま困り果てて、笑った彼の動物的な口元を見つめるしかなかった。
「なあみょうじ」
 彼の手がスカートの下に潜り込んできた。鳥肌がたって、すごく不快だったけれど動くことができなかった。足の付け根からゆっくりと大きな手が下にすべっていく。筋肉と、その下の骨をたどるように。力を入れているから少しだけ皮膚がへこむ。無骨な太い男の指が内腿をたどって膝へと向かっていく。いつか綺麗だって褒めてもらえた太腿を愛しげになぞる。緩慢な動きはしかし膝のあたりで不意にとぎれた。私は自分の足を見る。自分の足があった場所を見る。
「絶望してくれてるか?」
 膝から下は、赤い。とても赤い。その肉の中で真っ白な骨がのぞいている。彼の歯と同じでとても白い。ぼた、ぼた。断面からこぼれ落ちるどろどろの血が教室の床を汚していく。痛い。私の足は膝から下がなかった。汚らしい肉の断面は、彼の乱暴なほどするどい歯で、噛みちぎられたみたいだ。
「お前の足、綺麗だなって前に言ったろ? 足っていうかその中にある骨格が綺麗だなって思ったんだよな。想像でしかなかったけど。でもさ、骨を見るには皮膚も筋肉も邪魔になるからどかさなきゃいけないし解剖とかグロすぎてオレの趣味じゃねーしだからじゃあ爆弾で一気にぶっ飛ばしたらうまくいくんじゃねって思ったんたけどやっぱ正解だったな」
 綺麗だよ、お前の足。熟れた果実みたいな真っ赤な断面からのぞく骨にうっとりとする左右田は私の知っている左右田とはまるで別人のようだ。この男は嘘つきだ。最初から私を生き残らせるつもりだったんじゃないか。
 あ。口を開いたまま声にならない声を叫ぶ。彼の指が断面に、骨の表層を愛しげに撫でるものだから、想像を絶するような痛みが走り全身が痙攣を起こした。冷たい汗が額からふきでる。じりじりと静かに燃える炎に汗はかいたそばからすぐさま蒸発する。もう熱いのか寒いのかもよくわからない。痛い痛いって何度も言っているのに左右田は目を細めるだけで撫でる動作を絶対にとめてくれない。目がチカチカして、痛いっていう思考さえも塗り替えられて、最後に残った、絶望、という文字で頭の中が埋め尽くされた。地獄のような時間がどのくらい続いたのかわからなかった。永遠のようでもあったし、たった数秒の出来事のようでもあった。それは突然に終わった、
「やべ、そろそろ予備学科の連中が来やがるな」
 教室の外から、大勢の声が聞こえてきた。窓が割れるような音があちらこちらでしている。学園を包み込む炎が勢いを増したような気がした。
「さあ行こうぜ」
 涙と涎を垂らしぐったりと机に突っ伏した私の体を抱き上げたとき、軽っ、と左右田が呟いた。体の一部がなくなったんだから当然だろう。せっかく短くしたスカートは血で濡れて黒く変色していた。彼のために一生懸命手入れした足は炎に呑み込まれて煙となって消えてしまった。

 いつの間にか気絶していた私が目を覚ますと足の先端には包帯が巻かれていて、私は左右田に抱き上げられている状態だった。薬でも打たれたのか痛みすらなかった。
「なんで私だけ生かしたの?」
 燃えゆく希望ヶ峰学園を見物しながらたずねる。一緒に崩れ落ちていく校舎を見上げる。何が楽しいのかさっぱりだが彼は恍惚の表情を浮かべていてマトモさは欠片も見当たらなかった。気怠く頭を預けた作業服からはオイルと火薬、そして血のにおいが鼻につく。
「オレさ、お前のことずっと好きだったんだよ。だから、とっておきの絶望のためにお前は取っておこうと思って」
 私はため息をついた。少しでも期待した私が馬鹿だった。
「……好きなお弁当のおかずを最後にとっておくのと同じ意味かな」
「そうそう、それ!」
 彼はまたトカゲみたいに笑った。
 予備学科の生徒たちが校舎から飛び降りていく黒い点が見える。嬉嬉として自ら命を絶っていく様は正気の沙汰ではない。
 またどこかで爆ぜる音が鳴り響いた。
 これは絶望の生まれる音なんだと思った。左右田にとっての絶望が生まれるこの音で彼は世界を食い散らかすつもりなのだ。私の足を奪ったのと同じ、とても鋭い歯で。
「絶望的だね、本当」
 次に言おうとしていた私の言葉はまたどこかで鳴った爆発音にかき消された。とてもあっけなく。私も好きだったよ、なんて彼に聞こえなくてよかったのだ、本当に。




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