今の調査兵団が多くの兵士の死の上に成り立っていることを忘れてはいけない。それを一度たりとも忘れたことはなかった。ただ、今回の壁外調査でその死はより一層重さを増し兵士の数は極端に減ってしまっていた。未来への道は狭くなるばかりだ、何一つ、進歩などしていなかった。それでも死を無駄にしないようにと狭い道から転げ落ちそうになりながらも進み続けるしかない俺たちは、一体どこへ向かうというのだろうか。時折、壁外調査の後は特に、その解決しようのない疑問ばかりに頭を支配される時がある。この世界に、本当の自由は存在するのか。

すっかり日も落ちて白銀に染まった外の景色を窓から眺めつつ、冷え切った長い廊下を歩いて自室の扉を開けた直後、予想もしなかった音が複数鳴り響いた。それとほぼ同時に何枚もの色紙が降りかかってくる、何が起きたのかと考える前に目の前に立ち並ぶ見知った面々が視界に入り思わず顔をしかめた。

「あっはっは!!リヴァイ超驚いてる、ちゃんと成功したよミオ!」

「…おい、一体何がどうなってやがる」

腹を抱えて笑うハンジとその隣で平然としているミオ、ミケやナナバや俺の班に新しく配属された新兵達がそこにはいた。紙切れが宙を舞っては床に落ちて散らばっていくのが視界の隅に映る、ほんの少し火薬の匂いが鼻を掠めた。揃いも揃って何故自分の部屋に集まっているのか、そう問おうとしたところで新兵たちが前に出て敬礼をした。普段と違うところといえば頭に奇妙な赤い帽子を乗っけていることだった。

「兵長!お誕生日おめでとうございます!!」

「おめでとうございます!」

「どうぞこちらへ!」

「………」

誕生日、その聞き慣れない言葉に妙に納得した自分がいた。今日はやけに周りの様子がおかしいと思ったがこれのせいだったのか。この忙しい時に揃いも揃って一体何をしているんだとため息をつきたくなった、当の本人すら覚えていなかったというのに。誘導されるがままに中へ進むと、わざわざ食堂からでも運んできたのかそこにあるはずのない長机が置かれていて上にはそれなりに豪勢な料理が並んでいた。一瞬ここは本当に自分の部屋なのかと疑ってしまう。

「はいはい、主役もちゃんとこれかぶって」

「…なんだこのふざけた帽子は」

「サンタさんになれる帽子なんだって、しかも今日だけ特別に!年に一回らしいよ、これはかぶらなきゃ大損でしょ!!」

「意味が分からん、誰だそいつは」

ハンジの熱弁にも特にこれといって得が感じられないその赤い帽子を受け取らずにいれば「もったいないなあ、リヴァイがかぶらないなら私が二つかぶろう」と奴は言って頭の両サイドにそれを乗っけた。その姿は阿呆としか言いようがなかったが本人は「やっばい!これもう完全に私サンタじゃね?!ねえミオ!!」と嬉しそうで最早突っ込む気にもなれなかった。
サンタという聞きなれない単語のそれが何者なのかは知らないが、どうせまたミオあたりがハンジに変なことを吹き込んだのだろうと大方予想はつく。奴は外の世界に妙に詳しい、俺達が知りようのない未知の世界を、ミオは当然のように知っていた。

「おいミオ、」

「なんでしょうか」

「さっきの紙切れと破裂音もお前の仕業か」

「ああ、クラッカーのことですか、あれ見よう見まねで作ったんですけどなんとか上手くいきました」

「あれ超楽しかった!もっかいやりたい!!」

「ったく、また余計な事をハンジに教えやがって…」

そう思わずため息をつくと、ミケがワイングラスにワインを注ぎ「まあ今日は飲め」と一言言ってグラスを渡してきた。見慣れないそれにどこから持って来たのかと問えば、ナナバが「ミケと一緒に憲兵の備蓄庫から何本か拝借してきた」と特に悪気もなさそうにそう言ってのけた。いつもは冷静な二人だがどうやら今回ばかりは羽目を外したらしい。普段感情の変化を見せないはずのミオも、どこか嬉しそうな口調で「それじゃあ主役も登場しましたし、冷めないうちに料理を頂きましょう」と言って席についた。



そうしてとりとめもない話をしていると時間はあっという間に過ぎて行った、時計を見やればもう少しで日付が変わりそうな時間だった。全員がありったけの酒を飲み干して睡魔に負け各々机に突っ伏していた。比較的酒に強いミケでさえこの始末だ、明日が非番だからとはいえ、これでは全員二日酔いに悩まされるだろうと安易に想像できた。その中でも唯一起きているのは酒が飲めなかったミオだけだった。

「兵長は、サンタさんに何をお願いしますか」

不意に向かいに座るミオが呟くようにそう言った。相変わらずの無表情でもその目は眠たそうにまばたきをゆっくりしている、この様子だと眠りにつくのも時間の問題だろう。

「なんだ、そのサンタとやらは望めば何でも寄越すのか」

「まあ、この一年間しっかり職務を全うしていたら、ですが」

「そうか、だったらお前はまず無理だな」

「…私はいいんです、欲しいものは手に入りましたから」

こうして皆さんと過ごせるだけで十分幸せです、ミオがそう言うのと同時に暖炉の火が小さく音を立てた。

「…私は、ずっと外の世界は自由だと思い込んで憧れていました、でも調査兵団に入って、外に出たところで支配からは逃げられないことが痛いほど分かりました。とんだ思い違いをしていたんです」

「…………」

「でも、そのおかげで気づかされました。私は自由なんて大層なものを求めていたんじゃなくて、きっと、こうして皆さんとくだらない談笑をして笑いあったりすることを望んでいたんです。…私は今回初めて壁外調査に出て、多くの仲間の死に際をこの目で見ました。なのに、そうして彼らの死の上に立つ私が、こんなことを望んでしまっているんです」

私は、最低です。表情は変わらずともその声は自嘲の笑いを含んでいるように感じられる、普段に比べてやけに饒舌だった。そのミオの言葉は自分を責めているようにも聞こえた。俺にはこいつらを、このいつ死ぬかも分からない世界のどこへ導いてやればいいのかが分からなかった。そう考えると呼吸がしにくくなった、それでも自分の思考とは反対に、口を開けば驚くくらいに言葉がすらすら出ていた。

「…お前の望んでいることが決まっているなら、もう悩む必要はない。前を見ろ、笑いたいなら笑え、泣きたいなら泣け。バカ騒ぎ出来るのも生きてる内だけだ、ガキのくせして難しいことを一々振り返って考えるんじゃねえ」

ミオの言いたいことは分かる、遠征から帰還して罪悪感を感じない奴はまずいない。それでも、奴には望む目標があった。長年を経て見えた大切なもの、それはサンタだとか人任せにして得るものとはわけが違う、自分で死守することに意味があった。そうだ、自分の望むものを守るためなら、この世界には進むだけの価値がある。

「誰だって自分のことで精一杯だ、なにもそんなことを考えるのはお前だけじゃない」

「…そう、でしょうか」

「…まあ、俺も大概お前と変わらない願い事をするんだろうな」

そう言ってから酔い潰れたハンジの頭に乗っかった赤い帽子を一つ、そのまま奪って自分の頭に乗せるとミオが不思議そうにそれを見た。「かぶらないと損するらしいからな」と言い足せばミオは「そうですか」とだけ返した。気のせいか、少しミオが笑っているような気がした。

「…兵長、」

「なんだ」

「お誕生日、おめでとうございます」

そう小さく呟いてミオはそのまま机に伏せた、どうやら奴もとうとう睡魔には勝てなかったらしい。

床に散乱したままの紙切れ、机にこぼれた酒、だらしなく涎を垂らしながら眠りこける同僚、普段なら気になるそれらさえも、何故だか片付ける気にはならなかった。ふと思い出したのは先ほどまでの騒がしい時間だった。いつの間にか、自分の中にあった不快感はもう既になくなっていた。

「……悪くない、」

すっかり静かになった室内に自分の声だけが響く。手元のコーヒーを一口飲んでから窓を見やれば、雪がまた静かに降り始めていた。


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