「ミオはもっと笑っていいと思うんだけどなあ」

自分より少し低い位置にある頭を撫でて笑顔を向けてみるものの当然ながら彼女の表情が変わることはなかった。それでも私は彼女に笑いかける、こんな二十にも満たない子の表情が乏しいだなんて悲しいことだと私は思うのだ。

笑ってほしい、私がそう思い始めたのはついこの間の壁外調査を終えた時からだ。彼女にとってはそれが初めての壁外で、同時に多くの同期を失ったことだろう。犠牲者に今期の新兵が多くいたのを覚えている。そして更に彼女の所属班が全滅したとも耳にしていた。
ミオを見つけたのは無事本部に帰還した頃だった、その時の彼女はなんとか回収できた僅かばかりの亡骸の前で立ち尽くしてそれを見下ろしていた。悲しんだり泣いたり嘆くわけでもなく、その目はただ形容し難い鈍い光を宿らせているだけだった。その光景を見て思わず私は鳥肌が立った、会った当初から無表情な子だと思っていたが、よく考えればそんなことはないはずなのだ。感情が完全に無い人間が存在するだろうか、彼女も表に出さないだけで人並みに色んな感情や表情を持ち合わせているのだろうと考えれば考えるほど私は彼女に興味を持った。

「ハンジ分隊長、」

「なんだい?」

「私をここへ呼び出した理由ですが」

「そりゃもちろん、ミオに笑ってもらおうと!」

「…すみませんがお断りします」

彼女の相変わらずの抑揚の無い返事に再び笑っていれば「本当の理由は何ですか」と呆れたように言われてしまった。彼女のこうしたほんの少しの表情の変化が、まるで彼女が無表情ではないことを主張しているように見えた。それを少し嬉しく思いながらも彼女の質問に答える。

「ミオの移動先が私の班になったんだ」

「そうなんですか」

「そう、だから歓迎の気持ちを込めてミオと話してみたくてね。とりあえず座って座って!」

「…失礼します」

自分の向かいのソファーにミオが座ったのを確認してから二人分の紅茶を淹れる。彼女に聞きたいことも話したいことも沢山あるのだ、話を進めるためにも頭の中を整理しなければ。そうして何から話そうかと考えていると意外にもミオが先に言葉を紡いだ。

「…私は、ハンジ分隊長が羨ましいです」

ぽつりと呟かれた彼女の言葉は予想外のものだった。それが聞き間違いではなかったと判断すると思わず淹れていた紅茶を溢しそうになった。羨ましいだなんて言われたことが無いし、ましてやあのミオがそんなことを言ってくるなんて思わなかったのだから。

「え、どうしてどうして!?どこらへんが!?」

「感情表現が上手なところです、私には到底出来そうにないので」

紅茶が注がれたカップを前に差し出すと彼女は小さくいただきます、と言ってから紅茶を一口飲んだ。感情表現、そう言われてもあまりしっくりこないのだが、私はただ自分の考えや思ったことを単純に表に出しているだけなのだ。そう羨ましがられる程たいそうな事でも何でもない、普通の事なのに。それでもきっとミオにとっては難しいことに思えるのだろう。

「そっか…逆に私はミオが不思議で仕方がないよ。何でミオはそんなに表情を変えずにいられるんだい?」

「…変える、というか、意図的にやっているわけではなくて。感情が分からないので変えようがないのかもしれません」

「変えようがない?」

「私は、励ましてくれた仲間に笑いかけることも死んでいった仲間に涙を流すこともありませんでした」

そう言ったミオの言葉に遺体を見ていた彼女を思い出す。たしかに普段通り表情は変わっていなかった、でもそれは本当に彼女が自分の感情を理解していないという理由だけなのか。

「それなのに私は今生きています。こんな私が、彼らを押し退けて生き残ってしまったんです。…理解する以前にそもそも感情すら私の中に存在していないんでしょうか」

少し俯いて淡々と言葉を紡ぐミオは膝の上で両手を握りしめた。その拳は震えている。壁外調査を終えてから今日までの数日間、彼女はずっとそんなことを思っていたのだろうか。彼女が自分に心情を吐露してくれて嬉しい一方、その姿が少しだけ昔の自分に重なって見えた。私は大きな思い違いをしていたらしい、こんなにも彼女は悩んでいたということに気づかずに。

「…それは違うな、もうミオは立派な感情を持ってるよ。君は今までの自分に後悔してるんだろ、感情が無ければ仲間のことなんて考えはしないはずだ」

「…後悔、ですか」

「もちろん誰だって後悔はするよ、今回の調査なんかは課題が多く残った。でもね、いつまでも後ろばかり見ていたって何も変わりはしないのも事実なんだよ」

「……」

「多くの仲間が死んだ。それを悔やむなとは言わない、でも私達は立ち止まってはいられない。進まなきゃいけないんだ」

彼らの死を無駄にしないためにも。
いくら多くの犠牲が出ようと私達は調査を続ける。壁外に出れば仲間が死ぬ、自分が死ぬ可能性も十分ある、死とは常に隣り合わせだ。そうして世界は残酷だと何度も思い知らされた。それでも、ほんの僅かな希望でもいい、それを見つけるためなら命は惜しくないのだから。

「私は、ミオが生きてくれて良かったと思っているよ」

そう私が言えばミオは少し顔を上げた。その瞳は珍しく不安そうに揺らいでいた。そんな彼女を慰めるように笑顔を向ける。私も初めての壁外調査では仲間を失い深く心に傷を負った、だからミオの痛みはよく分かる。むしろ彼女は自分が傷を負ったことすら気づいていないかもしれないのだけど。

「…どうしたら、私もハンジ分隊長みたいに笑えますかね」

「お、ついに笑う気になった?」

「いえ、聞いてみたかっただけなのですが」

「そうだなー、じゃあ手始めに楽しいことでも考えてみようか」

「…楽しいこと、」

「そう、ミオはまだまだ若いんだからこれから楽しいことなんて沢山あるよ!」

その私の言葉に彼女は少し首を傾げた。楽しいこと、と言われても具体的にイメージが思い浮かばないのだろうか。そんな彼女に自分が思いつく未来の例え話をしていく。いつか壁がなくなって、世界が広くなる、兵団の皆で遠くまで旅をして見たことのない綺麗な景色を皆で眺める。不可能だと言われようと私は支配から解放されたそんな世界を心のどこかで求め続けている。皆が幸せに笑っていられる、それだけでいいと私は思うのだ。
世界は残酷なだけじゃない、そのことに彼女が気づいてくれるまで私は出来る限りその手助けをしてあげよう。きっと彼女の傷はいつか癒される時が来るはずだ。そうして彼女には色んな世界を知って視野を広げていってほしいと自然にそう思った。無意識なのだろうか、私が話す明るい未来の話にミオが普段の表情とは一変し、微かに口角を上げて優しい笑みを浮かべていることは黙っておこう。


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