自分の前を颯爽と進む人物の後ろ姿を見て思わず舌打ちをしたくなった。まあ言い出したのは自分ではあるが、あれは反則な気がしてならないのは仕方ないと思う。いったいどんな仕掛けだというんだ、ミオ・ローゼリアの普段の訓練に取り組む姿からは考えられない俊敏な動きを見せつけられる。自分も負けていられないと速度を上げるためガスを強めに噴射するが、それでもなかなか追い付けずに悔しさが込み上げる。

今日は険しい崖のあちらこちらに配置された五本の旗を立体機動により回収し、そのタイムを測るという成績に直結する試験だった。ちなみに一つの班は五人で編成されて計二十五本の旗が隠された崖を五人で一斉に捜索を開始するため、必然的に見つけたもの勝ちとなり班員といえどライバルへと認識は変わる。
そんな試験が行われる一時間前、どうせタイムを測るならと俺が考えついたのが今日の夕飯を賭けることだった。自分自身、立体機動は得意の方でちょうど今日の夕飯には久しぶりの肉が出るらしいので賭けにはもってこいだったのだ。人一倍食い意地の張ったサシャにそう提案すれば奴は目を輝かせて乗ってきた。久々の肉だというのに賭けに負けて一つも食べれないのはさすがに同じ訓練兵として胸が痛むということで、賭ける肉は配給の半分という意見で成立した。

「せっかくだからミオも誘いましょうよ」

「ミオ?…ああ、あの教官に殴られてた女か」

「賭けは人数多い方が張り切れます!」

サシャから飛び出た名前に入団式で一騒動起こしたミオ・ローゼリアを思い出す。確かにサシャの言う通り人数が多いほど勝った時の利益は大きい。あまり詳しくは知らないが、あいつの立体機動はそう警戒するほど速くないだろうし成績もあまり良くないのは知っている。そう考慮して問題ないだろうと了承すればサシャは嬉しそうにミオを呼びに行った。
そうして呼び出されたミオは嫌そうにサシャに引きずられて来て賭けを断っていたが、久しぶりの肉のせいかサシャの目がギラギラと怪しい光を放ち「ミオの夕飯のお膳に肉は一欠片も乗ってないかもしれませんよ?」と涎を垂らしながら脅しのように呟いたため渋々賭けに乗ってきた。

そうして結果三人で肉を賭けることとなり、班を発表されてみれば俺とミオは偶然にも同じ班だった。好都合と言えば好都合だ、同じ班になったのならミオが取ろうとする旗を横取りしてしまえばいい。そう意気込んでスタート地点へと並ぶ。隣に立つミオをちらりと見るが表情は変わっていない。むしろ意気込むどころか面倒くさそうにため息をついていた。これは勝った、そう自信が最高潮に満ちた瞬間だった。

「悪いなミオ、お前に負ける気がしねえよ」

「私も乗ったからには負ける気はない」

「その頬の傷で言われてもな」

そう笑ってミオの頬を突っついて言えば少し目を細めてこちらを見てくる。本人は睨んでいるつもりなのだろうか、無表情も手伝ってか迫力もなく全くもって怖くはないが。

教官の合図で俺とミオその他三名は一斉に崖へとアンカーを飛ばす。スタートダッシュは完璧だ。他の班員は全員後ろで自分が先頭の状態。流れる景色に目を凝らして赤く目立つ旗を探す。そうすれば直ぐに近くの岩に隠れていた一本目を発見し、重力に身を任せて身体を落下させる。これで一本目だ、と安堵しつつ手を伸ばしたところで瞬時にその旗は姿を消した。それが他の奴に奪われたのだと認識するのにそう時間は掛からなかった。前方に視界を移せばミオの片手に握られていた一本の赤い旗が目に入る。どうやらあいつに横取りされたらしい。

「なっ、速い……」

ミオの立体機動のスピードは予想を遥かに超えるほどの早さだった。あいつが今までの訓練であんな速度を出したことがあったかと記憶を巡るが自分の知る限りではない。いつものミオの様子からではあり得ない、その思考だけが頭を支配するが慌てて振り払う。たかが一つ旗を取られただけで何で俺はこんな怯んでんだ。まだ試験は序盤、最終的にあいつより速く旗を集めればいいだけのことだと言い聞かせる。そうしてミオとは別の方向へ崖を進み必死に辺りを見渡す。焦っている気持ちを抑えつける。まだだ、まだ負けたわけじゃない。

自力で見つけ出しなんとか三本獲得し残り二本となったころだった、視界の端にミオが移ったのは。見る限りでは一直線でこちらに向かっているようだった。あの様子じゃここら辺りに旗を見つけたのだろうか、先ほど横取りされた仕返しをしてやりたいと思い自分の周りを見渡す。そうして右手にある木から少し赤が覗いているのを視界にとらえた瞬間、自分も方向転換をしてそちらへ向かう。きっとミオが狙っているのはあの旗だ。自分の方がミオより距離が近かったこともあり見事に旗をキャッチする。あいつから横取りできた、と嬉しさに気持ちが高ぶりミオの方を見る。ところがミオは別の場所で旗を見つけていてこちらには目もくれず新たな旗を掴んでいた。それにはさすがに目を見開く。なんなんだあいつは、心なしかあいつの持っている旗が五本に見える気がする。ただの錯覚だと思いたいのだが残念ながら現実らしい。
負けたのか俺は、ミオ・ローゼリアに。いや、まだだ。崖の頂上へ登りそこにいる教官に名前を報告するまでが試験だ。肉の女神は俺に微笑んでくれるのだろうか。そんな下らないことを考えつつ最後の赤色を探して進むがなかなか見つからない。だめだ、タイムロスが多すぎる。もうあいつは崖を登って教官のところへたどり着いているかもしれない。自分から賭けを提案して賭けに乗り気じゃない奴に負けるってどうなんだよ俺…と半ば諦めて肩を落とす。そうしていると突然目の前に探して続けていた赤い旗が落ちてきた。何事かと驚いていると上から声が降ってきた。

「コニー」

「…は、ミオ!?お前なんで」

「それ、余分に取った分。まだ四本しかないんでしょ」

「なにいって」

「話は崖登ってから。サシャに負けるよ」

ミオのその言葉にはっとして落とされた旗を拾って徐々に崖を登っていく。何がなんだか分からんが、余計なことは気にせずとりあえず今はゴールを目指すのみだ。そう思った直後に嫌な金属音が耳に届いた。

「…あ、やべっ!」

それなりに高い位置まで来ていたというのにアンカーの位置にまで気を配れず適当に狙った位置の崖にそれは跳ね返され身体を支えていたワイヤーが緩む。身体が落ちていくのがやけにスローに感じ、咄嗟にとった行動で斜め上で崖を登っているミオの足首を掴んでいた。
当然ながらミオのワイヤーも不安定な表面の崖ではアンカーが浅く刺さっていたらしい、二人分の体重には耐えられず崖から外れて二人もろとも地面へ落下した。

「…いってぇー」

「何すんのバカコニー」

「ばっ…仕方ねえだろ!つーか俺が下敷きになってやったんだから感謝してもらいたいくらいだよ!」

「それは当然のことでしょ」

あなたの不注意で落ちたんだから、という言葉はもっとも過ぎて何も返せない。すまん、と謝れば別にいいと言ってミオは立ち上がり団服の土埃をはらった。

「…そういや何で俺に手を貸すような真似したんだよ」

先ほどからずっと疑問に思っていたことを聞く。他の班員が崖を登っているのが端に見え、今さら登ってもサシャには負けそうだと目の前の崖を一瞥する。自分たちはあんなに高いところから落ちたのか。

「私とコニーで同着してサシャに勝ったら、結局この賭けは無効になるのかなって思っただけ。もともと私は乗り気じゃないし、コニーより先に旗集められたから態々自主的に争う必要もないかなと」

まあこの調子だと結局サシャの一人勝ちになっちゃったけど。そう淡々と言うミオの意見が予想外すぎて驚く。こいつ、旗を集めている間にもこんなこと考えていたのか。それと同時にミオらしい考えだとも思ってしまった。

「あーくそ、サシャに肉分けるとか屈辱だな」

タイムちょろまかすか、と冗談で笑いながら言えばミオも少し笑ったので不意を突かれ驚いた。こいつも笑うのか、と呆然としていればミオの表情は既に普段通りへ戻っていた。笑えるならもっと笑ってりゃいいのに、と思いながらもやはり試験は成績に響くので今度は注意して崖を素早く登った。

夕飯は賭けをした三人で食事をした。サシャはそれはもう美味そうに実質二人前の肉を味わい、俺たちは半人前の肉を食した。 賭けには負けて悔しくないと言えば勿論嘘になるが何故だか気分は悪くなかった。


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