"絶対に巨人の餌にはならない"、あの日そう断言したミオ・ローゼリアは先ほどから隣で頭をふらふらとさせている。通過儀礼で確証のない言葉を教官の前で悪びれるわけでもなく淡々と発した人物とは思えない状況だが、こうして座学の時間に居眠りするのはそう珍しくもない光景になりつつあった。

いつもの無表情からは考えられない呆けた表情で目を閉じて随分と気持ちよさそうに眠っている。普段とは違う雰囲気だからか何故だか起こすのに罪悪感すら沸いてしまう。それでもこちらに寄りかかってくる方が悪いのだと自分に言い聞かせて肩を揺さぶり小声で声をかける。

「おい、ミオ起きろ。また教官に走らされたいのか」

「………」

俺の言葉を聞くなりミオは閉じていた目をゆっくりと開けた。数秒して自分が寝ていたことに気づいたらしく板書のメモを取ろうとペンを持ち直すが、そんな奴の状況も知らずに次の話題へと移った教官は一気に板書を消してしまった。その光景に慌てるわけでもがっかりするわけもなく、ならば仕方がないとあっさりメモを諦めたミオは眠たさが残るせいか疲れたように椅子の背もたれに寄りかかった。良くも悪くも想像以上にマイペースな奴だ。

「ったく…お前は少し睡魔に勝つ努力をしろ」

そう言ってミオに自分のメモを差し出す。我ながらいい事をしたと少しながらの優越感に浸っているとミオはメモを不思議そうに見た。まだ寝ぼけているのだろうか。

「あなた、なんて名前」

「…ライナーだ。ライナー・ブラウン」

「ライナー、私今なにもする気になれない。だからこれは返す」

「お前なあ、訓練でもそんなんだがいいのか成績は」

そう自分で言ってふと思い出す。こいつは周りの多くが憲兵団を目指す中、調査兵団に入ると言っていた物珍しい奴だった。壁外へ出るなんて自分から死にに行くようなものだというのに。相変わらず何を考えているのか分かったものではない。

「成績なんて卒業出来ればどうでもいい。それよりメモを貸すくらいなら肩を貸してよ」

ライナーの肩しっかりしてて寝心地が良かった、と付け足すミオは相変わらずの無表情、強いて言うならいつもより瞼が重たそうだ。どうやら本当に眠いらしい。だが肩を貸せと居眠りのために言われたのならば簡単に貸しはしない。それが教官の目に止まりでもしたら俺までもが巻き込まれてしまう可能性が十分に高いからだ。ただでさえ隣で寝ている時点で巻き込まれるかもしれないというのに。こちらの気も知れずに再度顔を机に伏せて眠りにつこうとするミオを慌てて小声で制止する。

「ま、待て、寝るなミオ」

「…なんでライナーが止めるの」

まだ何か用、と少なからず不機嫌な声でミオが呟く。用があるわけではないが、無いと言った時点でミオが再び眠りにつくことは目に見えている。何か話題はないものかと必死に探し、これしかないと先ほど思い出した話題を彼女にふった。

「そういえばミオ、お前調査兵団へ入ると言っていたな」

「だからなに」

「お前、巨人を見たことがあるのか」

そう質問してみれば少し沈黙が流れた。自分から聞いておいて何故だかその沈黙が長く感じて冷や汗をかいてしまう。実際これはあの入団式の時からミオに聞いてみたかった質問だ。"絶対"と言い切っていたあの自信はどこから来るのか、巨人と人類との間にはそれはもう比べられないほど力の差があることくらいミオでも知っているはずだ。ならばあの自信は何だったのか。巨人を見たことがなければ口ではいくらでも言えるが、ミオは実際どうなのだろうか。

「見たことない」

「……そうか」

そういうミオの言葉を聞いて何故だか少し安心した自分がいた。だが、見たことがないとなれば所詮あの威勢は口だけだったのかもしれないとあの日の彼女を思い出す。そうしていれば再びミオは口を開いた。

「巨人を見たことがあるとかないとか関係ない。いずれまた壁が壊される、そうしたら嫌でも目に入るだろうから。私は調査兵団で生き残れれば、それだけでいい」

そういい終えてからミオは机に顔を伏せた。不覚にも彼女のその言葉に驚く。あの通過儀礼の時と同じく、確信めいたように未来を想定した言葉。まるでこれから何が起こるのか手にとるように分かっているような口ぶり。そんな彼女が一瞬でも恐ろしく思えてしまった自分がいた。一体その妙な自信はなんなんだ。柄にもなく焦る自分を振り払うように再度伏せているミオに質問する。最早ミオが寝ないように質問していた先ほどの自分はいない。本当に質問をしたくて質問していた。前にある時計を横目で見ればあと少しで鐘が鳴るころだった。

「ミオは、巨人が憎いのか」

そう俺が言葉を発すればミオは顔を上げてこちらを見た。初めて目が合った瞬間だった。一瞬、地雷を踏んでしまったのではないかと思うほど彼女はこちらを見つめてくる。

「…私が憎んでるのは巨人なんて、そんな甘いものじゃない」

人間っていう怪物だよ。
そう呟かれた言葉に目を見開く。そう言った時のミオの目が不気味に笑っているように見えて鳥肌が立った。ミオがそう言い終わるとすぐに座学終了の鐘が鳴り訓練兵たちがざわざわと移動し始める。ミオもミオでいつもと変わらない表情へと戻っていて、昼食だとはしゃぐサシャに腕を引かれて部屋を出ていった。

知らないうちに無意識で息を止めていたらしく我にかえってはっとする。気づけば嫌な汗をかいていて気分も良くない。隣で大丈夫かと心配そうなベルトルトの声が聞こえたので心配ないと返す。あの彼女の言葉は一体どういう意味なのだろうか。背筋が凍りつくほど胸がざわついた。ますますミオ・ローゼリアに対する謎が深まってしまったが、せめてベルトルトにはミオに気を付けるよう言っておくべきだと自然に思った。彼女は一見なんともないように見えたとしても実はとんでもない奴なのかもしれないのだから。


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