立体機動装置を使用した訓練が始まってからどれほどの兵士が脱落していっただろうか。立体機動はバランス感覚だけでは成り立たない難しいもので出来る人とそうでない人の差が激しかった。いくら体力があろうといくら頭の回転が早かろうと立体機動装置が使えなければ兵士として本末転倒だ。見渡す限り視界に入る訓練兵の人数が脱落者の多さが計り知れないことを悟っていた。

今回の訓練は立体機動装置を実際に使用して巨人の模型のうなじを刃で素早く削ぐことだった。前回にも何度かやったことがある訓練だったけど、今回はペアの一体感によって成績がつけられるのだと教官が訓練兵に説明した。基本のペアは男女各一人ずつ、二人で次々と各方向から現れる巨人の模型をどちらがどの巨人を倒す方が危険度が低く尚且つ効率よく速やかに巨人を絶命できるか、斬撃の能力と共に頭の回転が問われる訓練だった。
ペアは教官によって事前に組まれていたようで次々と兵士の名前が呼ばれていく。僕のペアとして名前が呼ばれたのは初日から皆の注目の的となっていたミオ・ローゼリアで不覚にも少し驚いてしまった。そうして解散の合図の後、周りを見渡して彼女を探せば彼女は既に後ろに立っていてこちらを見ていた。

「あなたマルコ・ボットでしょ」

「うん、そうだよ。今日はよろしくミオ」

「よろしく」

そう挨拶を交わせば彼女はすぐに方向転換して訓練場へと足を進めたのでその後ろを続いていく。相変わらず表情に変化はないようで彼女を見るとやはり入団式のことを自然と思い出してしまう。
あの事態は教官に必死に従おうとする訓練兵の中では印象が強すぎた。あの日の夕食の食堂では本人が走らされていてその場に居なかったせいもあってか彼女の話題で持ちきりだった。自身の立場をわきまえず教官に立ち向かおうとする怖いもの知らず、痛い目に合うと分かっていて口答えした空気を読めない馬鹿、感情を全く宿していない人形のような目をした近寄りがたい雰囲気の女、あの場の怯えていた全訓練兵の代弁をしてくれたような勇者、などと彼女の捉え方は人それぞれだった。なにを思って彼女が教官に反発しようと思ったのかは本人以外には分からない謎だけど彼女は自分の意見を痛い目に合おうと意地でも曲げないあたり、結構見た目によらず根性のある性格なのかもしれないと彼女の背中を見ながら思っていた。

訓練場へと着いて各自自分の立体機動装置の準備をしていると肩に手が乗りかかってきたので誰かと思いつつ振り返るとジャンがそこにいてやれやれとため息をついていた。

「お前もつくづく災難だな」

「え、なにが?」

「なにって、ペアのことに決まってんだろ」

「ああ、ミオのこと」

「今回の訓練の点数は結構高いから憲兵団を目指す奴にはもってこいだ。それなのにお前のペアときたら教官に目をつけられてる挙げ句、訓練をまともに受けようとしない」

ペアとして点数をつけられるからお前も巻き添えっつーわけだ、と哀れんだ目でジャンは続けた。確かに彼女が訓練を真面目に受けている姿を見たことはない、でもそんなに彼女は皆が思っているほど周りに迷惑をかけるくらい足を引っ張るような存在ではないと思う。彼女のことを詳しく知っているわけではないが何となくそう思えてくるのは何故だろう、自分でも不思議だった。

「確かにそうかもしれないけど…ジャンが思ってるほど悪い子じゃないと思うんだけどなあ」

「はあ?お前も覚えてるだろ、あの通過儀礼」

「ああ、ジャンが教官の頭突きで額真っ赤にしてたやつね。翌朝まで跡が消えなかったっけ」

「俺の話はどうでもいいんだよ!」

お前を心配して言ってんだぞ!とジャンに肩を叩かれるものの彼の通過儀礼を思い出すと笑いが止まらない。本当に彼は清々しいくらい正直だ。そうして予鈴の鐘が鳴ってジャンは「まあ精々頑張れよ」と言い残して自分の配置へと戻っていった。それと入れ替わりのように立体機動装置を装着したミオがここへ戻ってきた。

「準備できた」

「よし、じゃあ僕たちも向かおうか」

配置に着くと教官に整列させられる、暫くして訓練が始まったようで前のペアから順番に立体機動で森の中へと入っていくのが見える。それなりに後ろに並ぶ僕たちの番までは結構時間がありそうだったので何とはなしにミオに話をかけてみる。

「ミオはさ、」

「なに」

「調査兵団に入りたいんだよね」

「…そうだけど」

「壁外に出ることを怖いとは思わないの?」

「別に思わない」

そんなこと思っていたら調査兵団に入ろうとは思わない、と言われて確かに彼女の言う通りだなと苦笑する。壁外に出ることを知らずして調査兵団を選ぶ人は当然いない、変な質問をしてしまった。

「それに、」

「うん?」

「私はなにも、死ぬことを前提に調査兵団になるわけじゃない。巨人を殺して、絶対に生き延びてみせる」

こちらを向いてそう言う彼女の瞳は力強い光を放っていた。誰だろうか、彼女の目を感情のない人形のような目だなんて言ったのは。彼女はこんなにも綺麗な瞳をしているのに、これを見てもなお感情を宿していないと言えるのだろうか。

「…ミオは強いね」

「なにが」

「巨人に立ち向かおうとする強い心を持ってる、それって凄いことだよ」

そういえばジャンと口論になっていたあの黒髪の彼、エレンも強い意思を持っていたなとミオを見て思い出す。憲兵団入りのため成績上位十名を目指し、それが叶わなければ駐屯兵団へ行く。人類の巨人への恐怖心が生み出した兵士のこの流れの中で二人は違う道を、恐怖に立ち向かう道を選んでいる。同じ訓練兵とはいえ二人が遠い存在に見えてしまうのは僕だけではないだろう。

「…そう言うマルコはどこ目指してるの」

「僕は今のところ憲兵団を目指してるよ」

「なんで」

「王の近くで働きたいんだ。こんな光栄なことはないよ」

とは言っても成績を上げないといけないんだけどね、と笑って付け足す。そう話しているうちにも列はどんどん前へと進んでいく。もうそろそろで僕たちの番が来るころだ。そう前の進み具合を見ていると不意にミオが口を開いた。

「マルコも強い心を持ってる」

「え?」

「私には分かる、それが心からの言葉だって。内地しか脳がない奴が憲兵団をやるよりマルコみたいな人が憲兵団をやった方がいいのは誰もが分かること。私、マルコを応援する」

「え、あ、ありがとう」

「だからこの訓練、なんとしてでも高得点とる」

突然早口で言われたその言葉に理解が遅れたがとても嬉しい言葉だった。誰だろうか、彼女を近寄りがたい存在だと言ったのは。確かに表情に出すことはないかもしれないけど彼女はこんなにも優しいじゃないか。ジャン、やっぱりミオは良い子だよ。僕の思い過ごしなんかじゃないさ。皆この優しさに気づけないなんて損をしている、なんて思ってしまう。

高得点を取ると無表情ながらに意気込んだように見えるミオを微笑ましく思いながらも、やっとのことで順番が回ってきたので立体機動で森の中へと入る。

「後ろは私、マルコは前ね」

「うん、任せて」

訓練の最中に彼女が的確な指示を出してくることには少し驚いた。さすがは調査兵団を志望しているだけはあるな、と感心してしまう。斬撃も今まで不真面目に訓練を受けていたとは思えないほど素早くかつ深くうなじを切り落としていた。

彼女の指示であっけなく訓練は終わり点数はそれなりの高得点を獲得できた。これも彼女のおかげだ。そんな僕たちの高得点にジャンが信じられないと驚いていたのは言うまでもないだろう。


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