「お誕生日おめでとう、ミカサ!」

過酷な訓練も終わりを迎え、日がすっかり沈んだ頃。エレンとアルミンの姿が見えなくて二人とももう食堂へ向かったのかと思いながらも扉を開ければ、そこにはまだ夕食まで早い時間だというのに既に多くの人が集まっていて口を揃えて私にそう言ってきた。なんだか今日は一日中エレンもアルミンもそわそわしているとは思ったけれど、原因はこれだったのかもしれない。

「……みんな、」

「なにぼさっとしてんだ、早くここ座れよ」

「エレン、」

「皆で頑張ってケーキを作ってみたんだ、まあほとんどが初心者で上手くできているかは分からないけど……」

そう言ってアルミンが席についた私の前に置いたお皿の上には、少し歪な形をしたケーキが乗っていた。それを見た瞬間、不意に私の頭には昔の光景がよぎった。ずっと前の、閉じ込めていたはずの記憶。それを振り払うようにして小さく首を横に振る、何故いまこんな時に思い出す。そうして改めて目前のケーキを見てみれば想像よりも大きくて少し驚いた、これを皆で作ってくれたのだろうか。

「ミカサ、食べきれなかったら私を呼んで下さいね!いつでも待機してますから!」

「サシャてめえ、あれだけ散々つまみ食いしといてまだ懲りねえのか!」

「お前そんなに腹減ってんならあそこに山積みになった失敗作食えよ…」

いつもと変わらず食い意地の張ったサシャや馴染みの同期が騒ぐなか、ふと「おめでとうミカサ」と笑顔でこちらにやってきたのはクリスタだった。

「ごめんね、お砂糖とかはそんなに入れられなかったの、ミカサの口にあえば良いんだけど…」

申し訳なさそうにそうに言ったクリスタと、その隣にいたミオは私の前にフォークを置いた。

「思った以上に不器用な人ばっかでさ、作ろうって言い出した私が言うのもなんだけど味は保証できない…けど、まあ…どうぞ」

そうミオは小さくため息をついて後ろで騒ぐ同期に目をやった、その目は呆れているように見えるものの実際は満更でもなさそうだ。かといってミオも十分不器用だということを彼女自身が気づいているかどうかは別の話ではあるけれど。どうやらミオによると彼女がこの主導者のようだしケーキ作りを提案するくらいだ、きっと自分の酷い不器用さなんてものには気づきもしていないのだろう、なんて考えながらもフォークを手に取って一口そのケーキを食べてみる。すると、周りの騒がしかった声が一瞬で止んで視線が一気に私に集中した。

「…うん、少し焦げてはいるけれど、おいしい」

みんな、ありがとう。そう呟くと皆は安心したようにほっと胸を撫で下ろしていた。そしてそれからまた暫くすれば騒がしくなり他愛もない会話が始まる、疲れなんてものも忘れてしまうくらいには自分の気分も良くなっていた。いつから私はこの空間に安らぎを覚えたのだろう。
訓練に明け暮れる日々の間で一緒に質素な食事をとり、一緒に就寝する。同期と寝食を共にするこの環境で、私の中の価値観が少しずつ変わり始めているのを少なからず感じていた。皆の笑顔は心から私の誕生を祝ってくれているようで、それは本当に嬉しいことだ。それでも、心のどこかで隠し切れていない傷が疼くような、そんな気がしたのだ。

「ちょっと、外の空気を吸ってくる」



外に出ると、もちろん冷えてはいたけれど今だけはこの冷たさが丁度良く感じられた。
入り口の前に腰を下ろして息をつく、どうして私は今になってまたこんな昔のことを思い出しているのだろう。祝ってくれたことは素直に嬉しかった、まさか皆が私の誕生日を知っているとは思わなかったから。それなのに、どうしてこんなに気持ちが晴れないのか、そんなことの答えは既に自分の中にあった。少し崩れたケーキも、温かい笑顔も、昔から私の記憶にはあるのだから。

ずっとずっと前のことだ、お父さんは不器用だというのに私のために一生懸命ケーキを作ってくれた。強がってお母さんの手を借りなかったらしい、味もまるで先ほど食べたのとそっくりで、あのスポンジが少し焦げたような感じも鮮明に思い出せる。
私に向けられた、あの二人のあったかい笑顔も全部ぜんぶ私の奥底に埋もれていた記憶だ。それを思い出せば出すほど涙が出そうになってなんとか堪える、駄目だ、せっかく皆が祝ってくれているというのに私が辛気臭くなってどうするというのだ。落ち着こうと息を吐けばそれは白くなってそのまま宙に溶けていった。

「ミカサ」

不意に、自分の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえた。振り返らなくても誰だか分かった私は自分の視線を自分の足元から動かすことができなかった。

「どうしたの」

「………」

どうしてミオがここに、動揺を隠しきれずじっと自分のつま先を見つめていると、すとんと私の隣にミオが座ったのが視界の隅に映った。外の空気を吸ってくると言ったのに彼女は私にどうしたのかと聞いてきた、そんなに私の行動は不自然だっただろうか。未だにミオの顔を見れなかった私はそのままの視線で、なんと言うべきかと悩んでいる間もなく勝手にするりと言葉が口からこぼれていた。

「…昔の記憶を、思い出した」

「昔?」

「私のお父さんとお母さん…久しぶりに思い出したような気がする、」

「………」

「ずっと昔の事なのに、何故だか皆が祝ってくれた光景が重なってしまった」

「……そう、」

「….私は、あと何回奪われればいい?」

少し冷えた風が吹きつけた、自分でも何を言っているのか分からなかった。ミオが続きを待つようにこちらを見ているのが分かる。それでも言葉は不思議と出てきて、それと同じように先ほどまで堪えていた涙も出てこようとしていて首元のマフラーをぎゅっと掴んだ。

「…この世界は、私から大切な人たちを奪っていった。私はもう、これ以上大切な人たちを失いたくない」

「…………」

「怖い、進むことが怖い。このまま進んだらまた私は失うかもしれない」

今まで自分にまで嘘をついていたのだと感じさせるほど、その言葉は自分の言葉なのかと疑ってしまうようなものだったけれど、本心からのもだということだけは理解していた。

「ねえミオ、ミオは本当に、調査兵団へ行くの」

「…そのためにここに来たから」

「……私は認めない、ミオが外に出たりしたらすぐ死んでしまう」

「…ミカサ」

「お願いだから、死んだりしないで」

ミオが死んでしまったら、と容易に最悪の状況を想像できてしまう自分の思考が憎い。小刻みに震え始める自分の肩を押さえつけるように力を入れて掴む。やっぱり、価値観が変わっている。エレンの無事ばかり考えていたのにどうしてかミオの無事まで考え始めていた。

「…死なないよ」

「……っどうして、そんなこと」

「私は、死なない」

約束する。そう言ったミオの瞳はいつもとは打って変わって真っ直ぐで、力強い瞳だった。調査兵団を志望して死なないなんて、根拠のない曖昧な言葉のはずなのに、ミオのその瞳を見ると何も言い返せなかった。

「だから、ミカサも死なないで。約束だからね」

「……ミオ、」

「ミカサのお父さんやお母さんは、たしかに今はいなくなっちゃったかもしれないけど、世界は全部奪ったわけじゃない」

「…………」

「だってミカサの記憶から、二人は絶対いなくならないでしょ」

ずっとずっと、私たちだって同じように、皆ミカサの中にいる。そう呟くように言ってからミオは私の目を見た。そうだ、私はとんだ勘違いをしていた。 もしこの先ずっと、お父さんやお母さんを思い出さずにいたら、それこそ本当に何もかも忘れてしまうところだった。ああ、ごめんなさい、思い出すことを怖がっていた私をどうか許してほしい。ミオは何も言わずに私の背中をさすってくれる、涙が頬をゆっくり滑り落ちていくのが分かった。大丈夫、もう怖くない。
会話は途切れて沈黙が続く、寒い風が再び私たちの間をすり抜けた。それでも私の心は反対にじわじわと温まっていって、この沈黙さえも今は心地よく感じた。ミオの隣にいるだけで、こんなにも安心してしまう自分がいる。

「ほら、そろそろ戻らないとみんな心配するよ」

暫くして、ミオは立ち上がって私に手を差し伸べてきたのでその手を取って私も立ち上がる。彼女の手は思っていたよりも冷たくて、私は半ば無意識に彼女の手を強く握っていた。

「…私は間違っていた、ミオにはもっと厳しくするべきだった」

「ええ、どうして」

「ミオが死なないように、これからは訓練をしっかり受けてもらう」

「…うーん、まあ、お手柔らかに」

そう言って曖昧にミオが笑った、きっと彼女のことだからどうせ明日にでもすぐサボるのだろう、でもそんなこと私がさせない、彼女は生きるためにもっと強くならなければならないのだ。私はもう絶対、大切な人を失くしたりしない。

食堂に戻れば皆が笑顔で迎えてくれた、あったかい、この空間もまた私の大切になっていた。エレンとアルミンがいればそれでよかったのに、いつから私はこんなに欲張りになったのだろうか。そんな自分に呆れる反面、どこかで嬉しいと感じている自分がいて自然と笑みをこぼしていた。慌ててマフラーを引っ張って口元を隠すもののミオには見られていたようで私に微笑んでから彼女は頷いてみせた。それを見たとたん何故だか心がすっきりしたような感覚になった。そうだ、これでいいんだ。隠す必要なんてない。もう昔とは違う、今の私には力がある。大切なものは自分の力で守る、ぜんぶぜんぶ私が守る、そう決めたのだから。





02/10 Happy Birthday Dear Mikasa !


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