「おいアニ、今のはやりすぎだろ」 ミオが空から目を離さずにいると不意に低い声が上から降ってきた。聞き覚えのある声だとなんとなく思っていれば腕を引っ張られて上半身だけ起こされる、そうして彼女の視界にいたのはライナーだった。その隣にはエレンもいて「大丈夫か?」とミオに視線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。そんな二人を見るなりアニは明らかに不機嫌そうに眉を寄せていた。 「なに、また私に蹴り飛ばされに来たの」 「ミオを使おうったってそうはいかねえぞ、こいつもサボリ魔だからな」 そう言って笑ったライナーにアニの眉間の皺がますます深くなっていく。いまいち話についていけないミオはとりあえずエレンの手を借りて立ち上がった。 「え、なに、何の話これ」 「なんだよ、ミオも訓練サボってたのか?」 「うん、まあね」 「まあねって…お前なあ、」 いつもの調子で淡々とそう言ってのけた相変わらずのミオにエレンがため息をついた。実際、対人格闘などやったところで負けるという結果は見えているのだから意味がないというのがミオの考えだった。それに、なにより彼女が磨きたいのは人間相手の技術ではない。それはエレンも同じだろうに、まあエレンの場合は格闘技自体が得意だからどうってことはないのかもしれない。ミオがそんなことを考えているとライナーは笑いながらも持っていた木刀をミオに投げ渡した。 「サボってるお前らを俺たちが正してやろうと思ってな。ミオ、サボりたいなら俺たちを倒してからにしろ」 「は、なにそれ」 「はあ…だから言ったでしょ、面倒くさい奴がいるって」 そうため息をついたアニにミオは彼女が面倒くさい奴、と言っていた先ほどを思い出した。なるほど、だからアニは誰とも組んでいなかった自分と一時的に組んでこの二人から逃れようとしたのか。ライナーなんかは自分たちを正すというよりは楽しんでいるようにも見てとれる。 ライナーもエレンも成績上位者だ、自力で倒すことはまず無理だと理解したミオには何故そんなことをしなければならないのかという疑問しかなかった。対人格闘の訓練など他に比べれば尚更真面目に取り組む意味が見出せない。なにより、負け試合だと分かっていて自分から負けに行くなんてことはミオ自身のプライドが許すわけがなかった。 「…私が弱いの知ってて言ってるでしょ」 「つべこべ言うな。弱いんだったら真面目に訓練受けるか、俺を倒してでもサボり通すか、どっちかにしろ」 ライナーは楽しそうに笑ってからミオと距離をとった。余裕そうに見えるその表情からはやはりミオの対人格闘の弱さを知ってのものだった。確かに弱いことは事実ではあるものの甘く見られているということにはさすがのミオも眉を寄せた。 「安心しろ、アニみたいに投げたりはしねえよ」 「…………」 「さあ、お前がならず者だ、いつでもかかってこい」 そう言ってライナーは姿勢を低くして構える、もうこれは負けると分かっていても組むしかないのではないか、とミオが半ば抵抗を諦めかけていると、不意に目の前にいたライナーの身体は後ろに仰け反り宙を浮かんでいた。まさか、と思った時にはライナーは既に地面に叩きつけられていてミオはその光景を目を見開いて見ることしか出来なかった。倒れたライナーの傍らにはアニが平然と立ったままで、その近くにいたエレンは少し驚いたような表情をしてから地に伏すライナーを見てはまた一つため息をこぼしていた。 「いっってえ!アニお前、後ろからは卑怯だぞ!」 「実戦じゃ卑怯もなにもないよ、いいから私らに構わないでくれる?」 アニの目つきは鋭いままライナーを見下ろした。アニが強いことはもちろんミオも承知してはいたが、まさかあのライナーまでも簡単に投げ飛ばしてしまうとは思ってもいなかったためその驚きは大きかった。先ほど同じようにアニに投げ飛ばされたミオはその痛みを身をもって思い知っている、さすがの彼女もこれには内心で深く同情しつつライナーを見下ろした。 「ほら、行くよ」 不意にアニに手首を掴まれたミオはそのまま彼女に引っ張られるようにして訓練場の脇に出た。そこで丁度よく訓練終了の鐘が鳴る、それでもアニは兵舎に向かわずにミオの手を離すなりそのままベンチに腰を下ろした。ミオはどうすればいいのかいまいち分からず、その場に立ったまま座ったアニを見た。 「あんたさ、ライナーくらいは倒せるようになったらどう?」 「…え、なにそれ」 突然のアニの発言が思いきり予想外だったのでミオは思わず目を丸くした。というか、ライナーくらいってさらっと言ったけどハードル上げすぎでしょ、と心の中でミオは突っ込んだ。彼だってアニには負けても同期の中では五本指に余裕で入るくらいの実力者なのだ、ミオは一瞬聞き間違えたのかと思っては怪訝そうに眉を寄せた。 「なに言ってるの、アニも知ってるでしょ、私には誰からも木刀奪えないくらいの才能しかないんだけど」 「…それ才能ないに等しいけど」 「うん、だから無理だって」 「じゃあ、私が教えてあげようか」 「…は、」 「格闘技。あんたを強くしてあげようか」 アニが顔を上げてミオと目を合わせる、透き通るような青い瞳がミオを捉えた。ミオはアニの言葉の意図が未だに見えなくて戸惑いを隠しきれずにいた。 「どうしたの、突然」 「別に。ただあんたがあまりにも弱いもんだから、心配になっただけ」 「…心配してくれるのはありがたいけど、私が磨きたいのは人間相手の技じゃない」 「…………」 「それに、私が今さら真面目に受けたところで急に上手くなったりしないよ」 そう言ってミオが小さく苦笑した。そんな彼女にアニは少し視線を逸らして、ふと視界に入った訓練場を出て兵舎へ向かっていく兵士の列を眺める、その中にはライナーとエレンの姿もあった。 「……たしかに私も真面目に受けてないし、あんたがサボりたいっていうなら止めないけどさ」 「…うん」 「あんたが人間を相手にすることが必ずしも無いとは限らないだろ、技を持ってて損をすることはないし」 「…アニ、」 「…ま、どうせまたサボったところであの二人も懲りずに構ってくると思うけどね」 そう息をついてからアニは立ち上がり兵舎へと足を進めた、ミオもその彼女の後ろについていく。たしかに自分は一時期、技を習得したいだとか我ながら珍しく訓練に意欲的になったりもしていたが壊滅的に才能が無いことに気づいてからは潔く諦めていた。そうしてミオは歩きながらいろいろと思考を巡らせて少し悩んだあと、まあアニは強いしせっかくだから彼女に教えてもらうのも悪くないなと一人首を縦に振って頷いた。 「うん、じゃあお願いしようかな」 「は?」 「え、教えてくれるんでしょ」 てっきり話の流れからほぼ出まかせの自分の提案は断られるものだと思っていたアニは彼女の言葉が予想外で思わず足を止めて後ろの彼女へ振り返った。あのミオが人を頼ろうとしている、不思議そうに首を傾げているあたり無意識であると分かるがアニはその事実に少なからず驚いていた。これはミオの中の意識が少しずつ変わっていることを明確に示唆していたのだ。相変わらずミオが何を考えているのかは勘が鋭いアニですらさっぱり分からない、それでもその彼女の言葉にアニは心のどこかで嬉しさにも似た感情があることに戸惑いを感じざるを得なかった。 「…そう、じゃあもう手加減は必要ないね」 「え、いや」 手加減は必要だけど、と言い終わる前にミオの足は払われていて地から離れていた。先ほどと似たような感覚にミオは衝撃を身構えるものの、アニがあえて彼女の腕を掴んでいてくれたこともあってそれはある程度抑えられた。またやられた、とミオが顔を上げてみればどこか満足そうな表情のアニがそこにはいた。 back |