夕食も済ませて消灯間際、訓練でぐったり疲れきった身体を休めようとしたところでふと気づいたのは机に山積みにされていたコニーとミオの、追試の件で使用していた資料だ。資料室の資料は基本兵舎内であれば持ち出しは可能だけど、その日の間にもとの場所へ返さなければならないという規則がある。そういえばまだ返していなかったっけ、慌てて資料室へ向かうべくエレンに一言伝えてから部屋を出て底冷えする渡り廊下を早足で駆けた。

すっかり暗くなった廊下を歩くと、予想外にも資料室には誰かがいるようでランプの明かりが通路に漏れていた。もう消灯間際で出歩いているのはせいぜい僕くらいかと思っていたけれどどうやら違ったみたいだ。おそるおそるドアを開けて中を確認してみると、そこには後ろからでも分かるミオの姿があった。

「あれ、ミオ?」

「…え、ああ、アルミン」

僕の声にミオは振り返って目を擦りながらも欠伸を一つしていた。どうやら居眠りでもしていたらしい。それにしてもどうしてこんなところに一人でいるのだろうか、ミオ以外に人影はなさそうだ。

「こんな時間にどうしたの?」

「…いま何時」

「もうそろそろ消灯時間だよ」

「え、もうそんな時間なの」

寝ちゃってたよ、と特に感情が込められていない彼女の呟きに苦笑する。相変わらずマイペースだけれどミオが眠いのも無理はない。ただでさえ今日の訓練は過酷だったのだ、消灯前に眠りについた兵士もたくさんいた。そうして一つ伸びをしてからミオは僕の手元の資料へと視線を移した。

「それって、」

「ああ、返すの忘れちゃってたんだ」

「…本当に何から何までありがとうね」

私も戻すの手伝うよ、とミオは椅子から立ち上がって僕の手から本を数冊取ると本棚へ向かった。ありがとうと言えば「それは私の台詞だよ」と返されてしまった。追試が合格だと発表されてからそれはもうミオからは何度も感謝の言葉を言われた。彼女は律儀なところがあるし初めて人を頼ったこともあるのだろうけど、今夜の食堂でただひたすらに協力してくれた皆に向かって感謝の言葉を繰り返していた。

「アルミンには感謝してもしきれない」

「いやそんな、僕はただ思ったことを言っただけで何も…」

「アルミンが自信を持っていいって、頼ってくれていいって言ってくれたから私は今ここにいれる」

「…まあ、役に立ったのならなによりだよ」

「うん、ありがとうね」

本棚越しに聞こえるミオの声は普段通りで、その合間に本棚に本が戻される音が聞こえる。少しの沈黙が流れてから僕は奥にいる彼女に聞きたかったことを聞いてみることにした。

「そういえば、どうしてミオはこんな夜遅くに資料室に?」

「ああ、…まあなんとなくだよ」

「なんとなく?」

「なんか、あんなにここで皆に手伝ってもらいながら勉強頑張って、その時はすごく時間が長く感じたのに、受けてみたら案外あっさり終わったなって思って」

「はは、少し勉強が恋しくなった?」

「まさか、もう暫くは勘弁したいよ」

ため息混じりのミオの声が資料室に響く。追試までの間、勉強嫌いのミオは毎日のように資料室にこもっていたから少しは勉強への考えも変わったのかと思ったけれど、そんなことはないようで相変わらずの通常運転だった。でも確かに嫌いなものを好きになることは何か本人にとって莫大な影響力を与えるきっかけが無ければ相当難しいことだ。そうして少ししてから再びミオが口を開いた。

「私ね、」

「?うん、」

「正直、アルミンに助言されてからも何度か迷った。私のために皆が手伝ってくれてるのは分かってたけど、それでも本当にこれが正しいのかどうかは分からなくて」

「…………」

「皆のおかげでここにいる私は、それ相応のことを皆にしてあげられるのかなって」

そんなミオの言葉に、だからあんなに皆にありがとうを繰り返していたのかと妙に納得してしまった。 律儀な理由が何かあるのかもしれない、それでもあれが彼女なりの感謝の方法なのだろう。あの行動はたしかに少し焦っているようにも見えた、気がしなくもない。ミオは少しずつ感情の変化を見せるようになったけど、助けられることへの抵抗はまだ消えてなさそうだった。なんて言葉をかけるべきか、頭で考えるより先に僕の口からはすらすらと言葉が出ていた。

「…僕らは皆同じ訓練兵だ、助け合う理由なんてそれだけでいいんじゃないかな。きっとこれからも過酷な訓練は続くだろうし、だからこそ助け合って皆で卒業するべきだ」

「…アルミン、」

「だから、ミオが焦る必要は全然ないんだ。僕も他の皆も、いずれミオの助けを必要とする時が来ると思うからさ」

その時はミオに頼ってもいいかな、そう笑って付け足せば「…私なんかでよければ」とミオも小さく笑った。そうだ、僕たちとミオは同じ訓練兵で仲間なんだから。助けて助けられて、そういう信頼で繋がれた関係を築けるのが仲間だ。

「アルミンは優しいね」

「ええ?そうかな、」

「また助けてもらっちゃったよ」

全ての本を戻し終えたのかミオは机に置かれていた自分のブランケットを肩にかけた。ミオが真面目な顔でそう言うものだから少し照れくさくなりながらも僕も最後の一冊をなんとか背伸びをして高い位置に戻し終える。ありがとう、とミオがまた一つ呟いた。

資料室を出ると、先ほどまで雲に隠れていた月が顔を出して廊下を照らし出していた。隣でミオが欠伸をまた一つしたのが分かってそれに僕もつられそうになる。もう消灯時間はとっくに過ぎてしまった気がする、僕がそんな言葉をこぼせば「じゃあ教官に見つからないようにしなきゃ」とミオは焦るわけでもなくいつもの調子でそう言った。確かに教官に見つかってしまえばそれだけで重い罰を与えられるだろう、と容易に想像できるあたり僕もさすがにだいぶ訓練兵としての自覚が板に付いてきたみたいだ。

日々過酷な訓練が行われるこの生活が嫌になる時はもちろんある、それでもその訓練生活もきっとあっという間に終わってしまうんだろうなと思うと少し寂しくも感じる。いずれ僕たちは自分の進路の選択をする時が来て、今いる皆とは一緒にいられなくなる。ミオはやっぱり調査兵団に行くのかな、マルコやジャン、アニは上位を維持しているしきっと憲兵団だろう、皆がばらばらになってしまう日がいずれ必ず来るのだ。先のことなんて誰にも分からないけど、でもだからこそ僕は皆といられるこの訓練生活を大事にしたいとも思う。僕らはまだちっぽけな訓練兵にすぎないかもしれない、それでも兵士になってもうすぐ一年、実感はないけれど少なくとも一年前よりは強くなっていて皆と絆が深められていることを僕は信じたい。
ミオが悩むことなんてないんだ。ミオは無事に追試に合格した、それだけで十分だ。104期訓練兵としてこれからも変わらず僕たちと一緒に訓練に励めるのだから。まあでも今度は追試枠に引っかからない程度には勉強も頑張ってほしいなあ、なんて思いながらも僕はもうミオが追試に引っかかりませんようにと窓から覗く月に小さく願うのだった。







そうさここが僕らの居場所だから


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