「ふへへへ……もうこんな食べられませんよう…」

食べ物を食べている夢でも見ているのか、そうだらしなく笑ったサシャの寝言が部屋に響いた。その声にミオもジャンも手を止めてそちらを向けばいつの間にやら彼女は顔を机に突っ伏して眠りこけていた。その顔はとても幸せそうだったが彼女の顔に下敷きにされている資料はもう文字が滲んでいて手遅れだった。

「ほんとコイツは正真正銘のバカだな…」

「まあ、慣れないことして随分疲れたんじゃない」

「ったく、これじゃ無理に起こす気も失せるっつーの」

ジャンはそうため息を一つついて勉強を再開した向かいに座るミオの手元を見た。資料室に集まってからどのくらいの時間が経ったのか、部屋にある明かりは机の上にあるランプだけで正確には分からなかった。騒がしかったサシャが眠りについたためにペンを走らせる音と資料をめくる音だけが部屋に響く。
さっきとはまるで違うミオの取り組む姿勢に帰るにも帰れなくなったジャンは追試に出題されるだろう予測問題をミオにひたすら提示してはまた問題を探すという作業を繰り返していた。つい先ほどまでミオは眠たそうにしていたというのに今ではすっかり集中している。いったい何が彼女をそうさせたのか、そんなことはいくら考えても答えが出ることはなかった。

「…おい、」

「なに」

「さっきの、アルミンの面白い話って何だよ」

彼女を変えた原因はきっとそこにある、そう思ってジャンが聞いてみるもミオは文字を書く手を止めない。視線も下に落としたまま少ししてから彼女は口を開いた。

「なにって、別に…話すほどじゃない」

「なんだそれ、話すほどでもねえのに面白かったって矛盾してんじゃねえか」

ジャンの言葉にミオは「別に何の話でもいいでしょ」と淡々と返して紙を彼に突きつけた。ミオが持つその紙には細かい字が並んでいる、出されたすべての問題を解き終えたのだろう。何をそんなに話すことを躊躇っているのか、とりわけ気にすることでもないはずなのだが何故だかジャンはそれに少しばかり苛立ちを覚えた。やっぱりこいつは気にくわない奴だ。再度聞く気にもなれずもう何の話だろうとどうでもいいかと割り切って採点を始めた。

「…俺が直々に教えてやってるんだからな、お前これで追試落ちたら許さねえぞ」

「最初から言ってるじゃん、私は合格するって」

「おーそうだった、まあお前が有言実行するような奴には見えねえけど」

「なに、ジャンだってマルコに勝てるって言って負けたんでしょ、それは人に言えないと思うけど」

「は!?うっせーな!順位じゃ負けてもあいつとはたったの数点差だったんだよ!」

「数点差でも負けには変わりない」

「追試になった奴に言われたかねえよ!」

突然言い合いが始まって先ほどまで静かだったはずの資料室に二人の言い合う声が響く。そうしているうちに「僕がなんだって?」と別の声が聞こえてきたのでピタリと一瞬で二人の声は止まった。振り返った先にはちょうど噂をしていたマルコがいた。

「あ、マルコ」

「マルコ!お前なんで、」

「サシャに頼まれて来たんだけど…なんだ心配しなくても仲良くやってるじゃないか」

よかった、と笑うマルコの言葉に二人は何のことかと顔を見合わせる。「誰がこいつと仲が良いって?」「それ私の台詞なんだけど」と懲りずに言い合いを再開する二人にマルコはまた笑った。

「ミオも勉強の成果が出てるみたいだね」

丸が多くつけられている紙がマルコの視界に入る。この二人のことだからどうなるかと思ったけれど時間は無駄になっていないようだ、と彼は少しばかり安堵した。

「俺が教えてんだ、当然だろ」

「私の実力でしょ」

「ああ?なんだと」
「はいはい、ジャンもすぐ突っかかるなよ。ミオもずっと勉強して疲れたろ、二人とも少し休憩したら?」

マルコのその言葉にミオは「そうする」と一言言った直後に顔を机に突っ伏した。長い間続いていた集中力もどうやら限界が来たらしい。そんな素直すぎる彼女に「…ほんと危機感あんのかよお前」と呆れたようにジャンがため息をついた。

「…危機感というか、不合格になること自体が想像できない」

「てめえのその自信は異常だ、医者に診てもらえ」

「それは僕も想像できないな」

「…お前まで何だよ、」

「だってそうだろ、たとえそうなったとしても頑固なミオが潔く兵士を諦めるとは思えない」

なんでかよく分からないけど、ミオならきっと受かる気がするんだ。彼女の強い意志をマルコは覚えている、あの力強い瞳も。きっとあの意志は変わらないままミオは卒業して調査兵団に入るのだろう。何があんなに彼女を突き動かしているのか、そんなことは分からなくてもこの先にある過酷な訓練に耐えて彼女は卒業できるとマルコは心のどこかで確信していた。

「…まあ確かにこいつは無駄に頑固だが」

「ジャンほどではない」

「お前ほどではない」

「はは、ほんと二人は仲良いね」

「仲良くない」
「仲良くねえよ」

二人が声を揃えて同時にマルコへ顔を向ける。本当にこの二人は似た者同士だな、とマルコの笑い声が再び資料室に響き渡った。


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