「…なにこれ、」

食堂に入るなり一番に目に入ったのは壁に貼られた大きな白い紙だった。その前には多くの訓練兵が集まっていて遠くからでは書いてある内容はいまいち分からない。ざわざわとざわめく声があちらこちらから飛ぶ。一体この騒がしい人集りは何だとミオが不思議に思っていると彼女に気づいたサシャが駆け寄ってきて声をかけた。

「ミオ!」

「サシャ、あれは何?」

「あ、えっと、第五回筆記試験の順位なんですけど…」

その言葉を聞いてからミオは人混みを掻き分けて前へ進んでいく、その後ろを慌ててサシャはついていく。実際ミオはどんな問題で自分がどんな解答を書いたのか、そもそも流れで受けていて筆記試験の存在自体すっかり頭から抜けていて覚えてなどいなかった。追試と宣告されたくらいなら当然ながら自分の順位は下から数えた方が明確に早いだろう。五回目にして点数が伸びなかったため追試になったのだとすれば今回だけでも頑張るべきだったとミオはほんの少し後悔しつつ紙の前へと辿り着いた。多くの名前が載っている中、ミオは自分の名前を見つけるのにそう時間は掛からなかった。

下記二名は後日再試験を受けることを命ずる。なお、再試験において此方が指定した基準で不合格になった者については第104期訓練兵団脱退の処分を下し、訓練兵における全ての権限を破棄するものとする。
ミオ・ローゼリア
コニー・スプリンガー

一際目立って書かれていたそれを見てミオはため息をついた。何故今まで試験の順位発表をしなかったというのに今回だけ貼り出されたのか、それはきっと今回出た追試受験者という存在を見せつけ他の訓練兵にそれを知らしめるためにと教官が考えたことだろう。それよりもミオは追試対象が二人だけだったことに少し驚いていた。どうやら繰り返しで慣れていく実技よりも、勉強すればある程度点数を稼げる座学には皆進んで力を入れているようだ。
ミオが紙の上に並べられた他の兵たちの名前を見ていると不意に強い力で後ろに引っ張られた。サシャが彼女の腕を引っ張って二人は一度人混みから抜け出した。

「どっ、どうするんですか!?こんなことになって…!」

「どうって…あれ、サシャは追試じゃないの?変なの」

「なにが変なんですか私だってちゃんとやりますよ!ミオ真剣に考えてますか!?次落ちたら兵士辞めることになっちゃうかもしれないんですよ!」

「痛い痛い…分かってるから離して」

強い力で肩を掴んでくるサシャを宥めてミオは辺りを見渡した。周りの視線がちらちらと自分を見てくるのが分かる、なるべく追試であることは知られたくなかったというのにこんな場所で堂々と貼り出されてしまえば仕方がないか、とミオは肩を竦めた。

「まあ、自力でなんとかするよ」

「なんとかってなんですか!」

「なんとかって具体的にどうすんだよ」

「そうですよ!だいたいミオはいつもそうやって曖昧に…って、ジャンじゃないですか!」

サシャは一度言いかけてから低い声のした方へ振り向くと、そこにはジャンが眉間に皺を刻ませてミオを見ていた。明らかに彼が不機嫌そうなのでサシャは何故だろうと内心で冷や汗をかいた。彼が不機嫌になると面倒なのはよく知っていた。それでもミオは相変わらずのままでジャンを気にも留めず二人の質問に思考を巡らせていた。

「…具体的って言っても、普通に勉強するしかないけど」

「そう言って結局お前勉強する気なんてねえんだろ」

「そ、そういえばコニーはどうしちゃったんですか、まさかもう試験放棄したとか…!」

「違う、コニーはアルミンのところ行ってる」

ミオの言葉にサシャは「そうだったんですか」と安堵して息をつき、「あのバカにしては賢明な判断だな」とジャンが頷いた。

「なんでお前はそうしなかった」

「別に…そうする必要がなかったから」

「必要ありすぎの間違いだろうが、落ちこぼれって自覚はねえのか」

「私には私の考え方がある」

「お前のそういうところが一々苛つくんだよ」

「そう、だからといって別に謝るつもりはないけど」

そう突然言い合いを始めた二人に挟まれたサシャは首を左右に動かして双方を見ては困惑するばかりだった。ピリピリとした空気が二人の間に漂う、さすがにミオも自分の意見は曲げないとばかりに眉を顰め、表情も険しいものになっていた。

「…そうやって変な意地ばっか無駄に張りやがって、いい加減現状見ろっつってんだ。お前の意志は追試なんざで躓くその程度か」

「兵士は諦めてないし追試も合格する」

「だからそうやって根拠のねえ言葉並べて痛い目を見るのは自分だって分かってんのか?自分の言動行動が矛盾してることにすらてめえは気づけねえのかよ」

「ちょっ、もうやめて下さいやめましょう!ストップストップ!!」

ミオの胸ぐらに掴みかかろうとしたジャンをサシャが慌てて制止する。こんな場所で騒ぎを起こして立場が危険なミオが教官に見つかったなら再試験どころではなくなるかもしれない。サシャに止められたジャンは不満そうに舌打ちを一つして動きを止めた。ミオは先ほどのジャンの言葉に俯いたままだ。
もともとミオとジャンの仲が険悪だというのはサシャも何となく知っていた(殆どはジャンから喧嘩を売っていて少し一方的にも見えるのだが)。それでもミオもミオだ、ジャンの言う通りに矛盾している点が多々あるのだ。彼女の場合は自分が思った通りの自分の意見を一番に尊重する癖があるからかそこに行動との矛盾が生じるのかもしれない。本人がそれに気づいているのかいないのかは分からないが、この二人はそれぞれの性格を考えると最悪と言ってもいいくらい相性が悪い。でもこのまま険悪な関係を続けていていいのだろうかとサシャは必死に頭を回転させて考えた。

「…あーもう!こうなったら三人で徹底的に勉強しましょう!!」

「は、嫌だよ私は一人で「私だって勉強なんか嫌ですよ!でもミオがいなくなるのはもっっと嫌です!!」……」

「なんで俺まで時間潰してお前らと勉強しなきゃなんねえんだよ」

「だって今回の試験でジャン五番じゃないですか!私だけじゃミオを合格に導けません頼みます!」

息を切らす勢いでそう二人に言い切ったサシャは「じゃ、夕飯食べたら資料室集合ということで」と半ば強制的にジャンに言い残してからミオを引っ張って配膳の方へと急ぎ足で向かった。

「…ちょっとサシャ、なんてことしてくれるの」

「もう勉強したくないなんて言わせませんよ!」

「そうじゃなくて…あんなこと言ってもジャンは来ないと思うけど」

「いいえ、ジャンは来ますよ絶対」

「なんでそう思うの」

「…だって相当心配してなきゃあんなにミオに怒れませんもん」

へへ、とそう言って笑うサシャにミオは首を傾げて意味が分からないんだけど、と聞き返すがサシャはすっかり目前に並ぶ夕飯に気を取られていて返答は貰えなかった。



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