あれから時間もだいぶ経って徐々に皆が医務室から出ていった頃だった、新たな足音が複数廊下から聞こえてきたのは。一体今度は誰なのかと不思議に思っていればどうやら何人かで言い合っているようで、それがミオにとって聞いたことのある声だったため誰が来たかはすぐに見当がついた。

「エレン、少しおちついて」

「離せよミカサ、俺はミオを一発殴らないと気が済まねえ!」

「だ、駄目だよエレン!きっとミオはまだ安静にしてなきゃだろうし…」

聞こえてくる声からして少し遠くの方ではあるが、どたどたと荒ただしい足音は段々近づいてくるように大きくなっていく。エレンのものであろう声が発した言葉にミオは何故、と首を傾げた。エレンに殴られるようなことをした覚えが無いのだけど、何故自分を殴りたいのか。声色からも彼が怒っているのが分かる、これから殴られると知ってミオが怖がるはずもなく、ただただエレンの言葉が不思議としか思えなかったミオがまた首を傾げたとほぼ同時に医務室の扉が乱暴に開かれた。ミオがそちらへ視線を向けるとエレンが険しい顔つきで立っていた。どうやら三人組が到着したらしい。

「エレン、アルミンとミカサも」

「俺はお前を殴りに来た!」

エレンはミオがいるベッド前に来て堂々とそう宣言した。先ほどまでの会話がある程度聞こえていたミオはだから何故、と未だに心あたりが見つからないまま不思議そうにエレンを見上げた。

「…なんで私を殴りたいの」

「お前が馬鹿な考え方するから俺の拳で正気に戻してやる!」

そう言ってエレンが腕を振り上げる。馬鹿な考え方ってなんだろう、意味が分からずにミオはただ掲げられた彼の拳を呆然と見つめていた。
それでもエレンの拳がミオに落ちてくることはなく、彼の腕は後ろにいたミカサによって掴まれていた。そのままミカサがエレンの腕を自分側に引っ張ると彼の身体は宙を一回転して地面に叩きつけられた。何が起こったのか、理解するのに数秒かかったミオは驚きで目を見開いて倒れたエレンを見た。やはりミカサは男子をも簡単に投げ飛ばしてしまうらしい。ほんの一瞬ではあったが確かにミオの目には先ほどの光景が残っていた。

「いってえ!!何すんだよ!」

「それはこっちの台詞。ミオを殴って解決するとでも思ったの、感情に任せて行動するのは悪い癖だといつも言っている」

床に倒れたエレンを見下ろしてミカサがそう言い放つ。今まで唖然としていたアルミンも我に返ったのか慌ててエレンに駆け寄り手を貸す。この三人は人格のバランスが舌妙に取れているな、と三人を見て意味もなくミオはぼんやり思った。そうしていると不意にエレンを見ていたミカサがミオに振り返ったのでミオも彼女を見やる。

「ミオ」

「なに」

「なんで無茶をしたの」

そう言われた言葉は予想外のものでミオがすぐ答えられずにいるとミカサが再び口を開いた。

「私は今とても怒っている」

「…ミカサ、」

「私はあの時ミオの班より前の方だった。だから詳しくは知らない。…でも班員には頼れたはずだ。ミオは、皆がどんな思いであなたの事を教官に報告していたか、知らないでしょう」

そう言うミカサの目つきが鋭くミオを見た。それでも一瞬だけ悲しそうに見えて、そんな彼女の初めて見る表情にミオは返す言葉も無かった。

「あなたの命はあなただけのものじゃない」

ミカサの声が凛と部屋一面に響いてから少しの沈黙が流れる。まさか普段寡黙なミカサにこんなことを言われると思ってもみなかったミオは揺らぐ瞳で彼女を見つめ返すのが精一杯だった。エレンもアルミンも、ミオを見つめる瞳は優しいものだった。

「…ありがとう、ミカサ」

「……別に。ミオはもっと自分を大切にするべきだと、私は思う」

「押しかけて来ちゃってごめんねミオ、エレンの考えも彼なりに君を思ってのものなんだ。君が思ってる以上に皆は心配しているよ」

「うん、ありがとうアルミン」

「ミオ、お前が復帰したら対人格闘の訓練で投げ飛ばしてやるからな、覚悟しておけ!」

「…え、それはちょっと」

流れでエレンにもありがとうと言いそうになってミオはなんとかとどまった。エレンは格闘術が優れていることは常にサボっているミオでも聞いたことがある。
強制だからな!拒否権無いからな!と言い張るエレンに隣のミカサが「ミオを投げ飛ばすのは私を倒してからにして」と彼に宣戦布告をする。そうして言い合いが始まる二人の仲介に入るアルミン。相変わらず三人は仲がいいな、と無意識にミオはそんな目前の光景に少しばかり憧れた。
そうしてそろそろ訓練に戻ろうと三人が医務室から出ようとした時、不意にエレンがミオの方へと振り返った。

「あ、それと」

「なに」

「怪我が回復したら、また星見に行こうぜ」

そう言ってエレンはミオに笑顔を向ける。先ほどまで血相変えて殴りかかろうとしていた彼の、これまた突拍子もない言葉に少し驚きつつもミオは首を縦に振って頷いた。

「…ありがとう、エレン」

エレンにとってなんとはなしに言ったかもしれないその言葉は、不思議とミオの心を暖かくしていった。頭に巻かれた包帯をなんとなく手で触ってみる、完治までどのくらいかかるのか。彼の笑顔が眩しすぎて、思わずミオはまばたきをしたい気分になった。


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