「なんで仲間を助けたのに採点対象外になるわけ」

教官室から出て一番にそう声を発したのはアニだった。その言葉からは不服の念が込められているのが分かる。確かに理不尽な話ではあるが、自分達が訓練を放棄したことに変わりはないし兵士を辞めずに済んだことすら有難い、最早そう納得する他ないと俺は半ば諦めていた。隣のベルトルトもアニの言葉に苦笑した。

あれから俺達は意識を失ったミオを背負い、指定されていた険しいルートから外れた道を進んでゴールを目指した。辿り着いたのは脱落班を抜いた全ての班がゴールしてから大分時間が経った後だった。先に到着していた同じ班の班員が予め教官に事情を説明しておいてくれたらしいが、事実この訓練では手を貸すことは原則禁止とされていた。今までだって訓練で命を落とした兵は少なくない、ミオを理由にしても俺達の訓練放棄は目を背けられるものではなかった。

ミオを助けられたならそれでいい、これからも点数を稼ぐチャンスは嫌なくらいあるだろう。そうアニに言ってやるものの、奴は不満そうなまま俺を一瞥してから早歩きで前を歩いて行った。きっと医務室で未だに眠っているミオの様子でも見に行くのだろう。結局これで良かったという事はあいつも分かっているはずだ。素直じゃないのは今に始まったことじゃない。

「ベルトルト、俺達は訓練に戻るぞ」

「え、でもアニは、」

「今のあいつに何を言っても聞かないだろう。今回の件で開拓地に飛ばされなかったのは運が良かった、せめて俺達だけでも目をつけられないよう努力するべきだ」

配点が高い兵站行進、この訓練で少しは成績上位者に変動があったに違いない。過酷な訓練は自分達の都合に合わせて待ってはくれない、遅れを取り戻すためにも今はただ目の前の事に集中すべきだ。訓練の後にでも見舞いは遅くないだろうと言えば隣を歩くベルトルトが頷いたのが見えた。





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医務室の扉をゆっくり開けると、あまり好きじゃない薬品の匂いが鼻を掠めた。いつ来ても思う、応急処置程度の物が収納された戸棚と簡素なベッドが数台だけ置かれた実に殺風景な狭い部屋だ。ミオがいるであろうベッドへ向かい、その近くに置かれた椅子に腰を下ろす。彼女は規則正しい寝息で、それでいて死んだように眠っていた。頭に巻かれた包帯が痛々しい。
私には彼女が生きているのが奇跡のように感じてならない、意識を失ってからここへ辿り着くまで随分と時間が掛かったからだ。崖から落ちて道も曖昧にしか分からないまま、ライナーの背に背負われたミオの命が一秒一秒経つ度に消えていくようで何も考えられなかった。せめてもの処置として止血をしようと服の布を乱雑に破って彼女の頭に巻いた、それでもその布がじわじわと赤に染まっていけばいくほど不安も大きくなっていった。
もう助からないとも思った、でも今ミオはこうして息をしている。

どれくらい時間が経ったのか、特に何かするわけもでなく眠りについている彼女を暫くじっと見ていると閉じられていた彼女の瞼が薄っすらと開かれた。

「ごめん、起こした?」

「…アニ、」

「……あんたも案外しぶといね」

「皆が助けに来てくれなかったらあのまま死んでたよ」

眠たそうな目を擦ってそう言うミオの調子は相変わらず淡々としたものだった。自分が生死を彷徨っていたかなんてお構いなしだ。そんな通常運転過ぎる彼女に呆れてため息をつけば当の本人は不思議そうに首を傾げてくる。普段はそれなりに聡いミオも自分の事となると随分と鈍感らしい。

「まったく…あんたって奴は」

「ねえアニ、」

「なに」

「私、頑張れたかな」

そうミオに言われて思い出したのは訓練前日の夜だ。あの時ミオは私の言葉に背中を押されたなんて言っていたけど、私はただ思ったことを言葉にしただけだった。でも、そうだとしてもあの時ミオが私に相談してくれなかったら、彼女は訓練を途中で諦めていて帰還することすら出来なかったのかもしれない。そう考えると少し背筋が凍るような感覚になった。私は彼女が脱落するかどうかなんてどうでもよかったのに、それでも、彼女が脱落せずに今こうして生きたまま帰ってきた事に私はひどく安心した。
彼女の過去に一体何があったのか知りたくても無理に聞き出そうという気にはなれなかった。ただ私は彼女が自分から話し出すその時まで待てばいい話だ。何故だか放っておけないのも自分と彼女をいつの間にか重ね合わせているからかもしれない。そうだ、似ているのは誰でもない私だ。だから今は過去の柵から少しずつでもいい、ミオが抜け出せるのをほんの僅かでも手伝える事が出来たらいい。

「さあ、それは私に聞かなくても自分で分かってるんじゃない。…まあでも、」

私が教官だったらあんたに満点あげてたかもね。
そう言ってから席を立って扉へ向かう。もともとミオを一目見たら出るつもりだった、そろそろ訓練に戻らないとライナーにとやかく言われかねない。部屋から出る時、後ろから小さな声でありがとうの言葉が聞こえてきた。






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「あ、」

対人格闘の訓練も終わってミオの様子を見ようと医務室を訪れると、そこは彼女が今にも医務室から抜け出そうとしているところだった。数日間は安静にと先生にも言われているというのに一体どこへ向かうつもりなのか、そんな彼女に慌てて止めに入る。

「ミオ、まだ安静にしてなきゃ」

「私はもう元気だけど」

「無理しちゃ駄目だ、全身打撲なんだろ?」

「別に、動ければ何ともないし」

そうミオがいつもの表情で飄々と言ってのけるので返す言葉が見つからない。本人はそう言うけれど無理をしている可能性は大いにある。あの日のミオの涙が頭から離れない、まさか彼女が泣くなんて思ってもみなかった。何が彼女をそこまで悲しませるのかは分からないけど、僕が計り知れないほどに彼女の背後に潜む過去は大きかったのだろう。

「僕は、その、ミオが心配なんだ」

「…心配してくれるのはありがたいけども……」

ミオの手を握ってそう言えば彼女が渋々ベッドへ戻ってくれたので安心して息をつく。そこで次第にドタドタと慌ただしい複数の足音が医務室に近づいてくるのが聞こえてくる。何事かと振り返ると同時に大きな音を立てて扉が開かれた。

「ミオ!だだだだ大丈夫なんですかっ!?」

「馬鹿野郎!お前はこんなところで死ぬ奴じゃねえだろ仏頂面!」

そう大きな声を張り上げて焦り気味に医務室へ入ってきたのはサシャとコニーだ。ライナーが話をしたのだろうか、他にも見知った顔の兵士が次々と狭い医務室に入りきらないほど二人の後ろに続いていた。ミオの名前をちらほら呼ぶ声が部屋の外からも聞こえる。

「…うるさいバカコンビ、頭に響く……」

「バカコンビってなんだ誰のこと言ってんだ!」

「ていうかコニーこそ、仏頂面って私のこと言ってるの」

「も、もう私、ミオが死んでたらどうしようかとっ…」

「サシャ、そう言ってさりげなく私の服で鼻水拭いてるでしょ」

相変わらず騒がしい二人といつも通り冷静なミオのやり取りに周りの兵士から笑い声がどっと上がった。その笑い声は自然とサシャとコニーをも笑わせ、最終的にはミオも笑っていた。先ほどまでしんとしていた医務室が笑いに包まれた瞬間だった。ああ、そうだ、僕はこの笑顔が見たかったんだ、ミオの笑顔が見れて少しだけ心の靄が晴れたような気がした。

「…君を心配しているのは僕だけじゃないよ、」

笑っていてほしいと思うから。あの時そうミオには告げたけど、僕はきっとこの先のことを考えると彼女を悲しませる元凶にしかなれないのだろう。そんな僕が、笑ってほしいだなんてとんだ我が儘かもしれない。分かっている、目的は忘れていない、僕らは兵士じゃなくて戦士として生きると決めたんだから。それでも皆が笑っている、ミオが笑っているこの瞬間はとても輝いて見えて、僕もその中に入りたいと自然に思ってしまった。
だから今だけ、今この時だけは、我が儘になってもいいかな。






何が正しいのかさえ分からないまま僕らは今日も曖昧に、


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